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第1話





……その少女は、静かに呼吸を整える。セーラー服の襟元や背中の濃紺色部分を風に翻らせた。





 深夜。





 今日は特に冷え込むらしい。息を吐くたび白く染まる。





 高架橋の交差する道路の欄干へ烈風が吹き付ける。大気が狂ったように吹き鳴らす笛の音色に似通っていた。





  「いち、にぃ、さん」荒れた空気に紛れ小声で呟く。





  つい、一年前まで長槍で《敵》を仕留めることなど考えたことなどなかった。





間違えても、「命を奪う」という行為を自分が――まさか現代に生まれた自分がするなんて思いもよらなかった。が、それは一年前の霧華きりかの発想だ。こうして、《敵》を待ち佇む「私」とは違う。





 『準備はいい?』





  右耳のインカムから若い女性の声がする。素早く霧華は「うん、大丈夫だよ」と答える。





膝小僧の淡く赤い皮膚にスカートが何度も重なる。霧華は慣れた手つきで、白い布に巻かれた約1・6メートルを解く。街灯の光に鋭い鉛色が燦いた。





 《音切り》





 それが、この槍の名前だった。





 『捕捉対象、約300メートル。あと……15秒で対象と接触します。衝撃に備えて!』





  なるべく平常心で。なるべく焦らず。なるべく死なないように。呪詛呪文のように高鳴る脈音を鎮める。





  と、インカムの予測を裏切り、敵は既に姿を彼女の目前に表していた。





 「うそっ、もう!?」唐突な出現に、不快な汗が首筋を流れる。





 四足歩行の巨大な化物、鵺ぬえが四肢を躍動させ舗道を疾走する。





 《鵺》……かつて、東洋の物語に出没した怪異。和漢三才図会にも記述がある。怪異のその正体を一言で表せば禍々しい《妖》の集合体。猿の頭、狸の胴体、虎の手足、そして蛇の尻尾。古事記、平家物語、等々。全く得体の知れない化物――。






化物は不気味な毛並みを夜闇に隠す。猿顔の双眸が霧華を映した。白虎の右前足が地面を僅かに離れる。アスファルトの地面には象形文字のような亀裂が幾重もはしった。まさにはやてと形容できる程の速度で確実に霧華へ向かう。





 躯が慄える。――





 『ぼやぼやするなッ』





  先ほどのサポートした人の声と違う、嗄れた声。





 「えっ!?」





 戸惑う霧華。





「おじーちゃん!! どうして? 今新宿方面にいるんじゃないの?」





  しかし、素早く霧華は腰を落とし、臨戦態勢になる。釈然としない気持ちだった。「なぜ祖父が渋谷方面にいるのだろう?」と、瞬間彼女の脳内で疑問符が浮かんだ。





確か別作戦のため祖父、謙三けんぞうはここにいるハズがないのだ。更に電波状況の悪い環境でインカムは半径0・5キロ以内でしか使用できない。物理的にも新宿からでは通信はムリだ。





 『あの雑魚どもはさっさと片付けた。不甲斐ない孫娘の援護だ。』





 今年で齢87歳とは思えない意気揚々とした声音が彼女の鼓膜に響く。





 「うそ……でしょ。」





 驚愕しながらも、敵から視線を離さない。鵺は霧華との距離を確実に縮めた。





 「ヴォォオオオオオオオオオオオオオオオ」





 雄叫びといえない、金属の不愉快に擦れあう様な音が鵺の咽から絞り出された。あと、50メートルという距離で、鵺は蛇のぬるぬるとした尾を振り上げる。粘着質な液体を撒き散らし、尻尾の鱗が光に反射する。衝撃波によって、一定の間隔を保たれた街灯は針金のように簡単にねじ曲がった。





器用に霧華は上体を深くお辞儀する要領で曲げ、槍を肘に密着させる。足元はローファーだけである。つま先立ちになり足先を素早く飛び出す。





跳ねるように舗装された道を進む。美しく折り曲げられた足運び。よく引き締まった筋肉質な太腿に脹脛が密着する。黒いストッキングに包まれた足は、やがて常人離れした跳躍力を見せた。――鵺の頭上より遥か高く舞い上がり、尖先で鵺の額を狙う。






 ニィ、と鵺の口角が歪む。





 ――それを待っていたかのように、鵺の尻尾は二つに裂ける。右側は衝撃波を送り出し、もう一方は霧華の胴体へ殺到しようとした。





 (まずいっ)





 飛び出すのが早かったか? それとも……。後悔が後から後から湧いてくる。が、迷う暇も後悔の時間も惜しい。頭を切り替える。神経を研ぎ澄ませ、槍を車輪の如く回転させて衝撃波を相殺するように務める。






 しかし、幾重にも及ぶ波状の衝撃が霧華の華奢な躯を吹き飛ばす。直接彼女を狙った尻尾が強烈に接触しかけた。しかし、それは実現には至らなかった。





 バァン、と乾いた銃声が的確に鵺の尻尾を操作する尾てい骨を貫いた。





 「ヴォォオオオオオオオオオオオオオオオ」





 今度の雄叫びは自分の雄を誇るモノではない。苦痛の叫びが鵺をのたうち回らせる。





  この隙に空中で後転するように態勢を変え、霧華は再び槍を構えた。必ず仕留めることができるように、今度は冷静に急所を刺す機会を窺う。





 苦悶に喘ぐ鵺は己を貫いた弾丸の射手を探そうとした。だが、いくら周囲を素早く振って探しても無駄だった。不吉な夜闇の影に沈む高層ビル。廃墟のように賑わいの失われた巨大な街だけが目前の景色だった。鵺は最早、霧華の存在がみえなくなっていた。






 (今だ)





 穂先を水平に寝かせる。宙で背中に反らし、弓なりに曲げ、両腕両脚を強く前方に押し出す。夜風を縫うように、すぐさま鵺の正面に到達した。同時に、速度に乗った槍が霧華の右腕から繰り出される。鵺は僅か三秒程彼女を視界から喪失していただけであった。それが命取りになった。





 ゆうに一三メートルを越す巨体の頭部を槍が串刺しにする。頭蓋骨を砕く手応えを霧華は感じた。脳漿が噴水のように槍を引き抜いた後に散かれる。「グォオオオオ」と絶命の咆哮が高架橋に木霊する。コンクリートの冷たい地面へゆっくりと鵺が倒れた。それから、四秒して霧華も地に降りたつ。






 鮮血が雨のように降り注ぐ。血は鉄臭くて、甘い独特の匂いがする。霧華の鼻腔を酔わせて一種恍惚とした気分にする。彼女の頬にも空から数滴紅の雫が落ちた。それを手の甲で拭う。鈍い色の跡が彼女の柔らかな肌に拡がる。





 「不甲斐ないぞ」





 いつの間にか謙三が霧華の後方にいた。白髪も残りすくない禿頭の老人が腕組みをしている。嘗ての謙三には考えられない逞しい肉体である。






 「無茶言わないでよ。おじいちゃんみたいに、実戦経験豊富なわけじゃないんだから。」





  霧華が文句をいう傍らで謙三は口に煙草を銜える。ライターで火を灯す。





 「あ、また煙草? 体に悪いよ?」





 孫の言葉を無視し、彼は紫煙を燻らす。煙は青い月光のもとまで昇った。





 謙三の背中にはスナイパーライフルが担がれている。黒いTシャツ1枚とジーンズの軽装である。しかし、謙三は危機感を覚えるどころか、悠々と構える。





 「こんな世界になるとはなァ」





 感慨深げに謙三は俯く。





 「……わたしも、まさかおじいちゃんとこんな事するなんて」





 「それはお互い様だ」





 「そうかな?」





 『ちょっと、二人共。オペレータの私の指示、全部無視しないでくれる?』





 二人の会話に、インカムの女性が割り込んだ。冷静な声の奥に、不機嫌な感情が漂っている。





 霧華はインカム越しに相手の様子を察知した。





祖父に目配せする。しかし、孫娘の意図を無視した。眼を細め軽蔑を祖父に表す。仕方なく、肩を竦めて軽く咳払いし、耳元の髪をかき分ける。





「すいません……。」悄気しょげかえりながら、彼女は詫びた。





『別に、キリカには言ってないの。どうせ傍にいるクソじじいに言ってるのだけど?』





 謙三はインカムなどマイク替わり程度に使っているだけで、殆ど耳に装着していない。今も現にポケットに仕舞っている。





イヤホン向こうの彼女は、東京統括本部の命令をオペレーターで現地の部隊に指示をする。その中でも極めて的確な誘導をすることで知られる人物、名はエイ。本名でなく、あくまでコードネームらしい。どうやら、統括本部は常に情報の秘匿のために末端にまでセキュリティを強める傾向があるようだ。






 それはともかく霧華は微笑を浮かべながら、視線を鵺にやる。瞳はゼラチン質で、その奥に生気がないことは遠目からでも確認できた。鵺の眼は、死骸独特の濁った色に彩られている。





 「随分早い退治だったんだね。新宿」





 「あと、六分早く片付ける予定だったが、ムリだった。」





 謙三が嘗て痴呆老人だとは考えられない、今の矍鑠かくしゃくとした姿になんとも奇妙な印象を受けた。何故祖父が年に不釣り合いな肉体であるのか? なぜ、わたし《霧華》が超人的な能力を発揮しているのか?





 その、事の発端はつい一年前まで遡る――。



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