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朝っぱらから城に怒号が響き渡る。
「ヘッヘンタァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーぃッ!」
眠い、ちょう眠いうぅっさい……うぅっさい……うぅ。
起きますか/起きませんか。
>寝る。
私は半ば覚醒しつつある脳内で、なんとか三番目を作り出して選択し、再びまどろみの中に戻った。だがしかし騒音の元はそれを許さない。
「はれんちッ!」
そう言って騒音クソ野朗は、私の横っ腹をどんどこどんどこと殴打した。おい、こちとらボンガじゃねーんだぞ。
「うっぷす」
私は振動で揺れる身体と、何度もへこむわき腹を守るため、仕方がなしに起床した。上半身を起こし、ボンガ演奏者の手をわき腹から振り払う。不機嫌さを隠す気は毛頭なかった。薄目を開けつつ、犯人の顔を睨んでやる。天使の輪っかを戴く黒髪、パッチリしたまんまるの目、染みも皺もないなめらかな肌、薄紅に染まる両頬、見覚えあるってレベルじゃねーぞ。誰がはれんちだ。お前だよ破廉恥クソ王子。とりあえず私は言った。
「ボンガじゃねーんだぞッ」
「ジェ、ンガ?」
「ボンガ」
「bon、ソワ?」
「ボ、ン、ガ」
「興味深いねぇッ」
「何に対してだ! テメェー訳わかんねぇことだけ言って適当に済ますな!」
私は両目を瞑って咆哮した。王子2は素直にうんと言葉を返す。そして間髪入れずにマシンガントークをかましだした。
「ねえねえせーちゃんその男は誰かなッなんかぼくが知ってる金髪のような気がするけどまさかまさかまさかぁあの人じゃないよねそうだよねエッまさか浮気? 浮気? せーちゃん浮気なの? 浮気しちゃったの? エエー? こういう時ぼくはどうすればいいんだろうハレンチだよぅハレンチカーニバルだよッヘンタイハレンチだよぅッ! アッそうだッヘンタイッ! そうだヘンタイだったんだッ! ぼく分かったよッ! 暴漢に襲われた被害者がせーちゃんで! 被害者を襲ったのがヘンタイなんだ! ニュースで見たことあるぞッ! それはつまりせーちゃんの過失ではないわけだッ! だからつまりソイツを殺せば万事解決なのだよせーちゃん君ッ!」
「やれやれです」
私は両の手の平を上に向け、肩を竦めて首を振った。なにがなんだかさっぱりだよ、と思ったところで視界の中に金の穂が入り込む。さらさらと揺れる、稲穂のような金糸。それは、人の毛髪のように見えた。嫌な予感に、どっと冷や汗が流れる。私は、穂の先から根元へと視線を移した。
王子1の寝顔があった。
「チーズ蒸しパンになりたぁーーーーいッ」
私は咄嗟に叫んでうずくまる。恥ずかしい。この年でこんな。こんな失態を犯すとは。この状況に至るまでの記憶は万全だった。そう、私が王子1に言ったのだ。私が眠るまで手を握ってて、と。たぶんその過程で王子1も眠った。今思えば恥ずかしい。幼児かよ。昔からの知り合いと初めて離れることになって、ちょっと精神が参ってたのだと言い訳をしてみるが、恥ずかしいことに変わりはない。私はチーズ蒸しパン、もしくはボンゴになりたいッ。
「んん?」
私の叫び声のせいだろう、王子1が呻き、薄目を開けた。見れば喉の奥を鳴らしながら目を眇めている。
「起きないでぇ」
私はそう言い、再度うずくまった。隣から衣擦れの音が断続的に響く。
「あ? これって朝? 俺もしかして寝ちゃった? エッ、お前はなんでダンゴムシになってんの……そしてなんで殿下もいるの……」
「ヘンタイッ」
「起きないでッ」
「なにが起こっているのですか……」
「あぁん? 朝チュンかましておいてナニだとぉ? ふてぇ野朗だなぁッ」
「いいから王子はもう起きんなッ寝ろッ」
「説明してくださいませんかねェ……ッ!?」
「はぁぁぁぁああああああッ?」
「ウワーーーーーーーーーッ」
「ちょっと宰相殿を呼んで参ります……」
破廉恥クソ王子と私の放つカオスが加速し、王子1は最終兵器を呼んだ。
………………………………………
「こんのクソ忙しい時に、んな事で呼ばないでくれませんかね」
拳からぼたぼたと血液を滴らせて、宰相さんが言った。もちろん、流れているのは私の血である。私に10000ポイントのダメージ!
「ごめんね王子1、寝起きだからちょっと混乱してた」
「おいクソ女。忙しい俺がお前ごときの頭を冷やすために仕事置いてわざわざ出向いてやってんだぞ。謝罪しろ謝罪」
「ごめんね王子1」
「聞けよ」
脳天に衝撃が走った。
「イッん」
比喩ではなく目の前に星が散る。死だ。死を覚悟した。夜空に振る一億の星。私の脳みそを揺らす死の鉄槌。創生のビックバン。ミリミリと皮膚細胞と毛細血管が死滅する。
「ぬううううううううん!」
細胞群の死にともない、口から生命の呻きが漏れ出していく。視界がうねりながら下降し、野菜に釘を打ったかのような音が首から飛び出した。毛艶のいい絨毯と、宰相さんが履いている靴の爪先が見える。私はその爪先に向かって呪詛を吐いた。頭のてっぺんと首が痛いですクソ鬼!
「謝罪」
しかし、私の悲痛な呻き声をものともせず、宰相さんは端的に要求を示した。恨みがましく目線を上げたら、物凄い渋面を晒した宰相さんと目が合う。恐ろしいので速攻で逸らした。
「謝罪」
要求は慈悲もなく繰り返される。誰か助けてくれないかと思い、右側を見やる。
「パンツッ」
王子2が私の下着を片手に持って振り回していた。なにしてんだお前。そしてそれを力無く眺める王子1。
「わーいッ」
「眠すぎ……」
「こんの薄情者どもォッ!」
「謝ッ! 罪ッ! しろッ! てッ! 言ってンダロッ!! コロスぞ……ッ!!??」
と、ここにきて宰相さんがキレた。恐すぎて仕方がないので私は年貢を納めることにして、上手く回らぬ舌でどうにか言葉を吐き出してみる。
「すいしゃせぇーでし」
「……」
「すい、ま、せー、でし、たァ!」
「及第点」
「あざす」
どうにかセーフをもぎ取れたようだ。
「で、殺します」
ぜんぜんもぎ取れてなかった。
「きゅーだい点でも死をまふがれないとか。私はどうしればいいの……」
「死ねばなにもかもが解決するぞ! 人はそれを逃避と言うんだがな!」
腕を組み、踏ん反りかえった宰相さんが、器用に片足を上げ、私の足に向かって豪快に振り下ろす。激痛が私を支配した。みっともないのを承知で床を転げまわるが、痛みは薄れずむしろ威力を増していった。どんだけ才能豊かなんだ貴様。
「ぃんいいいいイタいぃいいいいい」
「おおよそ女とは思えぬ悲鳴ですね」
お察しの通り重力魔法である。恐らく、私の足は潰れたざくろのように破裂しているであろう。鬼、悪魔。宰相さんの正体はこれに違いない。人間じゃねぇ。オメェなんか人間じゃねぇ……ッ! 鬼! クソ野朗!
「オメェなんか人間じゃねぇ……ッ!」
「……」
「……」
「……」
「……」
宰相さんが黙る。王子1が黙る。王子2が黙る。私も黙った。つーか間違えた。
「ほう?」
「ぁあああああああわたしはぁあああああああああ宰相さんが大好きですぅうううううぅううう超スーパーイケイケメンズでお優しい人間の中のキングオブ人間ナチュラル人間な宰相さんが大好きですううううううううう殺さ」
「死ね」
ないで。そう言い終える前に、私の人生の幕は閉じた。
信じられないことに顔面がヘコんだ。
………………………………………
「ぎゃあああああああああああああああああああああ!」
王子1の絶叫が鼓膜を打つ。私の意識はギリギリのところで舞台端に引っかかっていた。だがしかし、反撃や反論ができるほどの気力が残されているわけでもなく、ただ霧がかった視界と意識を持て余しているにすぎない。いっそ殺せ。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああ!」
再度、王子1の絶叫が鼓膜を打つ。もはや乱舞である。鼓膜に優しくないので一刻も早く気絶してほしい。うめき声さえも出せぬ我に、一筋の救いあれっ。
「落ち着いて兄上ッ! 毛細血管は無事だよッ!」
とそこに王子2が謎に満ちた励ましの言葉を乗せ。
「それがどうしたぁあああああああああああああああああああああああ!!」
王子1がまたも絶叫する。そして宰相さんが私の頭部をむんずと掴み。
「落ち着いてください、王子。ほらこれをご覧になれば気分も落ち着くことでしょう」
「はあ……ッはあッうっ」
嗚咽をこぼす王子1の顔面に私をずいっと差し出した。近いし身体動かないし抵抗もできないし。いっそ殺せ。マジで。コントしてる場合じゃないんですよおまえら。
「見てください。この虚ろな目」
その言葉が聞こえているのかいないのか、王子1は口を開いて呆けたあと、細く細く息を吸い。
「ひんぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」
更に絶叫した。
「オッス。無事ですか。色々と」
唐突なその言葉と共に、執事その1さんが空間から転び出た。それを皮切りにして、テレポートしてくる人物がほか二名。料理人さん。そして……エッ誰だてめぇ……まじで誰……知らない人がいる……王子……知らない人がいるよ……? エッ……???? そんな私の思考に返答してくれる者はおらず、疑問は解決せぬまま頭の隅へと消えた。執事その1さんが口を開く。
「なんか視えたから来たけど全然アレですね。僕の手に負える感じじゃないですね。帰りまぁーす」
なんか薄情な台詞が聞こえた気がするけど幻聴だと思いたい。優しくないにも程がある。そして続く叫びが私の心をさらにかき乱した。
「白い人ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー! 白い人がピンチだっていうから俺きたよ! で、襲撃ってどういうことなの? また喧嘩したの? 謝らなきゃダメだってぇ、白い人。俺らもう子供じゃないんだしさぁ、白い人、ししししし死んでるじゃん……ッ!!」
興奮した料理人さんの登場である。料理人さんはベラベラと立板に水を流すように喋り、私の両肩を掴んで前後にガンガンと揺らした。死体だと思ってる相手に対して大変な暴挙である。しんみりと優しく看取れんのかお前は。
「一体なにが、ってエエエエエエエエエエエエエエエ」
続いて響きたるは、またも悲鳴。こちらは件の知らない人だ。薄目で確認するに背の高い男性で、私の姿を確認するやいなや速攻で後ずさる。
「ぎゃああああああああああああああああああああああ」
そしてまた悲鳴が聞こえた。もうコイツは事あるごとに叫びすぎてムンクというアダ名で通用すると思う。そんなムンク、王子1は知らない人と一緒になって叫び、恐慌状態に陥っていた。そんな二人をなだめようと執事その1さんが動いた、と思ったら彼らをスルーして椅子に座りやがる。
「ふう」
ふうじゃねぇ仕事しろ。
「王子、ゆっくりでいいですから、吸って吐いて」
宰相さんがムンクの背中をさすり、王子はおえおえと動物の鳴き声をあげている。知らない人は放置され、ぶるぶると震えて如何にも哀れだ。誰か一人でも常識人がいればよかったのだが、悲しいことにこの場に集まっているのはビビリと鬼とストーカーと馬鹿とサボリ魔と知らない人だけである。ろくなやつがいなくて申し訳ない。
「白い人しっかりしろ! 傷は深いぞぉ……ッ!」
料理人さんがまなじりに涙を溜め、悲劇のヒーローのように意味の分からない慟哭をした。
「深かったらダメだろ!?」
そして律儀につっこむ王子1。
「うるさいんですけど」
「白い人ぉおおおおおおおおッウワアアアアアアアアアアア」
「はぁ……うっおえ」
洪水のように巻き起こる会話劇。終了のゴングは遠くに放り投げ出され、幕引きの気配は微塵もない。ふらふらと揺れる王子1が、口元を押さえてこちらへと寄ってきた。そして、宰相さんにより床に投げ捨てられていた私の横に両膝をつく。そして。
「うおぇェエ……」
王子の胃から放出された物体が、私の上に降り注いだ。
お前は……。
ばかやろうだ……。
「ウっ」
「あれ、聖子ちゃん動いてない?」
のんびりとした口調で、執事その1さんが言った。大した驚きが無いことを鑑みるに、恐らくこの人は最初から事態を把握していたのだと思われる。そういう人だとは知っていたけど。知っていたけどさあぁあああああああ。もっとこうさああああああ。王子1色に染まった私は胸中で地団太を踏んだ。
「ヒイイインしろぅいしとぉ!」
「なんだ。顔面が平らを通り越してるのによく生きてますね」
料理人さんの泣き声をBGMに、平らにした張本人、人間プレス機が悪びれも無くのたまう。
「いきかえってぇえええええ!」
「うるさいって再三言ってるでしょう。人の迷惑を鑑みてください」
料理人さんに向かい怒気を放つ人間プレス。本当に悪びれも無くのたまうので逆に感心した。えぐえぐと涙と嗚咽をこらえ、鼻水を垂らしている料理人さんが狭くなった視界に映る。顔面が痛い。負傷直後にあったひりひりとした痛みはすでに形を変え、王子1から出た物体、その水分が接着している部分を重点に、火に焼かれているかのような責め苦が私を襲っていた。殺せ。おい、マジ、おい。楽にしてくれ。料理人さんと目が合う。
「ヒイィ……は? えっ? っ白い人? 白い人! 白い人ワアアアアア! なんだよもう心配かけるんだからもうッ無事でよかったけどさあッ」
涙をぽろぽと流し、料理人さんが諸手を挙げる。それを横目にして一歩どころか百歩はドン引いている知らない人が呟く。
「無事じゃないと思うけど……」
だからお前は誰なんだよ。
「ごほッぇ」
そしてなおも続くびちゃびちゃとした音の大洪水はついに佳境を迎えていた。さっきから透明なのしか出ていない。固形物ゾーンは嵐のように過ぎ去ったのだ。沈静化した災害のあとに残るのは、根こそぎ持っていかれた私の精神力と王子1の空っぽの胃だけである。ウヤッホウ! もう……! はよ殺せゆーとるが……!
騎士さんか庭師のお兄さんか執事その2さんを呼んでください。私は切に願った。しかし、その願いは天に届かない。
30分後、私はやっと死ねた。