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第五章 本質

 明かりのついた事務所に入ると外を眺めていた村崎が振り向いた。沈みかけた夕陽がブラインドの隙間を縫うように差し込み、床を照らしている。そのシワだらけのシャツに疲労が滲んでいた。

「待たせたな、おやっさん」

 俺はそう言って缶コーヒーを放り投げた。村崎は片手で受け取り、それを見て眉をひそめた。

「管轄外で走り回ったってのに、これっぽっちかよ。せめて微糖が良かったぜ」

「贅沢言うな。本当なら依頼者様から労ってほしいもんだ」

 俺はそう言いながら壁にかかったホワイトボードの方を見た。関連する資料ごとにまとめられたいくつもの”島“がホワイトボードの海に浮かべられている。矢印や文字が島々を結び、海図のように浮かんでいた。村崎はこの方法で何度となく真実を探し当ててきた。

 俺が若手の時代には、海図を解読することで精一杯だったことを思い出して少し懐かしい感じがした。部下が出来てからはよく見ろ、なんて言ってたっけな。

「これ、スゴイね。全部晶さんの捜査資料なの?」

 真白が目を丸くした。初めて本場さながらの資料を見て珍しく驚いている様子だ。

「ほぼそうだが、別件の資料も混じってる。石動と電話してる時に話しあぐねていたのが、その部分だ。……お前らの方はどうだったんだ?」

「ああ、それは“専門家”の方から説明してもらおう」

「簡潔に言うね。取り憑いた人間が執着しているものを悪夢として見せ、その魂を餌にする怪異。獏という霊獣が元になって、似通った呪術と混ざり、数百年のうちに現在の姿になった、というのが榊先生の見解。帰らないものを帰ってくると信じ込ませ、悪夢に閉じ込める。そして悪夢に囚われ、魂を喰われた人間も帰らぬ人となる。その怪異の名は、帰らず様」

 真白は表情も変えず一息に言い終えて、缶コーヒーを一口啜った。村崎は天井を仰ぐようにかぶりを振った。奥歯に何か挟まっているかのような疑念が顔に表れている。

「帰らず様、か……もしかすると遥が始まりではないのかも知れん」

「晶も怪異にやられたってのか」

 そう言った俺に村崎は頷きかけた。

「今度はこっちの番だな。まず、捜査中にも関わらず晶の資料を入手出来たのは、特別照会申請が通ったからだ」

 俺は眉をひそめた。それなら心中事件と晶の捜査とに関係があるということになる。遠くから響く雷鳴に伴って降り始めた雨が窓を叩く。

「調べていくうちに疑問が三つ浮かんできた。借金、晶の行動、それから晶の死因だ。――順を追っていこう。まずは借金だが、自分が借りたんじゃない。親が高利貸しから借りてたモンを肩代わりしてたそうだ。あいつらとは長い付き合いだと思ってたが……ばかやろう」

 村崎は悔しさのあまり小さく唸った。晶としては迷惑をかけたくなかったのだろう。話せていれば事情も違ったのだろうが、もはや後の祭りだ。

「……あの兄妹が施設に入って十何年たったってのに、今更取り立てに来たってのか?」

「――十二年分の違約金と利息付きでな。その取り立て屋は、そもそも二課が追ってたデカい闇金グループの末端だ。しかもそのグループも心中事件がきっかけで既に一掃されているにも関わらず、だ」

「じゃあ……晶さんは存在しない筈の組織から取り立てられてたってこと?」

 真白が首を傾げるのも無理はない。妙な話だ。二課の連中がデカいヤマに繋がる手掛かりを取り逃がすなんて、ぬるい真似はしない。もしくはその闇金グループでさえ、さらに巨大な組織犯罪の末端という可能性もある。

 しかし親を奪っておきながら、忘れた頃にやって来て、子供らのささやかな夢まで奪おうなどと、つくづく呆れ果てた連中だ。反吐が出る。

「な、妙だろ?それで俺は二課の古株に聞いてみた。そいつはこう言った。グループは壊滅したが、取り調べしたうちの何人かの証言の中で共通して、ある特徴をもった人物が出てきた、ってな。――こいつだ」

 村崎はそう言って島の一つから何枚か書類を退けると、モンタージュされた人物の書類を指図した。

 痩せぎすの面長でいかにも不健康そうな中年の男だ。だが、俺にとって重要なのはそこじゃない。

 その左頬に入った刺青――猿と虎と蛇を混ぜて一匹の獣にしたような化け物――に大いに見覚えがあった。

 村崎の確信めいた眼差しが俺を射抜いた。一日たりとも忘れたことはない。

「……虎鶫とらつぐみ

 俺は砕くほど強く奥歯を噛み締めた。横を見やると真白の喉がひきつけを起こしたように震え、息が止まった。

 その時、刺さるような閃光が窓から差し込み、落雷の轟音にビル全体が震え上がる。今や窓を殴りつける雨音のように心臓が脈打っている。俺に、と言ったのは訂正しよう。俺と真白にとっては、極めて因縁深い人物だ。

 現役時代、俺はとある連続殺人事件を担当していた。その捜査線上に浮かび上がったのが、この枯れ木のように痩せた男だった。真白は怪異を利用した犯行に加担させられていた所を、村崎と俺と俺の部下が救出した。その後、虎鶫は俺の目の前で部下を殺した。そして俺は刑事を辞めた。

 ふと、真白を見ると戦慄に身体を震わせ、刺青から目を離せないままでいる。村崎は真白の肩にそっと手を置き、安心させるように優しく叩いた。俺も反対の肩に手を置いてやる。

「真白、落ち着け。このクズの名前が挙がったってだけだ。是田兄妹と相沢の事に集中しろ」

「石動の言う通りだ、真白ちゃん。俺が言いたかったのは、奴が帰らず様を晶に取り憑かせたのが、そもそもの始まりだったんじゃないかって事だ。……驚かせてすまなかったな」

 真白が深呼吸と共に動揺を吐き出した。わずかに手が震えているが、その表情はいつもの真白そのものだ。全く強いヤツだ。むしろ落ち着く必要があるのは俺の方か。

「もう大丈夫。取り乱してごめんなさい。相沢さんは、あの男のこと知ってたのかな」

「勇貴の調書にも刺青の男のことが書かれてる。接触していたのは間違いない」

 村崎は腕組みをしてホワイトボードに向き直った。怪異を使った犯罪を目論む虎鶫が関わっているとすれば、目的は金ではない。何らかの手段でカフェを開く夢を利用しようとしたのだろう。

「――目的は金じゃない。取り立て屋としてプレッシャーを与え、精神的に疲弊させる。初めから帰らず様の苗床とする為に接触してた」

「晶さんや相沢さんは闇金業者が壊滅したなんて知らないし、そこを利用したとすれば合点がいく。村崎さんはどう思う?」

 そう投げかけられた村崎は真白を振り返り、頷いてみせた。

「俺もお前らと同意見だ。借金の話はでっち上げだろう。晶を追い詰めるためのブラフ……くそったれが」

 村崎はそう言って、悔しさに床を蹴った。俺はかぶりを振った。虎鶫の話になると俺たちはどうも感情的になっちまう。だが、これも奴の手の内だと思えば、まだ冷静さを保てるってもんだ。

「おやっさんまで……らしくないぜ。とにかく、借金の件はこれで把握出来た。あと2つ、行動と死因が気になってるんだろう?話してくれ」

 村崎は缶コーヒーを手に取って自棄酒を煽るように飲み干し、音を立てて缶を置いた。

「すまねえ……これじゃあ、プロ失格だな」

 そう自嘲するようにかぶりを振って、息を吐いて気持ちを切り替えた様子だ。

「――行動と死因だが、実際に晶がどうこうって話じゃないんだ」

「どういう事だ」

「勇貴が調書の中で言っていた事だが、晶の野郎……妹の遥を売ろうとしてたらしい。ある時から急に言い出して、相沢は何度も説得してたそうだ……」

 村崎の隠せないやるせなさが肩を震わせていた。

 確かに村崎の語る晶のプロファイルから想像するのは無理があるように思う。カフェという夢を掲げ、支え合って生きてきた妹を金に変えようなどと冗談でも言わないし、むしろそういう結末を迎えないように努力するような人物の筈だ。

 だとすると、何者かによって意志を捻じ曲げられていた可能性が浮かんでくるが。

「晶さんの人物像とは異なる感じがする。――もし、帰らず様がカフェの夢への執着に取り憑いたとすれば……そうするように意志を操られていると推測も出来る」

「真白に一票だ。あの怪異はそいつの最も執着しているものに寄生する。本来の願いや思いを利用してそれを歪めた悪夢を見せていた、と仮定するのが妥当なとこだ。いや……」

 そう信じたい、とまでは言わなかった。俺たちの仮説が正しいと信じたいのは、他でもない村崎だからだ。

 待てよ。晶たちは三人で夢を叶えたかった筈だ。そのために施設を出て、仕事に勤しみ、物件を探した。三人で、だ。――俺たちは何か思い違いをしているのかもしれない。

「もし、初めから“三人の夢”に取り憑いたのだとしたら……晶の死も奴が仕組んだって事になる」

 村崎は何か腑に落ちたように顔を上げた。

「そうか。晶が死んじまったら、カフェを三人で開く夢は”叶わなくなる“」

 真白は頷いて後に続いた。

「帰らない兄、叶うことのない夢。そうして帰らず様の本当の悪夢が完成する」

 俺は二人に向かって頷いた。霧が少しずつ晴れていく感覚。その先にようやく本質が見えた気がした。答え合わせが必要だった。

 本当に帰らず様が晶の死に干渉したのなら、怪異としての痕跡が現場に残されているだろう。

「カフェに行こう。仮説が本当なら、痕跡がある。それをコイツで捉える」

 俺は影写しを掲げてみせた。怪異の痕跡や思念が残る場所を撮影すると、その当時の様子を写真として写し取れることがある。過去を切り取り、霧に紛れた本質を明らかにする。

「勇貴にも来てもらう。俺たちの前で全てを話してもらう必要がありそうだ」

 早る村崎が背広を肩にかけ事務所を出ていった。俺はコートを羽織り煙草に火をつけた。

「あまり時間は……ないかもよ」

 真白も俺を急かすように手招きして村崎の後を追った。影写しを首から提げ、事務所を出る。

「俺たちにはいつだって時間はねえのさ」

 雨が止んだ路地はむせ返る湿気と濃い霧に包まれていた。霧の中でかつての部下の残像が揺らぎ、消えていった。

 過去は取り戻せない。そして未来に行く宛などない。俺は、その狭間で絡まる糸に過ぎない。虎鶫――奴と対峙することで糸を断ち切り、未来への切符を手にする。

 その為にまず、あの三人を悪夢から解放する。俺に出来るのは目撃し、シャッターを切ること。

 その瞬間はもうすぐそこだ。

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