第二章 依頼
「……石動、いるか」
どうぞ、と声をかける間もなくドアが軋みを上げ、馴染みの顔が入ってきた。事務所の窓から差す薄赤色の夕焼けが、疲労のへばりついた背広姿を照らし出す。
「おやっさん……まだ生きてたか」
「けっ、お前も相変わらずだな。――真白ちゃん、元気にしてたか」
真白が部屋の隅にあるデスクから立ち上がり丁寧に会釈した。
「村崎さん、久しぶり」
村崎は手振りで軽く返すと俺のデスクの前にある椅子に座った。初老に足を突っ込んでもなお現役刑事として第一線を走る叩き上げ、筋金入りの刑事。かつての上司であり師匠だったとも言える。俺からすれば払いきれない過去の象徴そのものだ。管轄外にも関わらず、こうして時折り顔を出す。互いに縛られた糸のように。
「頼みがある」
「……また厄介事か」
「まあ、そう言うな。――是田夫妻心中事件、覚えてるか」
赤暗い夕闇の薄明かりが村崎の隈だらけの目に沈み込む。俺はデスクの引き出しからおもむろに手帳を取り出した。俺がまだ尻の青い若造だった頃、村崎が少しは刑事らしくしろ、と言って買ってよこした物だ。くたびれきった人工革の装丁は大半が剥げてしまっている。
「確かおやっさんが担当した事件だったな。……あったぞ。十五年前、借りてたアパート駐車場の車内で中年夫婦が練炭自殺した事件だ。ガキの兄妹二人に留守番させたままだったっていう」
村崎は重く頷き、後を引き継いだ。
「それだ。旦那が高利貸しからたんまり借金しててな。買い物に行くと言って子どもらに留守番を頼み、車内でカミさんを絞殺した後……練炭を焚いた」
真白はコーヒーカップを村崎に差し出した。ありがとう、と小さく頷いてカップを受け取り、注がれたコーヒーを覗き込むように見つめながら話し始めた。
「当初、アパートの住人から車の火災だ、と通報があってな。消防から引き継いだのが俺だった。子どものいる夫婦の心中だ。嫌な予感がした俺は鑑識に構わずカミさんのカバンからアパートの鍵をふんだくって部屋に飛び込んだ。すると何にも知らずにいる兄妹がカフェごっこをして遊んでてな、父ちゃん母ちゃんが帰ってきたらコーヒーをご馳走してあげるんだって……」
村崎はそこでようやくコーヒーを一口啜った。やりきれない思いも一緒に飲み込むかのように。
ある日突然、大切な人たちが死者になるという理不尽。死というものの実在すら理解できていない幼い兄妹に否応なく押し付けられる現実。俺は思う、死は不可視の影として生者に常に寄り添い、そして時として冷たく鋭い現実を一切の予告も容赦もなく突き立てる――究極の理不尽だ。
「その兄妹はどうしてるの?」
真白がそう言いながらデスクに腰を預け、本題に入れとばかりに俺に目線を投げた。こういう時の彼女はよく言えばフラットだ。明鏡止水、この言葉は真白のためにあると言っても過言ではないだろう。
常に冷静たれ。他人からの影響を抑え、感情に流されず、ただ偏に自らの”能力“に従って人を見定めるために。――あるいは人ではないナニカを。
「確か養護施設に入ったって聞いちゃいたが、おやっさん随分と世話を焼いていたらしいな。自分の娘と重ねちまってたんだろ?」
俺はそう言って灰皿に煙草を押し付け次の煙草に火をつける。村崎は痛いところを突かれたとばかりに曖昧に頷いて口を引き結んだ。
「そうだ。毎月のように会いに行ってたよ。二人が施設を出てこの町で暮らし始めてからも折を見て顔を出してる。――だが、一年前だ。晶が死んじまってから様子が変わった」
「やっと話が“視えた”。」
真白が”能力“を発揮した時、瞳は生気を失い、この世のものとは思えない鬼火のような蒼白の光――本人は霊眼と呼んでいる――が宿る。その目に捉えられた村崎は驚きの余り、椅子からずり落ちそうになった。俺はその様子にイタズラっぽく笑ってみせ、真白はこう言った。
「村崎さんを通して分かる。妹さん、もう一人視える。執着……そこに付け込まれている」
「ああ……お前たちにしか頼めない」
俺は山積みになったファイルの天辺に置いていた年代物のインスタントカメラを手に取った。
こいつはただのカメラじゃない。“影写し”――人ならざるものを捉え、その存在ごとフィルムに焼き付ける。カメラ越しに真白と目が合った。
「保証はしない。ただ終わらせるだけだ」




