幕間
戦いは好きだった。好きであることが当然だった。産場で血を浴びて生まれ、戦場で血を浴びて死ぬ。それがこの国におけるオーソドックスな生き方だ。誰しもが武器を持ち、誰しもが殺人を犯す。老若男女。あまねくすべてが、あまねくすべてを殺すために戦場へと出でる。
我々は雨だ。
と、時の指導者は言った。敵の頭上へと降りかかり、その身が朽ちて地に落ちようと、やがてまた天に昇り雲となって雨と転じ敵を襲う。子が戦いそのまた子が戦い更にまたその子が戦う。国の、兵の、民の永久機関。戦火の回転。それが我々自身なのだと。
納得した。それこそが真実に違いない。俺は雨の一粒だ。天から落ちて自らの力では止まりようのない存在。物質。構成する要素。それが俺。だから銃を持つ。だから引き金を引く。だから人を殺す。だから俺は生きている。それが当然。当然の生き方。価値観。
ちらりと場を見渡す。あちこちに俺がいる。雨が降っている。
誰が始めたのだろうか。へたくそな軍歌が聞こえてきた。すでに開戦したこの場に響く、調子外れな歌声。それはやがて大きな波となり、熱を孕んで人々へと広がっていく。歌いながら人を殺し歌いながら人に殺される。我が国の有する大量の雨粒。相手側から見れば異常な集団に違いない。けれど、それも仕方がないのだ。我の国の人間は、例外なく頭がおかしい。
「死ねよ! 死ね死ね! 殺されろ! なに黙ってんだ! 叫びながら殺せ! 殺しながら死ね!」
前方で誰かが叫んでいる。俺は口をつぐみ、穴から頭だけを出して適当な敵影を撃った。
戦場に響く絶叫は魂の叫び。流れるのは天に昇る血。倒れた体は誰のものでもない。そこに死者など存在しない。本流はそこにあらず。不滅の兵士よ。不滅の国へと帰還せよ。
軍歌が聞こえる。
誰かが叫んで、誰かが歌って、誰かが殺し、死に、その存在は融合する。すべてが『俺』になる。俺たちは雨だ。雨は俺だ。あそこで人を殺しているのも俺。あそこで死んでいるのも俺。あそこで笑っているのも歌っているのも叫んでるのも指示してるのも俺。
さっきまで聞こえてた分隊長の指示が途切れた。
轟音に耳を叩かれる。空から肉の細切れが降り、事を知る。どこぞの穴がやられたのだ。文字どおり血の雨。肉と骨も降り落ちる。
「しねよしねよしねよナアッ! 全員しね今すぐしね全員だ皆殺しだ全員ぜんいん!!」
前方の誰かはまだ生きていた。けれど別のどこかで今、確実に誰かが死んだ。俺と同じ考えを持った人間が一人減ったのだ。ふと、疑問が脳内をよぎる。このままこちらの人数が減ったらどうなるのだろうか。沢山の仲間が死んで、もしも生き残りが俺一人だけになったら、俺が持つ価値観は、俺の当然は、はたして正常と言えるのか? わからない。俺はとにかく弾丸を飛ばした。敵に当たる。敵は死ぬ。
雨粒の弾丸。
俺達は人を殺す。俺は人を殺す。俺は人殺しだ。地面に落ちるその瞬間まで。国が言うには死んだあとも。
戦いは好きだ。それは生きていることと同義だから。俺は生きていたい。飯を食い水を飲み太陽の光を浴びて星を見上げ、野を駆けて森に入り川で泳ぐ。人と話し笑い慈しみ、やがて誰かと恋をして共に歳をとり死んで朽ちる。そうでありたい。だから。
雨粒。
俺は雨だ。
俺はまだ空中にいる。空中で呼吸をしている。だからまだ人を殺す。だから俺は人を殺す。いつか出会う誰かを見つめながら、俺は人を殺す。
弾が切れた。
穴に引っ込む瞬間。
ばくげき……? 誰かの呟きが聞こえ、頭上に悪魔の火種が投下された。
………………………………………
男には一つ眼球がなかった。少女にも一つ眼球がなかった。少年は二人を見比べて悟った。昨日まで男の目玉は一揃いあって、少女の目玉は一揃いなかった。自分の知らぬ間に事は行われたのだ。
「おはよう」
少女に向かい笑んでみる。男が自身の左耳を指先で叩いた。少年はまた悟る。きっと男の片耳はもう音を拾えないのだ。少年は男に向かって頷き、唇を少女の左耳に寄せた。
「……おはよう」
少女は四肢のない身体をびくりと強ばらせ、戸惑うようにうぅと喉をならした。
その反応を見て、少年は喉をつまらせつつ笑んだ。
それが少女の見せた初めての意思らしきもので、そして彼らにとって初めてのやりとりだった。
………………………………………
「愛だ」
「いいや違う」
「何故です。愛だ。これこそが愛」
「それは、お前の愛は、もはや暴力でしかない」
「なにがいけないと。与えたいものを与えてなにがいけない」
「お前は……なにを考えて」
「あの子の幸福を。それだけを」
「幸福……? なにが……なにが幸福だ……! お前のやっていることはやがてあの子を死に至らしめる……!」
「そうだ」
「……殺すつもりだと言うのか」
「そうじゃない。生かすんだよ。あの子を生かす。そのために動く」
「一体いつから、そんなふうに……お前は、歪んで……」
「歪んだんじゃない。パズルのピースが合わさるように、二つが一つに繋がって形を変えただけだ。俺は、きっと本当の意味で人を好きになったんだと思う。これこそが、愛。今ならなんだってできる。いや、今から俺が死ぬ、その瞬間まで、なんだって、できる」
青年が笑った。
「あの子を愛しているから」