序幕
ノックした。
だが、ノーリアクションだ。
再度、ドアをノックした。だがしかし、またも相手はノーリアクションだ。息を吸う。タイムラグの可能性を考え、しばし待つ。だが、だがしかし、已然として相手はノーリアクションだ。執行猶予は過ぎ去った。
息を吐き出す。
「いるのは分かってんだぞコンはげぇええええええ聖女なめんなぁあああああああ!? 地獄の果てまで追いかけて血肉の隅々にまで恐怖と苦痛を思い知らせてやっからなぁあああああああああぁァアアアア!?」
私は常日頃のストレスを怒声に込めて叫んだ。しかし、それでも扉が開かれることはない。無言での完全な拒絶である。ふざけてんのかコロスぞ、と思った。
このままでは埒があかない。仕方なしに、自力で扉を開くことにする。私はちょっとばかりの力を込めて、鍵の掛かった扉を手のひらでちょっとだけ、本当にちょっとだけ、押した。
………………………………………
俺の正面に土煙に押されるかたちで木造の扉が現れた。と思ったらすぐさま横切って窓を突き破り、とんでもねぇ轟音を響かせて庭先へと着弾した。着弾。間違いなく着弾だった。人を殺せる音がした。たぶん俺の大事な庭えぐれてる。思い出が詰まった俺の庭。まじか。さよなら。
「静かにしてくださいませんか」
やりかけの仕事を職務机に広げたまま、俺は防護の術を発動させた。これで書類があちこちに飛んだり、肥溜めに瞬間移動させられたり、復元不可能なまでに燃やされたりすることはない。この聖女との過去のやり取りで学習した対抗策である。これで書類は安心、安全だ。しかし、この術は範囲指定に難があった。つまり術者自身に防護はかけられないのだ。俺、いま、超絶無防備。そんな獲物を、彼女が見逃すはずも無かった。
「てめぇが息を止めろよ」
一ビンタ。
「そういう意味ではないのですが」
「そうだったのか、悪いな。少し言い方を変えよう。死んでくれ頼む後生だ」
二ビンタ。
「私が死んだら貴方も困るでしょうが」
「だがお前が死ねば少なくとも私の気分は晴れるから」
三ビンタ。
「その考えは余りにも即物的」
四ビンタ。五ビンタ。六ビンタ。七ビンタ。八ビンタ。コンボコンボMAXコンボ。
「――では? ……ねぇこれ叩きすぎじゃネェのぉおおおお!?????」
ボコボコである。顔は勿論のことだが、腹も痛い。持っていた万年筆を奪われ、その尻で何度も刺されているからだ。フタ閉めといてよかった。ペン先での負傷は御免こうむる。
「前途ある若者を誘拐しておいて何を抜かしやがる。しかも世界線を跨いで。しかも人身御供要員で。しかもご飯が美味しくて」
「最後はなんだッ」
「今日のカポチネーゼだかなんだか美味かったぞ!!!!!!」
「さんきゅう! コックに伝えとく!!!!!!」
「そんなことを言いに来たんじゃない」
「この惨状を見れば分かります」
いまだに埃っぽい。
どんだけ粉砕してんだよ、コノヤロウ。飛んでったドア粉みじんなんじゃねえの? おめぇどこまで馬鹿力なの? 実は人間じゃなくて重機なの? と言いたいが言えないのでそっと心に仕舞い込む。俺は王子である。心優しき青年王子である。王子がコンニャロとかクソマンコとか言わない。だから俺は努めて冷静に、紳士的に、彼女の話を促すのだ。
「一体なにがあったのですか?」
「クソガキをぶん殴ったら宰相さんに顔を殴られたんだ」
「あったりメェだろうがよーーーーーーーーーーーーーー!!!」
紳士やめた。やめざるを得ない。だってコイツ馬鹿だから。
「おまえ馬鹿なんじゃねえの!? おまえ馬鹿なんじゃねえの!?」
「アアアアァン!? 誰がバカだ! おめぇだバカは!」
「馬鹿のくせに反語を使わないでくださいませんことぉおおお?」
「どこにこだわってんだよ」
「ああーもうっ聖女が子供に手をあげるとか! 前代未聞! どーせまたお前くっだらねぇ理由だろ! ナア? もうカンベンしてくれる? どこまで俺達の品位を落とせば気が済むの?」
「お前が想像する10億倍の悪事をしでかしたクソガキだよ! 私は鉄拳制裁を加えたに過ぎん! 安心しろい!」
「ようし! その悪事ってのを言ってみろ!」
「私の目の前で肥溜めにごはんを落としました」
一瞬、俺は時を止めた。
風通しのよくなった部屋に、大自然から小鳥が迷い込む。俺はそっと小鳥を空中固定し、浮遊術で外界へと返してあげた。こんな穢れたところにいてはいけないよ……自然へとおかえり……。そんな、ゆるやかな現実逃避が終わった頃、俺は正面を見据えて言った。
「お前やっぱり馬鹿」
「だって! ごはん! 私の目の前で! 落とす! 非道!」
「ふざけてる場合じゃない」
「ごめんごめんごォッ!」
「この状況で人の神経を逆なでするお前の才能が怖ぇよ……ッ!」
「いいから早く助けてくれないか。具体的には私を元居た世界へと帰してくれ早くッ」
聖女が絨毯の上で地団太を踏む。無駄に軽快なステップで。小気味よい音と共に、砂埃が舞った。
「お前ひとりを帰すわけにもいかんだろう。大体、帰還方法なんて城の人間も誰一人わかんねーっつーの。知ってたら我先にと帰ってるっつーの」
「そんなごたくはいいから早く早く早く早く! 早くしてよ!」
興奮冷めやらない聖女が、早口でまくし立てる。豪快に割られた窓から部屋へと流れる風は、彼女の心を癒さないらしい。慌てた様子のまま、聖女殿は俺の腰まわりに手をかけた。
「ちょ、ベルトを掴むなよ」
パンツ見えちゃうだろうが。やめろよ痴女。
「はやくしてぇええええええええええええええええええ」
「なんなんだテメーは」
尋常じゃない様子に、俺の心は逆に凪ぐ。
「殺される直前の聖女でっすッ! よろしくねッ!」
「誰に殺されるの」
「鬼に殺されるの」
俺は……、そっと目を閉じた。
破壊神と見紛うほどの馬鹿力を持つ、無敵の聖女。その聖女が唯一、鬼と表現する人物。そんな人間を、俺はこの世界で一人しか知らない。俺の第六感、及び経験と知識が告げていた。あ、これ、関わったらアカンやつや、と。
「……出て行って」
「いやです」
「出て行って!!!!」
「いやです!!!!」
押し問答を繰り返しつつ、お互いに相手を物理的に押す。俺は聖女殿を部屋の外へ出すべく。聖女殿は室内へと避難するべく。年頃女子のおっぱい押しちゃってるけどもうそんなこたぁどうでもいい。にしても、入ったところでドア壊れてんだけど、コイツどうする気なんだろう。と思ったところで俺は閃いた。コイツ! 俺を! 肉の防御壁にする気だ! どこまでも人でなし女である。
「クソ馬鹿、なにやってんですか」
俄然、負けられないと意を決した瞬間、くだんの鬼、もとい彼は出現した。さすが完璧超人。一切の気配を感じさせずにテレポートしてきたらしい。死期を悟った聖女は今までに無い穏やかな笑みを顔にのせて遺言を残す。
「私の骨は海に撒かないでね……ちゃんと埋葬してね……」
「冷静ッ!」
ぜんぜん冷静じゃねぇよ、と聖女は瞬時に真顔になって言い放ち、直後、宰相に顔をぶん殴られて鼻血を噴いた。エグイ角度からのナイスパンチ。赤いしずくが絨毯へと垂れる。
「宰相ざん、ワタグシは反省しておりまず。お許しぐだざい。ほら鼻血もじゃいサービス。貴方ざまの服も血まぅぃれ」
「自己申告は認めない。聖女さんの場合、どうせ口だけでしょうが。今後の戒めに指の一本でも折ってやります。ジョキジョキとね」
「折りどうない折りどうないよぉ」
「擬音おかしくねーすか。切断してないすか」
「好きな指を出してねハート。愛情たっぷりに折ってあげるハートハート」
「ねえ、聞いて。私折りだくないの。あと語尾を音読じゅんなッ」
宰相。その名を持つ青年は、自身の足元にすがりつく聖女を一瞥して、深くため息をついた。その姿を眺めながら、俺はこっそりと冷や汗を流す。男としての意地もある。怖いとは言わない。言わないが……いや、ぶっちゃけ怖いっす。
「学習しろよ聖女さん」
宰相殿はそう言って、足元の聖女の脳天を。
粉みじんにした。
飛び散る灰色の脳みそ!! よくわからん液体!!
俺はもう現実を見たくない!!!!!! 寝る!!!!!!!!
俺は即座に気絶を選んだ。
異世界、寄せ集め国家。
今日も聖女はおっ死んで、マッドな宰相に蘇生されている。