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「あのねぇ聖子ちゃん、つまり僕の世界では、いっしょになることでぇえ、あぁいてぇ……、ナノレベルっというか意識体まで共有できるようになるわけぇ。そうすると個体のせいめい上限値が上がるからぁぶえっ、っ、死をしのぐことも可能でぇうおぇぅるエッエッーーッ」
「喋るなしゃべるなしゃべるなぁああ!」
喀血しながら頭が混乱しそうなことを言う執事その1さん。彼の顎下には血液と、透明な液体と、正体不明の小さな固形物が付着していた。そしてその体内物達はシャツやベストにも零れ、足元には小さな血溜まりが出来ている。
「無理して喋るのをやめろ! 死ぬぞ! つーかそんなに血ぃ吐いてるのになんで生きてるんだ!? その固形物って内蔵部分じゃね!? なんかプルプル震えてんだけど!?」
「誓いのキスぇっ」
戸惑いにつけ込まれる形で、垂れ目クソ野郎が私に向かって突進技を繰り出した。こっちは心配してんのにコノ野郎。血液が口から流れ出て、飛行機雲のように一瞬の軌跡を描く。中途半端なイケメンであるがゆえ、絵面も中途半端に美麗と醜悪の中間をさ迷っている。黙ってたら格好いいのに。つまり口を閉じて血を吐いていなければ格好いいのに。なぜこの人は口から臓器の破片を吐き出しながらチャペルゴールを目指しているんでしょうか。永遠の謎です。
「拒否だってなんべん言わすんだ」
とりあえず私は迎撃しようと、頬をぶっ叩くために腕を振るったが、それは空振りに終わった。執事さんが足取りも軽やかに避けたのだ。死にかけなのにチート健在。当たれ当たれと念じながら、もう一度、腕を振るう。執事さんは普通に避けた。
「どういう仕組み……」
「だからぱんつ」
「それはもういいっ!」
「やめてください聖女さん。傷害罪と汚物陳列罪で捕まります」
「はぁ!? ちょ、前半は分かるけど後半! 突然なに!?」
「お前の顔面が見るに耐えない」
「淡々と言うな」
私の背後を宰相さんがとった。私の防衛戦と復讐劇を邪魔しようと言うのか、脇下から腕を差し入れられ、羽交い締めにされる。身動きを封じられたその瞬間、私の正面にまで迫っていた執事さんが豪快に吹き出し、赤い血が霧のように広がった。
「ぶぅううううォエェエエエエっ」
「ぉお!?」
「汚い」
背後から聞こえた心ない感想に、反射で首を捻る。固定された右腕と上半身を力任せに前傾して、わずかに生まれた隙間を利用しながら左腕を上にあげて肘のあたりまで引き抜き、どうにか振り向いた先には、私と同じように血濡れた宰相さんのご尊顔が現れる、はずだった。
「自分が美形だからって他人を見下した罰ですねェ! ざまぁなぃ……え、な、なんで宰相さんの顔面は綺麗なまま?」
驚く私を管下にして、宰相さんは美しい芸術品のような顔を保ち、普段の様子から想像もできないほど愛想よくにっこりと笑った。そうして、私に向かいはきはきと礼を述べる。
「前衛役、ありがとうございまぁす。ハートハート」
「僕見てましたけど宰相くんってば聖子ちゃんの背後に隠れてやり過ごしてましたよ。ぇぅ」
「語尾を音読すんなって前にも言っただろうが。気持ちこもってないの丸分かりだし。使用料はちゃんと払えよッ! あと執事さんは離れて口から噴出してるモノがかかってるかかってるからァァアア! ちょっと、ねぇ、胸の部分が知覚したくもない液体と個体で生暖かいんだけど何なのこれ。パスタの形をした真っ赤な何かが混ざってるんだけど何なのこれ。ね、オイ、おい、は、離れて、離、離れ……ッ! 嫌……! 離れろ……!」
「おぅるぅるるうううううぅうぅぅぅぅぅうっ」
「だぁから内臓を吐くな吐くな吐くなぁあああああああ……ッ!!」
「使用料ぉ? それは価値のある物品や働き、または人に払う対価であって貴様に与えるお恵みではありませんよ? そのへんちゃんと理解してます? 無価値の貴方に払うお金はこの世の中に一銭たりともございません。残念でございました」
背後で行われる宰相さんの演説の最後。身動きを封じられた私の肩を、絶賛血液嘔吐中の執事さんが掴んだ。前後を挟まれ、逃げ道はどこにもない。私はこれから起こるであろう惨劇の予兆、彼の口元を諦めの境地で眺めた。 執事さんの薄い唇を割って、ゼリーに似た物体がぬるりと溢れ出る。一つ二つ、三つ四つと、私の目の前で次々に流れていく。現実って残酷。
「無価値とか。宰相さんのなかで私は一体なんなんですか」
「ゴミカス」
迷わず端的に、宰相さんが言った。
「せめて生き物にしてよね!」
執事さんの指がカウントダウンよろしく私の肩肉にぎりぎりと食い込み、人体の内側に納められていた肉、血、粘液に脂肪、皮膜。それらが全てが執事さんの口から噴出し、私の顔面、及び前半身に付着した。
「じゃあ人間エチケット袋でどうです」
「もうそれで譲歩するから助けてくれ。なんかぶつぶつしたイクラみたいなもんが大量にかかってんだ」
「ごうぇええええええええええええ」
執事さんの口からイクラが現世へとハローし続ける。
私の魂は虚無の彼方へと飛んだ。
………………………………………
「気絶するにはまだ早いです」
衝撃が私を襲う。
「ぉぎっ」
背骨に鉄球を叩き込まれたのかと思った。と言葉を出そうにも喉どころか全体がいうことをきかない。勝手にびくつく四肢は神経を揺さぶった衝撃の弊害か。脳は正常に思考を続けているのに対し、肉体は私の管制下から外れ、手の及ばぬ僻地へと飛ばされていた。
「口からヨダレ垂れてますよ聖女さん。城のメンツに示しがつかなくなるんで身だしなみには気を付けてください」
言葉と共に視界の右側から均整のとれた美しい顔が現れ、私の瞳を覗き込んだ。引き続き私を拘束する宰相さんである。返答を待つようにじっと様子を探られるが、痛みによって声も出せない私は、無意味に口を開け閉めし、呻き声を出して現状を訴えるほかない。
「え? なんだって? 私が死んだら死体は宰相さんに有効活用してほしいだって? なんとまあ、ありがとうございますぅ」
「んなッ……んなッ……なこと言うかッ!!!!」
「帰還おめでとう」
扱いやすくて助かります、と宰相さんが言った。私の正面には先程と変わらず執事さんが立ち塞がり、その身体中を赤く染めている。指先や服の端からイクラの粒が数個、ぱたぱたと床に落ちた。精神衛生上、最悪の映像である。
「聖子ちゃん唾液の分泌量がパないね。いまめっちゃ散りましたよ」
執事さんが自身の顔面を指差しながら言う。それを聞いた宰相さんが私の右腕部分を解放した。背後で身動ぎと衣擦れの音がする。まさかまた折檻か、と思い背筋を冷やしたが、どうやらそれは杞憂だったらしい。
「それ以上ヨダレ垂らさないでくださいって言ったじゃないですか。何で言われてすぐ流すんだ」
と文句を言いつつ、宰相さんは取り出したハンカチで私の口元を丁寧に拭ってくれた。ヤサシイ。珍事件である。珍事件の中の珍事件で更にその上をいく珍事件である。ヤサシイ。コワイ。礼を言わないと殺される気がする。
「あっ、……ありが」
そして宰相さんは瞬時にハンカチを床に捨てた。扱いが汚物。感謝の気持ちがぶっ飛んで消える。
「まぁ許して差し上げましょう。慈悲深い俺に感謝してくださいねヨダレ垂れ流しクソ豚」
「ブランド豚みたいな名前つけんな殺すぞ」
「うるせぇッ。全身の穴という穴から塩水流し込んで塩漬けにしてこっちこそ殺すぞ!?」
「ベーコン!」
顔面から床に叩きつけられる。
「聖子ちゃんって瞬間的に理解してツッコミするからすごいよね。なに? そういう本能?」
宰相さんが突如として私のすべての拘束を解き、あらんかぎりの力で突き飛ばしたのだ。そして続いて放たれた重力魔法が私の頭部を襲い、結果、熱したフライパンに顔を押し付けられたかのような痛みが私の脳神経を揺さぶるに至った。
「聖女さん。どうして貴女はいつも下劣で不快極まりない態度しかとれないんですか? どうして何回痛め付けても学習しないんですか? そろそろ五体解散しますぅ?」
「勘弁してけろください。おねげぇしますだ」
床にへばりつき、車に引かれた蛙の苦しみを味わいながら、私は慈悲の心を悪魔に向かって訴えた。頭上から声が降る。
「聖子ちゃん大丈夫ですよ。僕がいます、し、ああああイタい」
「執事さんッ!」
メシア! と私は本気で思った。が、すぐさま間違いだったことを悟る。
「肉体は残らず僕が喰い尽くします。ご安心ください。そして僕は君と同一になって生きる」
「包み隠さず喰うって言っちゃったよ。私が求めてたセリフはそれじゃないな。一瞬だけ芽生えた感謝の気持ちを返して」
「ぁぁマジでイタイぃ聖子ちゃん結婚しよ……」
「しないよッ。私死ぬんでしょ!? そもそも何で貴方はそんな怪我をしてるの!? テレポで飛んだ先で何やってたの!?」
重力の負荷が緩まったのを察知し、私は痛む体を起こした。よろめきながら胡座をかき、少々くたびれた様子の執事さんを見上げ、真相を尋ねてみる。問われた執事さんは鼻から一筋の血を流し、ハネムーン旅行はチュベリー惑星の東3丁目でいいかな、と言った。そんなことは聞いてない。大体それ一人旅になるだろ。私の要望を聞く意味あんのか。
「質問に答えろ」
「一世一代、漢の求婚を断る気なの聖子ちゃん。僕が死んでもいいっていうの。薄情だよ」
「執事さんこそ私が死んでもいいっていうの?」
「愛があればいいと僕は思う」
「おまえんとこの価値観はほんとオカシイよ!! もうはやく質問に答えろよ!!」
「おい豚、それなんだがな」
不機嫌さを継続したまま、宰相さんが口を挟んだ。
「『当たり』がきてます。それも『大』がつくやつ」
轟音が響き。
「先に言えよ」
部屋の半分が吹き飛んだ。
「先に言えよ」
つーか顔合わせた瞬間に言えよ。なに長々とコントしてんだよ。ラスボス前にセーブせず行っちゃたとか装備ミスとかそういう問題ですらねーよ。どうなってんだよ。マジでよ。
「前衛おねがいしまーす」
宰相さんがちょっと可愛く言った。イケメンが可愛い素振りしてあざとさ全開なんですけどなんなんですかね。絶対に許さねぇ。私は戦闘前からすでに負傷している体に鞭を打ち、立ち上がって叫んだ。
「先に言えよぉおおおおお」
言うの遅すぎだろ。なんなんだ。バカにしてんのか。
「早くしろ馬鹿」
してた。