EP 37
解体新書への道、あるいは禁忌の扉
【セーラ治療院・院長室】
「……優太さん。今、何と言いましたか?」
昼下がりの診察室。カルテを整理していたセーラの手が止まり、その美しい顔から血の気が引いていた。
彼女の問いかけに対し、優太は真剣な眼差しで、もう一度はっきりと告げた。
「はい。『解剖』をさせてください。ご遺体にメスを入れ、身体の構造を直接確認するのです」
「そ、そんな……!? 死体を切り刻むだなんて……!」
セーラが口元を押さえ、後ずさる。
この世界において、死者の体は土に還るべきものであり、それを傷つける行為は「死霊術師」の所業、あるいは死者への最大の冒涜とされている。
「セーラさん。今の太郎国の医療は、僕の『スキル』と『地球の知識』に依存しすぎています」
優太は熱く語りかけた。
「人間、獣人族、エルフ、天使族、ドワーフ……。この国には多種多様な種族が共存しています。ですが、僕はまだ彼らの本当の身体構造を知らない。エルフの魔力回路が臓器とどう繋がっているのか? 獣人の筋繊維の構造は? ドワーフの肺機能は? ……実際に切って、見て、記録しないと、これ以上の医学の発展はありません」
「でも……それは神への反逆とも取られかねません」
「僕がいなくなったら、誰が彼らを救うんですか? 僕だけの技術ではなく、誰もが学べる『医学書』を作るためには、どうしても必要なことなんです!」
優太の必死の訴えに、セーラは沈黙した。
彼女もまた、救えない命に涙してきた医療従事者だ。優太の言っていることが「正論」であることは理解している。しかし、感情と信仰がそれを拒絶する。
「……私だけでは判断ができませんわ。これは国の根幹に関わる問題です。太郎様やサリー王妃に検討していただかなければ」
「分かりました。……会議を開きましょう」
【太郎城・円卓会議室】
重苦しい空気が漂う会議室。
集まったのは、国王・太郎、王妃・サリー、勇者・リュウ、弁護士・リベラ、治療院長・セーラ、そして提案者の優太だ。
「……なるほどな。『解剖』か」
太郎が腕を組み、天井を仰いだ。
「俺とリュウとリベラは日本人だ。優太の言い分は痛いほど分かる。日本でも江戸時代、杉田玄白たちが『ターヘル・アナトミア』を翻訳して『解体新書』を作ったことで、医学は飛躍的に進歩した」
「そうだな。魔物の解体は平気でやるのに、人型になると急にタブー視するのも、科学的に見ればおかしな話だ」
リュウも頷く。
現代日本を知る転生者組は、解剖の必要性を理解していた。レントゲンもCTもないこの世界で、病巣を特定するには解剖学的知識が不可欠だ。
しかし、この世界の住人であるサリー王妃の表情は険しい。
「太郎様、皆様。……お気持ちは分かりますが、国民感情はそう簡単には動きません」
サリーが静かに、しかし力強く反論する。
「遺体を切り刻んでいると知れれば、国民は治療院を『悪魔の館』と呼ぶでしょう。それに、他国や教会勢力に知られれば、『太郎国は死霊術の研究をしている』と糾弾され、外交問題に発展しかねません」
「うむ……。サリーの言う通りだ。そこが一番のネックだな」
太郎が頭を抱えた。
科学と倫理、そして外交。
膠着状態に陥った会議室で、眼鏡を光らせたリベラが手を挙げた。
「法的な観点から、提案がございますわ」
「リベラ?」
「解剖を『冒涜』ではなく、『崇高な生前契約』として定義するのです」
リベラは一枚の書類案をテーブルに提示した。
「『献体同意書』を作成します。本人が生前、自身の意思で『医学の発展のために身体を提供する』と署名した場合のみ、解剖を許可する。そして、遺族には国から厚い補償金と、名誉ある感謝状を贈るのです」
「なるほど……。無理やり切り刻むんじゃなく、あくまで『本人の遺志』とするわけか」
太郎が身を乗り出す。
「ええ。そして解剖は地下の厳重な施設で行い、一般には非公開とする。表向きは『特殊な埋葬儀礼』として処理します」
「それでも……」
まだ不安げなサリーに対し、優太は深く頭を下げた。
「サリー様。先日、呼吸困難で亡くなったドワーフの男性がいました。僕には原因が分からなかった。でも、もし解剖して気管支の構造を知っていれば、次は助けられるかもしれない」
優太は顔を上げ、全員を見渡した。
「未来の命を救うために、死者の声を聴きたいんです。お願いします!」
その純粋な熱意に、サリーの瞳が揺れた。
彼女は隣に座る夫――太郎を見た。太郎は優しく頷いた。
「……分かりました。優太さんのその熱意に賭けましょう」
サリーが折れた。
そして、太郎が最終決定を下す。
「よし! 特例として『医療解剖法』を制定する! ただし、リベラの言う通りガチガチの規制の下で行うこと。そして、まずは身寄りのない遺体や、俺たちに理解のある者から始めることだ」
「ありがとうございます!」
【数日後・王城地下特別室】
そこは、リベラの根回しによって極秘裏に用意された、清潔な解剖室だった。
解剖台の上には、先日病死し、生前に「俺の身体で良ければ使ってくれ」と言い残した元冒険者の遺体が安置されている。
「……始めます」
優太は白衣を着て、メスを握った。
傍らには、震える手で筆記用具を持つセーラと、立ち会い人としてのリュウがいる。
「第一執刀。……皮膚切開」
優太のメスが、静かに皮膚を走る。
それは、太郎国の医療が「神頼み」から「科学」へと踏み出した、歴史的な一瞬だった。
「(……見ていてください。貴方の死は、絶対に無駄にはしません)」
優太は遺体に心の中で感謝し、未知なる人体の迷宮へと挑んでいった。
その背中には、未来の教科書を作るという重い責任がのしかかっていた。




