チャリオット・イング
本来なら俺は死んでいるはずであったのだが、何らかの理由でこの世界へと渡ってきたしまったようだ。初めは戸惑いもあったが、今ではある程度馴染み、この世界の住人の一員となっている。
俺の名前はチャリオット・イングという。
風になびくロングコートは元いた世界で使っていた物と同じだ。こちらに来た時、持っていた物は使い慣れた物ばかりであった。
服装などは特にこだわりがあった訳ではないが、なんとなく慣れた物だったので今も使っていた。ただ帽子は明らかに軍の物と判る官帽を着用しているといらぬ面倒に巻き込まれた経験から、こちらの世界で購入したトラベラーズハットを使っている。
またどうやら魔術系統が違うらしくファイアハンガーの銃撃機能は殆ど使えなかった。最初はそこまで気にしていなかったのだが、どうも俺は自分で思っていたほどには剣を上手く扱えていないらしい。そのため新しく射撃武器を自分で創り使用していた。これでも故郷の世界では錬金術の導師、それも兵器開発の関連をやっていたので時間さえあれば普通にそれぐらいは出来た。
見た目は短槍に近いが穂先は60cmほどの鉄の筒になっている。
タンネンベルクという分類の鉄砲火器だ。
もっとも火薬ではなく魔導とエーテルを利用した魔法銃なのだが。
手作りにしては出来が良く仕上がり自信作と言っていいだろう。
自己紹介はこんなものか。
さて現在。
「本当にこっちであってるんですね?」
元はきちんと整備されていたのだろうが、人通りが絶えて久しいせいか荒れてしまった山道を登りながら俺は後方の人物に確認した。
「えぇ、多少の遠回りですけど。」
小振りの旅行鞄を下げて動きやすいシャツとズボンという出で立ちの女性が答える。
女性はレミリア・アストレアと名乗っている。
「わかりました。……少し嫌な感じがする。気をつけて進みましょう。」
「えぇ。ご迷惑をおかけします。」
「構いませんよ。」
俺が彼女と行動を共にするようになったのは2時間前に遡る。
特に目的もなく旅を続けていた俺は寂れた街道を歩いていた。
昔はこの世界の一大宗教であるディエム教の巡礼者で賑わっていたようだが、東にもっと大きな街道が整備されて森や山を通るこちらの道は整備されてるとはいえ魔獣との遭遇率が高く、次第に使われなくなっていったらしい。今ではこちらの道を使うのは余程旅路を急ぐ者か昔からのしきたりに拘るディエム教徒ぐらいしか使わないらしい。
俺は単純に面白そうだからという理由だけでこの道を歩いていた。
「ん?」
少し辺りが騒がしい。
複数の生き物が走り回る音。
何やら声のようなものが聴こえる。
「待てぇ!」「おらぁぁ!」
あまり品の良いとは思えない怒号。こちらは追跡する方か。
声と音は次第に近づいてきている。
俺は腰を落とし、タンネンベルクを槍のように構える。
ガサガサガッ、と一際大きな音を立てて茂みから女性が飛び出してきた。
女性は後ろばかり気にして俺の事にはあまり気づいていないようだ。せいぜい邪魔な奴がいる、程度で俺の事には構わず真横を走り抜けていく。賢明な判断だ。
そのすぐ後。
怒号を挙げて数人の男が茂みから飛び出してきた。
軽いが、しかし小さくない破裂音。
呻きをあげて崩れ落ちる男達とその足元に転がっている無数の小指の先ほどの鉄球。
タンネンベルクに内蔵されたエーテルにより生成された鉄球を魔法により射出したものだ。
そんな事が解るのはこの場で俺だけだが、そもそも気にする人間など皆無だ。
何が起こったのか理解できずに呆気に取られている女性に対し俺は駆け寄って声をかけた。
「ほら、今のうちに!」
「え?あ、あぁ!はい!」
すぐに我に帰った女性はそのまま街道を走っていく。
俺は戻る事になるその道を女性の後を追って走った。
少し街道を戻ったところにある宿場町に到着した俺と女性はそれぞれに名乗りあった。
「ふぅ。よろしく。ところで早速で悪いんだけど、何で追われてたんです?」
「えぇ。実は……」
俺の質問に女性はポツリポツリと話出した。
私、レミリア・アストレアはここから北にある山間の小さな村の村長の娘だ。
私の住む村は今、危機に瀕していた。
いつからなのかは私は正確には知らない。たぶん去年の終わりぐらいなのだと思う。
誰が原因か……恥ずかしい話だが、私の父と兄、つまり村長と次期村長が原因であると思う。
きっかけはどこの村にもある出来事である。
村で不作が続いた。
特に日照りや雨が続いていた訳では無い。病気や動物の被害がある訳でもなかった。
単純に何世代にも渡り同じ土地で農業を続けたきた影響で土地が痩せたのだ。
「それだけならどこにでもある話でした。」
「まぁ、聞かない話じゃないですね。」
「ちゃんと肥料を与えて、時間をかければ元に戻ったはずなんです。」
「……時間をかける余裕がなかった訳か…」
「はい。」
私は目の前の恩人の問いに小さく頷いた。
作物が不作の理由が土地が痩せた為だと気づいた頃には私達の村の備蓄は昨年から続く不作でもはや残り少なくなっていた。食料としてだけでなく貴族への税もある。
このままでは村はやっていけない。
私達は魔法に頼る事にした。
別段珍しい事ではない。
土地の大半は肥料と時間をかけて回復させ、生活に必要な最低限の範囲を魔法で活性化させ土地が回復するまでの収穫を確保する。
問題はその魔法を使う術師である。腕の良い魔法使いに頼むには相応の報酬がいる。しかし小さな農村それも頼みの農業が打撃を受けているとあっては払える額は限られてくる。
「父と兄が探してきた魔法使いはラブトと名乗っていました。」
見た目は爽やかな青年だった。腕も確かで農地にかけた魔法もごく一般的な魔法である。
だが。
「彼は成果を見届けるといって村に留まりました。報酬も私達が払おうとした半分しか受け取らず、逗留している間の宿と食事だけもらえればあとは何も要らないとの事だったの、最初は皆、彼の事を親切な魔法使いだと思っていたのですが……」
異変が起きるまで彼がやって来てから1週間も経っていなかったと思う。
「村人の1人がまるで無気力になり仕事も何も手が付かない状態になりました。最初は当面の危機を脱して気が抜けたのだろうと思っていたのですが……」
「似たような症状の人間が日毎増えていった、と?」
「はい。今では村の半分程に。もしかしたらこうしてる間にも増えているかもしれません。」
仕事が手に付かない。それだけなら良かった。他の者が悪態をつきながらもその者の分まで働く。それだけで穴埋めはできたから。
けれど、無気力になった者は「何も」する気が起きなくなった。
動く事をやめた。
「食事を取らなくなった事が原因で子供が1人死にかけました。幸い一命は取り留めましたが……」
何が原因か、など考えるまでもなかった。
ラブトのもとに押しかけ詰問した。
すると彼は何食わぬ顔で答えたのだ。
「私が犯人だとして、何か証拠でも?第一私は村長殿の招聘でここに来たのです。追い出したければ村長殿に直訴すればどうです?」
その態度から彼が何かしているのは明白だったが、同時に彼の言うとおり証拠がなかった。
そのうえ。
「父も兄も、まるで人が変わってしまったようにラブトの言いなりになっている。このままでは村は全滅です!」
「それで最寄りの警備隊に通報しようと村を出た訳ですか。ところでさっきの男達、あれは村の?」
「いいえ、ラブトがどこから雇った者達です。」
イングと名乗った男性に事の次第を説明しながら私達は警備隊の詰め所までやって来ていた。
「すいません。どなたかいらっしゃいますか?」
中に向かって呼びかけるといかにも事務方といった風情の男性が出てきた。
「何か?」
「実は……」
私はイングへ語った内容と同じことをもう一度話した。
「申し訳ない!」
しかし、レミリアの話を聞いた受付に出た男の応対は少なくとも彼女の予想とは違っていただろう。
「主だった警備隊の面々は今は東の街道で魔獣討伐の任務の真っ最中でして……早くても3日は帰ってこないと思います。残っているのは僕を始めとして戦えない者ばかりで……」
本当にすまなさそうに謝る男と呆然とするレミリアを交互に見ながらさてどうするかと俺は考えた。
警備隊は確かに辺境の村にとって頼みの綱であるが、そのモットーは「より多くの人々の為に」という分かり易いものだ。
今から使いを出してもらって依頼が受理されても優先度は不特定多数な人々が使う街道が優先される。
そのうえ街道に出た魔獣とはミノタウロスらしい。
俺は出会った事はないが、一流の騎士が数人で戦っても死を覚悟するほどらしいから辺境の警備隊にとっては総力戦だろう。
トボトボと力無く歩くレミリアの後ろを歩き俺はまだ考えていた。
「あの……今更こんなことを言うのも恥ずかしい話ですが…」
何事か決心した様子のレミリアの言葉を俺は右手を挙げて遮った。
「あのゴロツキをぶちのめした時点で協力するつもりですよ。でなきゃ事情なんて聞きません。」
俺の言葉を聞いたレミリアは目が点になっている。
先ほどから俺が考えているのは彼女に協力するかしないか、ではなく。
「まぁ、そのラブトって奴が何を企んでいるのかよく分からないから、少し面倒になりそうですが……原因がはっきりしてるならやる事自体は簡単ですよ。」
ようやく状況が飲み込めたらしいレミリアは少し考えた様子で首を傾げた。
「つまり、ラブトをぶっ飛ばす、といことですか?」
「まぁ、そうなんですが……もうちょっとオブラートに包みましょうよ、お嬢さん。」
俺は苦笑しながら再び街道へと向かう。
レミリアはまだ少し考えている、というより疑っている。
それはある程度信頼した人間に裏切られた直後でこんなお人好しだ。
疑うぐらいがちょうどいい。
「元から性分でして。どうも、困ってる人を見ると、カッコつけて助けようとする。特にそれが女性ともあれば尚更ね。」
彼女の気が紛れればいいなと俺は冗談めかして言った。
ほんの少し、それまで硬い表情だったレミリアの顔が和んだ。
もっとも。
俺の言葉に気を許したというより、何言ってたんだこいつは、というような呆れ顔に近い感じだったが。
こうして。
俺、チャリオット・イングと彼女、レミリア・アストレアは悪い魔法使い退治へと向かっているのだった。
以上回想おわり。
村へ向かう道は途中までは街道を使い、途中からはレミリアの案内で滅多に使われないという裏道を使った。
道というより殆ど山林である。
「ここは村の人間でも知っている人は少ないですし、ご覧の有様ですから土地勘の無い人間はまず使わないと思いますよ。」
藪を払って進む俺にレミリアはそう説明して。
現にレミリアに言われなければこんな林の中を通ろう思わないだろう。下手に入れば木々で方向を見失う。
まぁそんなことは置いておいて。
会話が途切れたのを機会に俺は少し気になっていた事を聞くことにした。
「そのカバン。」
「え?」
「小さめですけど、たかだかあの距離を移動するには多すぎる。俺の勝手な予想ですけど、もしかして……?」
「ち、違います!」
村を見捨てるつもりもあったのかという俺の言外の問いに彼女は顔を真っ赤にした。
「これは…その……全部が終わった後に。」
レミリアは言い淀んだ。
「お話した通り、村は小さく、寂れています。滅多に人も通らない。たまにくる行商や巡礼の人に他の土地の話を聞いては想いをはせる。そんな事をしていたらその……」
「自分の目で見たくなったと?」
こくこくと頷くレミリアは気まずそうに黙ってしまった。
俺がそのことを咎めるとでも思っているのか。
それとも村の一大事を理由にそんな自分のわがままを通そうとしている自分に憤っているのか。
「良いんじゃないの?」
ため息混じりに言った。
「別に自分のやりたいようにすれば。きっかけなんて何でも良い訳だし。」
彼女の方は向かず、あくまで独り言というポーズを取ったのはレミリアへの配慮ともうひとつ。
前方に何かがいる。
黒い大きな人影。しかし頭は無い。
「なに……アレ……」
レミリアは直感的に危機を感じたようだ。
正しい。
俺はその姿に心当たりがあった。
レミリアに動かないよう合図を出すと一気に駆けた。
タンネンベルクの銃身には黒鉄のエーテルを仕込んである。意識を集中し、望む形、刃を形成する。村が近い。地形的な事を考えると下手に大きな音を立てる訳にはいかない。
本来銃口である部分から槍の穂先が表れる。
「おい」
俺の声に反応し、黒い影は振り向いた。
胸部に巨大な単眼。
俺を視認すると同時にそこに魔力が集っていくのが分かった。撃たせるつもりは毛頭ない。
一足飛びに踏み込み、半ば投げつけるように槍を突き出す。
最大の武器であると同時に最大の急所である単眼を貫かれたソイツは何も仰向けに倒れていく。
念の為にとその倒れた体にもう2、3回穂先を突き刺し完全に動かなくなったのを確認して俺はレミリアに声をかけた。
「もう大丈夫です。」
恐る恐るといった様子で近づいてくるレミリアの視線は俺の足元で動かなくなったソイツに注がれていた。
「コレは?見たこと無いけど……魔獣?」
その問いに俺は、
「すいません。」
そう言って深々と頭を下げた。
「え?え?なんで謝るんです?え?」
「どうやらこの一件、下手をすると俺の元いた世界が絡んでるみたいだ。」
黒いソレ、混沌の使者が自然発生するならば近くに混沌本体があるはず。しかしそんなものは見当たらないし、独特の気配もない。
となれば、誰かがこれを人為的に創り出したのだ。
死ねば消滅する使者がまるで普通の生き物のように死体を残しているのがその証拠だ。
「とにかく、急ぎましょう。」
俺はレミリアに進むように促すと足早に進み出した。
エーテル。万物の素ともいえる錬金術の重要なアイテム。
「俺の世界の錬金術はこのエーテルを取り出し、有効活用する為に発展しました。」
そう言って俺は懐にしまっていた掌の大きさほどの虹色に煌めく水晶を見せる。
「ジェム・エーテルといって様々な宝石のエーテルの複合体です。俺の世界ではこれの生成、所持は重罪にあたります。理由は。」
ジェム・エーテルを握りしめ、水筒の水をかける。
すると、エーテルに触れて垂れた水滴はまるで宝石のように輝く結晶となった。1種類だけでなく何種類もの宝石が俺の足元に「滴り」落ちた。
「これは……」
「小粒ですが間違いなく本物の宝石ですよ。エーテルの生成には専用の器具と原材料、例えば金のエーテルなら金塊が、必要なんですが、原材料と知識と根性、時間があれば魔法陣からでも創れる。」
「はぁ?」
村が見渡せる場所で足を止め、木陰に隠れながら俺はレミリアにエーテルについて説明していた。
急に専門的な話をされて困惑しているが、ここはもう少し我慢してもらおう。
「俺の武器にも、形成の媒介は水ではなく俺の魔力ですが、エーテルを使ってます。」
とりあえず頷く彼女の忍耐に感謝しつつ俺は本題に入った。
「先程の生き物は俺の生まれた世界に属するものです。本来はこの世界にはいない。となれば考えられるのは2つ。」
「あなた達、異世界人のように世界を渡ったか、誰かが造った?」
「理解が早くて助かります。では造ったとして誰がどのように?」
「ラブトが?」
「まず間違いないでしょう。こちらの世界には生き物だけでなく道具も渡ってくると聞きます。俺の世界の何らかの書物が彼の手にあると考えると何となくですが、彼が何をしようとしているか想像がつく。」
そこまで説明すれば後は言う必要はなかった。
「あの生き物を量産しようとしているのですか?」
あんな恐ろしい物を、とレミリアは身震いしたが、俺は首を横に振った。
「アレはおそらく番犬として造ったのでしょう。本命はもっと別。ただし彼は勘違いしていますが……」
「勘違い?」
レミリアが問い返してきたがその言葉には答えず代わりに村の一角。崖に面した物置小屋としか思えない建物を指差して俺は尋ねた。
「あそこがラブトに貸し出されている小屋ですね?」
「えぇ。彼があそこが良いと言って、使われてなかったのでちょうどいいと。」
その言葉に頷きながら今度は酒場らしき場所に目を向ける。
ちょうど昼間のゴロツキが入っていくところだった。
「では、そうですね……一休みしましょうか。」
「へ?一休みって…ちょっと!」
木にもたれかかり明らかに眠る体勢に入った俺にレミリアが静かに怒る。
「何考えてるんですか!村はもう目の前なんですよ!」
「まだ日が高い。もう少し夜が更けてからの方が色々都合がいいですからね。それまでしばらく休んで英気を養うんですよ。レミリアさんも少し休んだ方がいい。なに、心配しなくてもここは見つかりませんよ。」
そう言って俺は軽く笑うとふと思い出してコートを脱いだ。
そして脱いだコートをそのままレミリアに渡す。
「流石に夜は冷えますからね。特にここは山の中。体が冷えて風邪でも引かれては大変ですから。」
不貞腐れ気味のレミリアは渋々といった具合でコートを受け取ると、ちょうど木の根と根の間のちょうど良さげな窪みに入った。
だいぶ疲れていたようで程なくして心地よい寝息が聞こえてくる。
それを確認すると俺もそのまま眠った。
日は完全に落ち、夜。
一晩中続くはずだった酒盛りを中断された男達は不機嫌であった。酔いは魔法薬で強制的に醒めている。
彼らの依頼主によれば、この山中に昼間の女と男が隠れているらしい。
わざわざ夜中に行けと命じたのは彼が油断し眠っているから、と聞いている。
「へ、しかし魔法ってのは便利だなぁ、おい!」
男の1人がそう言って笑った。
6人いる男達は足元さえ見えない夜の山中で1人として松明を持っていなかった。雇い主がかけた暗視の呪文は彼らに夜の闇で活動するのに十分な視界を与えていた。
「おい見ろ。へへ、こりゃ案外楽かもよ」
仲間の声にそちらへ行けば明らかに人が草木を払った形跡があった。
「腕は立つが考えは素人だな。へっ!さっきのツケをたっぷり払ってもらうか!」
「男の方はさっさとぶち殺すとしてよ、女だよ、女!あの魔法使いは殺せっていったがよ、多少楽しんだ後でも問題はねぇよな?」
「おらぁ別に死体でも構わんけどよ。あのキュッて締まる感じは生きてる体じゃなかなか」
「おめぇの趣味は聞いてねぇ!」
イングが作ってしまった道を男達は下卑た笑いを浮かべながら進んでいた。酒盛りを中断されて不機嫌さは既に消えている。
「げぐ」
突然、気の抜ける声と何かが倒れる音がした。
「おいおい、転びでもしたか?」
突然倒れた男に近寄った男は自分の不注意を呪う。後頭部に鈍い痛みを感じ、その男は声も出せずに気を失った。
「おい、どうした⁉︎」
異変に気付いた残りの4人は咄嗟に剣を構えた。
何かが自分達を攻撃している。
何かは分からないが巫山戯た事をしてくれた。きっちり礼はしてもらおう。
カッ!
いきり立つ男達はその音がした方を向いてしまった。
「うぐぉぉあああ‼︎‼︎」「目が!前が」「糞が!」
火打石で点火されたばかりのそれは光源としては役に立たない小さな炎であった。
しかし星明かりを何倍にも増幅し、昼間と同等の光に見せる今の彼らの視界にとっては、まさに殺人的な明るさである。
デタラメに剣を振り回してもも、ちろん襲撃者に当たるはずはなく、少しばかりの同士討ちの後、彼らもまた気絶させられる。
男の1人は走っていた。
偶然木が邪魔になり彼は火を見ずに済んのだ。木が邪魔で襲撃者を見る事も出来なかったが人間で有る事は間違いなかった。
走っていたのは逃げていた訳でない。
襲撃者から十分な距離を空け、今度はこちらが襲うだ。
「調子に乗るのも今のうちだぜ……」
十分に走り、追ってくるであろう襲撃者を待ち構える。道の左右に視線を走らせながら男はその時を待った。
ジリジリと時間が過ぎる。
「罠とか考えなかったわけ?」
後ろから掛けられた声は物理的な衝撃を伴っていた。
硬質な物で肩を叩かれ、膝を払われる。
態勢は崩れたがそれでも意地で剣は手放さなかった。
その剣を握る右の手首を叩かれ直後に剣自体も叩かれる。
型通りのディザームだ。
落ちた剣を咄嗟に拾おうとしたがそれよりも早く足で払われて藪の向こうにいってしまう。
男は剣を拾おうとした姿勢のまま喉元に剣を突きつけられ動けなかった。
左手に昼間の奇怪な棒を持ち、右手に剣を構えた男は翠の目に肩まで伸ばした黒髪と昼間邪魔した男そのものである。
「てめぇ……」
「まぁ、色々聞かなくてもわかるから簡潔に行こう。」
そして今まで襲撃者の立場を取っていた俺、チャリオット・イングはそう言って友好的な笑顔を浮かべた。
「まずは……お前、雇い主が何をしてるか、具体的に分かるか?分かる、知ってる範囲で全部答えろ。」
笑顔はそのままに喉元の剣を少し突き出す。
「魔法的な実験してるって事ぐらいだよ。見た事あるのは変なバケモン作ってるとこだ。他にも何かしてるみたいだが、俺は知らん。」
吐き捨てる男からは喉元の剣に怯えている様子など皆無である。
豪胆、なのではなく、どうすれば命は助かるか心得てる感じだ。
(慣れてるな)
などと少し場違いな感想を抱きながら俺は同時に男の態度をありがたく思った。
「次。お前らは雇い主から何か呪文をかけられてるか?」
「見ての通り暗視の呪文。それと出る前に渡された酔い覚ましの魔法薬を飲んだ。それ以外は知らん。」
男から感じる気配は別に怪しいものは無い。遠隔地、もしくは条件完了で対象を殺傷する類の呪いや魔法が掛かっているならもう少し嫌な感じがするはずだ。
「口封じをするつもりは無い、か……完全な捨て駒、というよりどうでもいいという事か。」
男の話からしてラブトは混沌の使者を自身の警護に使うつもりだろう。予備知識無しで立ち向かうには確かに危険な相手故にその判断は正しい。
「最後、お前らは何で雇われた?何か弱味を握られてるのか?」
ラブトに取って完全にどうでもいいと認識されているならこれ以上問い詰めたところで何も知らされていないだろ。
「金だ。」
あっさりと単純に男は答える。
それならば話は早い。
俺は剣を引いて、代わりに小さめの袋を投げつけた。
「いて」
「その中身で足りるか?」
硬質の物体を投げつけられて多少不機嫌な男の表情は、袋の中を見て吹き飛んでいる。
昼間、レミリアにエーテルの説明をした折に作製した宝石を袋には詰めている。
「も、もちろんでさぁ」
声音と口調が変わる。
この男、質問中の態度といい、こういういかにも小悪党な事を続けてきたのだろう。そして多分これからも続けていくだろう。
「仲間と山分けか、独り占めかは任せるよ。」
男にとって仲間意識より損得勘定の方が人生のウェイトを占めているようだ。
一目散に逃げていく男を呆れて見送り、俺はレミリアが眠る木陰へと戻った。
道中、少し同情したので男達の手に僅かばかりの宝石を乗せておいた。
完全に熟睡していたレミリアを起こし、俺はいよいよラブトの根城に乗り込んだ。
「こんなものを……」
「まさに悪の魔法使いって感じですね」
小屋の中は一見すると別段変わった様子は無かったが、床板の一部が剥ぎ取られそこから地下へ向かって階段が伸びていた。
「これも魔法、ですか?」
「八割労力の無駄ですが。」
わざわざこんなもん作るなら村長の屋敷の部屋2つ借りればいいのに、と俺は思ってしまう。
「まぁ、向こうさんの美学にどうこう言っても仕方ないですからね。降りますよ。あ、多分少し降りたらすぐですから。」
レミリアに注意して俺は、予想より少し長く入り組んだ階段を進み、その場所に出た。
大の男が6、7人暴れてもまだ余裕がありそうな狭くはないが、しかし広くもない空間。
明かりの松明で照らされた範囲で全てだろう。
雑多にフラスコやら魔法陣やら黒板やら書籍やらが点在するその地下空間、ちょうど階段を降りた反対側にそいつは立っていた。
「ようこそ、レミリアお嬢様、それとお節介な旅人さん」
確かに見た目は20代そこそこの普通の青年である。挨拶も嫌味なねちっこさが無ければ爽やかだ。
「ここで貴方が何をしていたか、という事は深く追求しません。私の要求は一つ。今すぐ村から立ち去ってもらいたい!」
俺の後ろからレミリアがラブトに向かって力強く宣言する。
今にも近づいて胸倉を掴みそうな勢いだが、流石に危険なので軽くレミリアを制しつつラブトに対しては目線で牽制する。
「いやいや、折角だから追求してもらいたいものでよ。それにあなた達が呑気に寝てる間に完成したのですよ!この世界中の人間が求めてやまない至高の魔法がね!」
男はそう言うとビーカーに入った濁ったゼリー状の物体を見せつけた。
「何ですかその気持ち悪いゼリー。そんなくだらない物を作る為に村の人の命を危険に晒したのですか!」
「くだらないとは失敬な!それにね、これでも安全に作った方なんですよ?元々の創り方では術者か、もしくは誰か1人の命は確実に犠牲になる。それ私は村の人間から少しずつマナを吸い上げる事で誰の命を奪う事なく創りあげたのです!褒め称えられても良いぐらいですよ!」
レミリアの言葉にラブトは自慢気に語っている。魔術師という人間は多かれ少なかれ知識欲の塊だ。そして知識欲とは自己顕示欲と密接に繋がる。
「これは錬金術の秘宝、すなわち」
「エリクサー、生命のエーテル、黄金の霊薬、賢者の石。」
ラブトが続けるはずだったセリフを奪い俺はこのアホな魔法使いをせせら笑った。
こいつはどうやら魔法使いのくせに本を読むという事をしないらしい。
「其の物、一つの輝きを封じ永遠を与う。手に入れし物は不変の輝きを、永久に損なわれる事の無い輝きを得るだろう。」
俺の世界で錬金術に携わる者なら誰でも言えるその一文を声高に唱えあげる。
むっとした様子のラブトだったが、少し咳払いして大仰なポーズを取った。
「そういう事だ!」
「意味がわかりません。何がそういう事なんですか?」
「つまり、あいつはアレを飲めば自分は不老不死になると勘違いしているんですよ。」
「勘違い?何をバカな。永遠の輝きとはまさに永遠の命に他ならない!……長々と語りすぎた。」
「語りすぎだアホ」
「偉大な研究がわからぬ下賤の輩はここで死ね!」
ラブトが叫ぶと床や壁、天井に描かれた魔法陣から続々と黒い影、混沌の使者が現れる。
俺はタンネンベルクを構え、レミリアを下がらせる。
「ようやく分かりやすくなりやがった。」
「ふん。その魔術具を持ってしてもこの数を1人で相手にするのは大変だろう?」
出てきた数は8。
確かに予備知識無しではキツイ数である。
数だけ見れば。
「阿呆が。にわか知識でいらん事しやがって。本物の錬金術師を教えてやるよ。」
「ふん!強がりを!」
俺はタンネンベルクの穂先に刃を形成する。
「いいか。エーテルってのはなぁ!こう使うんだよ!」
その穂先を遠慮なく床へ突き刺す。
そして意識を集中する。
混沌の使者はジリジリとこちらへ距離を詰めてくる。
その足下。
破裂音!
突如大地から金属の刃が出現する。それも1本や2本でなく大量に。円弧状に出現した刃は混沌の使者を一瞬で貫き、その全てをただの物体へと変えた。
「そんな⁉︎」
見た目通りの大技だ。
元の世界では熱量を。こちらの世界では精神力を消耗する。
さらに言えば溜めが必要で、その間に対象が派手に動けば当たらない。
普段は使わないしそもそも使えないのだが、数が数であるので後方のレミリアに万が一がある可能性があった。それにこの狭い空間で縦にも横にも人間の倍近い生き物が機敏に動けるはずも無く。
しかし、自慢の魔法生物がやられたという動揺からラブトは一瞬で立ち治ると持ったままだったエリクサーを一気に飲み干した。
止める暇など無かった。
「ふふふ…はぁははは!これで僕は不死身だぁ!」
「あぁ!」
高笑いするラブト。レミリアは奴の言葉を真に受けへたり込む。
確かにこんな阿呆でも不死身になってしまったら勝ち目は無い。
不死身になるなら。
「はははははは…は?なんだこれは……こんな事…僕は知らない!なんだなんだこれは⁉︎」
高笑いしていたラブトが突然頭を抱えても悶え出す。
「だから言ったろ勘違いだって。」
悶え苦しむラブトを他所に俺は呆れ顔で腰を降ろす。
「えっと?あの勘違いって?」
状況の説明を求めてくるレミリアに俺は多少投げやりに説明した。
そもそも、この世に不老不死など存在できない。
様々な実験や風評から誤解されがちだが、錬金術はあくまで化学と魔法の中間的な技術だ。
化学的実験により物体をエーテルへと変換し魔法的術式をもってそれを有効活用するだけの話だ。
では、エリクサーによって与えられる不変の輝きとは?
「知識ですよ。アレを作った術師はね、どうしても後世に伝えたい事がある時にエリクサーを造って液体の時に飲む。そうすると、エリクサーは体内で固まって石のようになり、飲んだ術師の知識と魔力の一部があの中に封印されるんですよ。」
「はぁ」
「エリクサーを見つけた人間はその中の知識を知りたい時に魔力を込める。すると石の中に込められた術師の魔力が幻影となってら表れ、その知識を語る、という仕組みです。間違っても誰かの知識が入ってる状態で飲んではいけない。」
「飲むとどうなるんです?」
「知識が逆流するんです。そうなると大変だ。人間の脳はデリケートでしてね。突然入ってきた知識や経験に対して過剰に反応してしまう。」
俺はそう言うと今はへたり込んで動けなくなっているラブトを指差した。
「誰かの命が犠牲になるのは、その人間が死に際に飲むからであって別に作るのに必要な訳じゃない。それを勘違いしたあいつは村人から魔力とそして無作為に集めた記憶をアレに籠めることになった。そしてそのまま飲んでしまって、脳が拒絶反応を起こして、ってところですか。」
「よくわからなかったのですけど、要は薬の作り方も使い方も間違えた自業自得で、村の人は彼のバカに付き合わされたと?」
「そうなりますね。救いは魔力は自然に回復するので放っておいても村の人の体調はいずれ元に戻る事と、あいつのかけた農業魔法は的確だった事ですか。」
「はぁ……ってことは別に人を呼ばなくても良かったって事じゃないですか……なんか無駄なことをしたって感じです。」
呆れたとばかりに大きな溜息を吐いてレミリアは階段を登る。
その後を追いかけながら俺はレミリアの言葉をやんわりと否定する。
「エリクサー自体は失敗だったかもしれませんが、混沌の使者、あの黒いヤツは野放しには出来ませんでしたよ。」
多少なりともフォローになっただろうが、しかし、なんとなく徒労感は拭えない終わりとなってしまった。
その後、村人は1週間かけて復調した。
その間俺とレミリアは無気力状態の村人達の介抱をして過ごし、俺はレミリアの父、村長からほんのささやかではあるが御礼なども受け取った。
「また会いましたね。」
「なんとなくそんな気はしましたよ。」
俺が村を発つ日に合わせてレミリアも自分のわがままを通した。
ラブトの件があり、負い目があった村長は娘を止める事が出来ずそのまま俺とレミリアは一緒に村を出た。
そしてしばらくした街道の別れ道でそれぞれ違う道を選んだはずなのだが。
何故か半日もしないうちに顔を合わせてしまった。
「ところでイングさん。女性の一人旅は何かと危険が多いってご存知でしょうか?」
「そうですね、よく聞く話です。」
「護衛、という程のものではありませんが、自分で自分の身が守れるようになるまで誰かの力をお借りしたいんですが、心当たりとかいらっしゃいませんか?」
「現状1人だけいますね。ある程度暇で、特に旅の目的も無い人間が。」
「仲介をお願いできますか?」
「構いませんよ。それでまずはどこに向かうつもりですか?」
遠回しなやり取りを交わし、俺はレミリアに尋ねた。
「決めてません。とりあえず街道のままに進むつもりです。」
彼女はそう言って笑うと先へと進む。
そろそろ旅の道連れが欲しいところだったが、さて、このお嬢さんと長くやっていけるかどうか。
期待であるはずのその感覚に、半ば確信を感じて俺はレミリアの後を追いかけた。