EP 8
天使の微笑み、悪魔のプレゼント
「うぅ……やっぱり、腹が痛いような気がする……」
アパートへの帰り道。優太は冷や汗を流しながら呻いた。
それは先ほど飲んだ「人参メロンジュース」のせいか、それともこれから待ち受ける「災害」への防衛本能か。
「気のせい、気のせい! 優太さんは疲れてるだけだって!」
「本当ですぅ。温かいお部屋で休めば治りますわ」
「ちょ、ちょっと待って! 引っ張らないで!」
キャルルとリーザは、優太が逃亡しないよう、左右から彼の腕をガッチリと抱きしめていた。
右腕にはキャルルの健康的な弾力が、左腕にはリーザの柔らかな感触が押し当てられている。
本来なら男として鼻の下を伸ばすシチュエーションだ。しかし、優太の脳裏には『失敗したらバッドエンド』という警告文字が点滅しており、ときめきよりも絶望感が勝っていた。
「(いやいや……嬉しいかもしれないが、この先に待っているのは地獄だぞ……!)」
抵抗も虚しく、優太は「コーポ・タロウ」の201号室の前まで引きずられてきた。
「ただいまー! ルナ、帰ったよー!」
キャルルが勢いよくドアを開ける。
そこは広々とした4LDKのリビングだった。家具は太郎国製のシンプルでモダンなものが揃えられているが、部屋の中央にはなぜか**「室内なのに満開の桜の木」**が生えていた。
「(……なんでリビングで花見ができるんだ?)」
優太がツッコミを入れる暇もなく、奥のソファから一人の女性が立ち上がった。
「お帰りなさい、リーザ、キャルル。……あら? そちらの方は?」
長い金髪、透き通るような白い肌、そして尖った耳。
エルフの中でも最高位にあたる「ハイエルフ」の証である、神々しいオーラを纏った美女。
彼女こそが、この家のルームメイトにして、歩く自然災害――ルナ・シンフォニアだった。
「こちらは中村優太さん。新しいルームメイトよ」
「そうそう。日本から来た転生者で、とっても親切な方ですの」
キャルルとリーザが紹介すると、ルナはパァッと花が咲くような(実際に背後の桜が満開になった)笑顔を見せた。
「まぁまぁ! 初めまして。ルナ・シンフォニアと申します。ふふ、賑やかになって嬉しいわ」
その声は鈴を転がすようで、仕草一つ一つが優雅そのもの。
どこからどう見ても、深窓の令嬢か聖女にしか見えない。
(……なんだ、普通に良い人そうじゃないか?)
優太が警戒を解きかけた、その時だった。
「あ、そうだわ。これ、お近づきの印です。受け取ってくださる?」
ルナは何もない空間から、ジャラジャラと重そうな革袋を取り出し、優太に差し出した。
中身が見える。眩いばかりの黄金の輝き――金貨だ。しかも、数十枚はある。
「えぇ!? い、いきなり!?」
優太は仰天した。金貨一枚で数万円の価値があるはずだ。それを挨拶代わりに渡してくるなんて。
(さすが王族……金銭感覚が違うのか?)
「いえ、さすがにこんな大金は受け取れな――」
優太が恐縮しながら手を伸ばそうとした瞬間。
「駄目っ!! 優太さん、触っちゃダメ!!」
「受け取ってはなりませぇぇぇん!!」
キャルルとリーザが、悲鳴のような声を上げて優太の両手を叩き落とした。
「い、痛っ! 何するんだよ二人とも!」
「優太さん、あれは『偽金』よ!!」
キャルルが血相を変えて叫ぶ。
「に、偽金……!?」
「そうですわ! ルナがそこのコースターか何かを錬金術で変えただけです! 『3日経つと元のコースターに戻る』時限式の偽造通貨ですのよ!!」
リーザが青ざめた顔で補足する。
「店で使ったら即逮捕! 太郎国の法律は厳しいんですから、鉱山送りで強制労働行きですわ!!」
「な、なんだと……!?」
優太は凍りついた。
初対面からわずか1分。
もし二人が止めてくれなければ、自分は明日から「犯罪者」として薄暗い鉱山でツルハシを振るうことになっていたのだ。
「(初手で俺の人生を壊しに来た……!!)」
優太が戦慄していると、ルナがコテンと首を傾げた。
「駄目なの? ……せっかく優太さんのために、キラキラさせたのに」
ルナの瞳が潤み、シュンと眉が下がる。
途端に、リビングの照明が暗くなり、どこからともなく冷たい隙間風が吹き始めた。
「ルナ……ショック……」
ゴゴゴゴゴ……
部屋の観葉植物が一斉に枯れ始め、窓の外には急速に雨雲が発生しはじめる。
彼女の感情と天候がリンクしているのだ。
【ピロン!】
優太の目の前に、赤いウィンドウが点滅する。
警告:ルナ・シンフォニアの情緒不安定を検知。
予測被害:局地的な豪雨によるアパートの水没、および優太への好感度低下による不慮の事故(落雷)。
推奨行動:直ちに機嫌を直させること。
「(……ふざけんなよ、この難易度!!)」
優太は心の中で絶叫しながら、必死に引きつった笑顔を作った。
「い、いや! 違うんだルナさん! その……気持ちはすごく嬉しい! 嬉しいんだけど、僕は君の笑顔だけで十分プライスレスというか!」
「……本当?」
「本当だ! だからその金貨は……えっと、記念に飾っておくだけにするから! お店では使わないから!」
優太の必死のフォローを聞いて、ルナの顔が再びパァッと輝いた。
「まぁ! 優太さんって欲がないのね。素敵だわ!」
その瞬間、雨雲は消え去り、枯れかけた観葉植物が緑を取り戻し、なぜか天井から虹がかかった。
「ふぅぅ……」
優太はその場にへたり込んだ。
キャルルとリーザも、寿命が縮んだ顔で胸を撫で下ろしている。
1万ポイントの重み。
それは、「歩く天変地異」のご機嫌を取り続けるという、世界で最も過酷な労働の対価だったのだ。




