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鏑谷謙三大正8年生まれ。現在、87歳である。妻は5年前に亡くなった。老齢の身体は軽度の痴呆症、糖尿病など、様々な病が併発していた。先の大戦で生き残った――もとは、腕のいい靴職人であった。戦後は金型工場で働く。
「なるほどねぇ。」
薄い目をした医師が、一枚の資料を診察室の一角で読み込んでいた。彼の手首には〈人類絶滅会〉と刻印されたタグがある。
「しかし、凄い経歴だ。」
謙三は、旧軍の兵だった。ノモンハン事件から、インパール作戦、シッタン作戦、等々。どれも、「有名」な戦場である。そして、そこから一つでも生き残ったということ自体が異常である。それを、幾重も潜り抜けた謙三はまさしく化け物と呼ぶに相応しい。しかし、なぜ一介の医師が彼の戦歴のある履歴書を読み込んでいるのか……。
「どうだ? ソイツにするのか?」
診察室の窓際で立った者が振り返る。
目深に被ったソフト帽を直し、初老の男がいう。医師は曖昧に頷き、「新薬の投与として、これほど面白いマウスもいない。それに――」
「――それに?」
「うまくいく可能性が低い。が、もし仮にうまくいけば、我々の仲間に引き込む。」
……はっ、と手をひらひらさせて、男はせせら笑う。
「それで、どうするつもりだ? せっかく偽装して潜入したのに全く」
「問題はない。俺も医師免許は持ってる。だから会でも重宝されているだろう?」
自信過剰な口ぶりを苦々しく思いながらも初老の男は肩を下げて、その儘部屋を後にした。