戦いである!……やるしかない!
スライムに戦闘はムズイ……
澄んだ青空へ、地平線より日輪が登る頃。とある石造りの家の屋根の上では――
(1、2、3、4、5、6、7、8! 2、2、3、4、5、6、7、8!)
……超高速で蠢く銀色の物体が居た。日課の体操をしているスライムな彼――シノブである。
良い加減、普通に体操するのに飽きた彼は、スピードを速くして体操する事に挑戦していた……ぶっちゃけ、キモイ通り越して怖い。
(良し! 終~了♪ 今日も元気に――)
「アンタ! 朝だよっ!」
「ぐぼほぅっ!!」
(……今日は、鳩尾にエルボーかな?)
* * *
朝食――野菜と肉の豪快な炒め物――を終えたシノブは……ブラブラしていた。
エルフや獣人の村落に居た時と違い、やる事が無いのであった。
治癒液の提供――「ツバ付けときゃ治る!」何て言う連中が必要とする?
家畜の治療――ンなモン居ねえし!
子供達の遊び相手――初日の報復で怖がられて逃げられちゃってます。テヘペロ♪
作業の手伝い――スライムはお呼びでない……
……そんな訳で、彼はこの世界初めてのニートスライムに成っていた。
(そんな称号、嬉しく無いし……)
哀愁漂よう雰囲気のまま、シノブは適当に街の中をブラブラする。
――――スライムブラブラ中――――
(結構長~く続いてるね~)
街中をブラつき、ドワーフ達の作業を間近で見るのも良い加減飽きたシノブは、今は使われていない坑道の中を探検していた……正直、ただの暇潰しである。
ドワーフの街には少なくない数の廃坑が在るのだが、使われていないと言っても、入口は厳重に封鎖されている訳でも無く、簡易的な柵で塞がれているだけであった……この辺りは、豪快……と言うか大雑把なドワーフだからと言えようか。
ぶっちゃけ、子供達の遊び場所になっているのだから、もうちょっと安全管理に気をつけろと言いたいシノブであった。
(落盤とか起きたら危ないしね)
先日、被害に遭ったばかり故に切実に思うシノブであった。
(……使われなくなって、結構経ってるね)
床に薄く積もった埃と、壁や天井を支える木枠の変色の度合いから推測するシノブ。そのまま適当に、気の向くままに進んで行く。
(――――ん?)
何も目新しい物も見つからないままに進んでいたシノブは、微かに聞こえた音に足を止める。
(……そっち?)
音のした方へと向かうシノブ。光魔術で光球を生み出して確認してみるが、しかし、そこには壁があるだけ――
(――壁から音がしてる?)
確かに音が聞こえる。しかも、徐々に大きくなってきている。つまり……
(……後ろに向かって前進)
ヤバ~イ感じがするので、一歩どころか数歩分下がるシノブ。
――次の瞬間には壁の一部が崩れ、ソイツが姿を現した。
……かなりデカい。その大きさに心のデフコンレベルを引き上げて、更に後ろに下がるシノブ。高さで言えば1メートル程。しかし、身体を入れた長さで言えば3メートルはある。
全身は褐色。太く短い前腕には指の様に無数の突起が有り、手の様に見える。全身に細かい毛が生えていて、上半身はどこかザリガニに、下半身はバッタやコオロギに似た生き物。
(……ケラ? 子供の時に見た事有るけど……)
明らかにデカ過ぎるが、恐らく間違い無いだろう。そのケラは、デカく黒い光沢の有る眼をこちらに向けると――突進して来た。
「ビィィーー!!」
(ええええぇぇーーーー!!)
緊急回避で逃れるが、ケラはのっそりと方向転換すると、再び突進して来た。
(ーーっ! ていっ!!)
手近な壁に飛び付くと、そのまま安全圏まで壁を登る。
フウヤレヤレ、と一息吐くのも束の間。今度はそのバッタの様な後ろ足で飛び跳ねて来た。
(のわっとぉっ!!)
斜め下方向へ向け飛び跳ねて逃げるシノブ。そのまま動きを止めずケラから距離を取る。
地面に着地したケラは再びシノブの方を向く。間違い無くシノブを狙っている。それはわかるのだが――
(――何で、スライムなボクを狙うの?)
『溶解液を出す粘液状生物』なスライムは、襲った所でメリットは無い。餌として食ったしても、粘液状生物に食い応えが有るとは思えない。精々、ソフトゼリーみたいに『食べる』と言うよりも『飲む』方が近い――
(――ん? 飲む?)
ふと、シノブは子供の時に読んだ昆虫図鑑を思い出す。ケラの説明で書かれていた一文。
――適量の水分を得られないと一晩で死ぬ――
(……もしかして、今ボク、『食べ物』としてじゃ無くて『飲み物』として襲われてる?)
正直、かなりの予想外である。まさか、自分を食物扱いする生き物がこの世界に居るとは思ってもみなかった。
考えてる内にも、ケラは突進の手を緩めずに襲って来る。
(三十六計逃げるにしかず!!)
出口に向かって高速ダッシュで逃げるシノブ。さっきからの突進を見ていて気づいたのだが、ケラの突進スピードよりも自分の全速力の方が僅かに速いのである。
故に、このまま行けば逃げられると、シノブはダッシュし続けて――
(?! ーーっ!!)
――後方から聞こえた羽音に気づいた瞬間。反射的に真横へジャンプ。
直後に、自分が居た場所を通り過ぎる巨大な物体――羽を広げたケラ。
(……忘れてた。ケラって跳ぶだけじゃ無くて、飛ぶ事も出来るんだったよね)
地面を進むだけに飽き足らず、後ろ足で飛び跳ね、背中の羽で飛び、太く短い前腕で地中を進み、全身の細かい毛で水に浮き、泳ぐ事も出来る全環境適応生物。それがケラ。
どうやら、事此処に至って逃げる事は出来無いと悟るシノブ。
(……この世界に生まれて、初めてだよね。真剣の戦いは……)
こちらの戦力は幾つかの魔属石と自分の溶解液。
……とは言っても、魔属石を使っての攻撃では意味を成さないだろう。理由は単純。相手がデカ過ぎる。全長3メートルのケラに小さな火球や真空波等、食らわせても通じないだろう。そもそも、『甲殻』と言う装備を昆虫類はデフォルトで持っているのだから。
それこそ、ピンポイントで急所にでもブチ込まなければ倒せないだろう。
(なら、溶解液で――)
相手の突進を躱して、振向き様に溶解液での遠距離攻撃。
――しかし、本能によるものか、その後ろ足で飛び跳ねて回避されてしまう。
(ーーっ?! あの大きさでその俊敏性は反則だよっ!!)
普通にやっても躱される。一番確実なのは真っ正面からなのだろうが、やはり相手がデカ過ぎる。致命傷を与える前にこちらがヤられる。
(仕方無い! 隠し技『ミラーハウス』!!)
と、次の瞬間。周辺の景色が歪んだ。
クシャクシャになった銀紙の様に、辺り一帯の景色が歪み、壁どころか地面すら正しい場所がわからなくなる。
――当然。シノブの正確な位置すらも。
(撤退~~!!)
「ビィィィーー!!」
ケラの鳴き声を尻目に、シノブは一目散に逃げ出した。
* * *
(ここまで来れば一息吐けるね……)
一旦距離を置く事に成功したシノブは、見つからない様に身を潜める。
(でも、状況は良くなって無いし……)
逃げたと言っても入口とは反対方向。外に出るには、アレをどうにかしなければならない。
(何か、使えそうな物、ないかな……)
そうは言ってもここは廃坑。使えそうな物など――
(――あっ……)
ポク、ポク、ポク、ポク、チーン。
シノブは閃いた。
* * *
(来たね……)
聞こえてくる這いずる音が段々と大きくなってくるのを感じて、シノブは身構える。
(準備良し。角度良し……後は、やってみないとわからない!)
視界の先。遂にケラが姿を現す。向こうもこちらを見つけるや、すぐに突進してくる。
それを見届けてから、シノブは魔術を解除する。
光魔術による透明化を解除され現れたのは、巨大な岩の球体であった。以前見かけたロックスカラベの作った岩球。その使用済みで置き忘れられた岩球に――
(――行っけ~~!!)
――土属性の魔属石を使い、地面から突き出した岩の杭をぶち当てて、岩球をケラに向けて転がす。
岩球はケラへ向けて転がり――
「ビィーー!!」
――あっさり、弾き返された。そもそも押し出す際の勢いが足りないのだ。相手の重量・質量に比べてみれば、直径2メートルの岩球でも負ける。
弾き返された岩球はそのまま来た道を戻り、シノブに向かって転がって来る。
(ーーっ! 退避っ!)
反対側の壁近くまで逃げるシノブ。岩球はそのまま壁に突っ込み、大きな音を立てて止まる。
そして、ケラはシノブに向けて再び突進し――
「――ビ?」
――足が滑った。
いや、足どころじゃない。身体そのものが地面を滑って、突進の勢いのまま進んで行く。ケラは足を必死に動かすが、踏ん張りが効かず止められない。止まらない。
……それもそのはず。明かりが無いのでケラも気づけなかったが、シノブが水属性の魔属石を使って。予め周囲の地面に氷を張っていたのだから。
ケラの視線の先。シノブが逃げた後には、この坑道の壁が悠然と立ち塞がり――
「――ビィィィィーーーー!!!!」
――前腕で頭を庇うという人間臭い行動をとったまま、ものの見事に正面衝突した。
(全速前進ーー!!)
ケラが滑り出した時には既に走り出していたシノブは、そのまま出口へとひた走り……
(……うわわわわ?!)
……後ろから続いて聞こえてくる落盤の音に、背筋が寒くなった。
――――スライム逃走中――――
(危なかった……正直、予想以上だよ……)
出口まであと百メートル程の所で、シノブは落盤と土砂崩れで塞がれた坑道奥を振り返っていた。勿論、安全の為に土砂からは十分に距離を取った所で。
(上手く落盤までいってくれて、運が良かったよ)
段取りとしては、結構運任せだった。
シノブとしては、氷で滑ったケラが壁にぶつかって、暫く行動不能になってくれれば良かったのだから。
しかし、運が良い事にケラが真正面に岩を弾き返してくれたお陰で、岩が坑道を支える木枠の所にぶつかってくれた。その上、ケラ自身の衝突も相まって落盤を引き起こしてくれた。
――結果、今の惨状に至る。正直、やり過ぎた感は拭えない。しかし、あのケラがドワーフ達の街まで来てしまう事を考えると、これぐらいはやむを得ないとも思える。
(…………もう大丈夫そうだね。念の為、もう一つ仕込んでおいたけど、必要無さ「ビィィィィーーーー!!」――?!)
出口へ向かおうとした瞬間。土砂の中からケラが飛び出して来た。さすがに無事とは言えず、背中の甲殻が所々歪んでいて、羽もボロボロになっている。
ケラはシノブを見つけると直ぐ様、その後ろ足で跳び上がり、もはや逃がさんとばかりにその巨体でシノブへと襲いかかり――
「――ビィッ?!」
――空中に縫い止められた。腹部にもたらされた衝撃と共に。
訳がわからずに空中で藻掻くケラの眼前で、シノブの姿が消える。同時に、自分の腹に突き刺さっている巨大な岩の杭が現れる。
(残像だよ……)
少し離れた所に居たシノブが内心で呟く。
タネは単純。土属性の魔属石で作った杭を光魔術で隠す。そして自分の姿は周囲の光を屈折させて、蜃気楼の様に離れた所に映し出す。
――念の為もう一つ仕込んでおいた保険。ケラがまた襲ってきた時の為に。
「ビッ! ビッ! ビッ!」
ケラは藻掻くも、杭は抜けない。昆虫の最大の弱点である柔らかい腹部に、自分の体重で以て突き刺さったのだから……深々と突き刺さっている。
――が、杭自体が持たなくなり、根元から折れる。地面に落ちたケラはしかし、起き上がれない。既にかなりの量の体液が傷口から流れ出てしまっているのだから、もう助からないだろう。
「ビッ……ビ……ビ……」
(ごめんね)
ゆっくりと動きが鈍くなっていくケラを見届けるシノブ。
……それは、騒ぎを聞きつけたドワーフ達がやって来るまで続けていた。
ご愛読有難うございました。
本日のモンスター図鑑。
――――巨大なケラ(G・モール・クリケット)――――
全長2~3メートル程の巨大なケラ。雑食。
前腕で土を掘り進み、後ろ足で飛び跳ね、羽で空を飛び、全身の細かい毛で水を弾いて泳ぐと言った、全環境適応モンスター。
生きていく為にはかなりのカロリーを必要とする。
先の話に出て来たマッシュルームモールとは共生関係。外敵から守る代わりに、高カロリーなキノコを貰う。キノコを狙った冒険者は、大抵コイツに襲われる。
何らかの事情でキノコを得られなくなると、飢餓感から辺りの生き物を片っ端から襲い食べる。
作中でシノブが襲われた時はこの状態。要は、食えるモノなら何でも良いと言う程、切羽詰まっていた。




