EP 35
リーザの優雅なる(極貧)一日
【AM 7:00 コーポ・タロウ】
「ふわぁ……。皆様、ごきげんよう」
リーザは起床すると、洗面台で冷たい水で顔を洗い、ボサボサの髪をセットした。
今日もアイドルとして、身だしなみは完璧に整えなければならない。
リビングに行くと、そこには残酷な「格差」が広がっていた。
「さぁて! 今日は『タロウキング』のモーニングセットを食べに行ってくるね!」
キャルルが安全靴の紐を結びながら、元気よく宣言した。
「冒険者ギルドでいい依頼があったの。ゴブリンを蹴り飛ばして、その足でパンケーキよ!」
「やばい、遅れる……! 今日はセーラ治療院で最新医療の研修セミナーがあるんだ」
優太も慌ただしく準備をしている。
「朝食を作る時間がないな……。駅前の『タローソン』でサンドイッチとコーヒーを買って行くよ。じゃあね!」
二人は颯爽と出かけていった。
残ったルナは、キッチンで優雅に杖を振っている。
「ビタミン不足はお肌の大敵ですわ。『果実生成』……あら、今日は最高級のメロンが出ましたわ。これをミキサーにかけて……」
フレッシュな特製ジュースを作り、優雅な朝食タイム。
そして、リーザは。
「…………」
彼女は冷蔵庫の隅から、ビニール袋を取り出した。
中に入っているのは、パン屋の裏口でもらってきた「パンの耳」だ。
「……いただきますわ」
ガリッ。モグモグ。
硬い。そして味がしない。
「シェアハウスなのに……この経済格差は何なんですの……?」
リーザはパンの耳を水で流し込みながら、涙をこらえた。
キャルルは戦闘の才能で稼ぎ、優太は医師としての給料がある。ルナは自給自足ができる。
しかし、自分にあるのは「歌」と「借金」だけ。
「でもでも……私は負けませんわ! 今日こそビッグなチャンスを掴んでみせます!」
リーザは最後のパンの耳を口に押し込み、愛用の「みかん箱」を抱えて家を飛び出した。
【AM 10:00 タロウ駅前広場】
通勤ラッシュが過ぎ、まばらな人通りの中。
リーザはみかん箱の上に立ち、空き缶を前に置いてマイクを握った。
「皆様! 寒暖差の激しい今日このごろ、いかがお過ごしでしょうか! 私の歌でウイルスを吹き飛ばしてください! 聴いてください、『インフル・バスター』!」
リーザがアカペラで歌い出す。
その歌声は、駅前の雑踏を切り裂くほどに美しく、歌詞は生活感に溢れていた。
> ♪アタマガンガン アタマガガン!
> ♪熱が上がれば 視界も回る!
> ♪負けるな私! 必殺! 有給休暇!
> ♪甘い甘いシロップが 飲めるぞ!
>
通りがかりのサラリーマンが、ふと足を止める。
「有給休暇……いいなぁ」という心の声が聞こえてきそうだ。
> ♪今だ! 必殺! タミフルパーンチ!
> ♪予防注射は ドッキ! ドッキ!
> ♪新人ナースに 当たりませんよぉにぃ~(切実!)
>
> ♪みかんとコタツが~ 私の友達だあああ!!
>
パチパチパチパチ……
歌い終わると、数少ない観客(暇な老人と、サボり中の営業マン)から拍手が起きた。
「ブラボー! 切実さが伝わったよ!」
「新人ナースの注射、痛いもんなぁ!」
チャリン、チャリン。
空き缶の中に、数枚の銅貨が投げ入れられる。
「あ、ありがとうございます! このお金は、私の活動資金(生活費)として大切に使わせていただきます!」
リーザは深々と頭を下げた。
今日の稼ぎは……銅貨5枚(約500円)。
大ヒットとは言えないが、パンの耳生活からは脱出できる額だ。
【PM 1:00 タロー・マート】
「ふぅ……お腹が空きましたわ……」
リーザは稼いだ小銭を握りしめ、庶民の味方『タロー・マート』へとやってきた。
パンの耳だけでは、アイドルのエネルギーは維持できない。
しかし、まともに弁当を買えば銅貨5枚など一瞬で消える。
そこで彼女が向かったのは――『試食コーナー』だ。
「あら、こちらのウインナー、美味しそうですわね……(パクッ)」
「ん~♡ ジューシーですわ。購入を検討しますわ(嘘)」
「おや、新商品のヨーグルト? ……(パクッ)」
「健康に良さそうですわね。前向きに考えますわ(嘘)」
リーザは貴族のような優雅な手つきで、しかしハイエナのような貪欲さで試食コーナーを荒らしていった。
ある程度お腹をごまかしたところで、彼女は特売ワゴンコーナーへ向かった。
「……ッ!?」
そこで彼女は、運命の出会いをした。
【本日限り! 鯖の水煮缶 ―― 銅貨1枚!!】
「こ、これは……! 栄養満点の鯖缶が、たったの銅貨1枚!?」
リーザの手が震える。
これならお釣りが来る。残ったお金で明日のパンも買える。
しかし、その隣にはさらなる強敵がいた。
【お一人様1パック限り! 卵(10個入り) ―― 銅貨2枚!!】
「た、卵……! 10個入りで銅貨2枚……!」
リーザの脳内で激しい計算が始まる。
鯖缶はそのまま食べられるメインディッシュ。
卵は料理が必要だが、10食分の可能性を秘めている。コストパフォーマンスなら卵だ。しかし、調理する油や調味料が切れていたら?
「うぅぅ……鯖か、卵か……究極の選択ですわ……」
リーザがワゴンの前で仁王立ちして悩んでいると、背後から殺気が迫った。
「ちょっと! 買わないならどいてよ!」
強面のオークのおばちゃんが、カートでリーザの足首を小突いてきた。
「ひぃっ!?」
「邪魔なんだよ! セール品の前で瞑想してんじゃないよ!」
「か、買います! 買いますわ!!」
リーザはパニックになり、反射的に手近にあった方を掴んでレジへ走った。
手に握られていたのは――『鯖缶』だった。
【PM 1:30 タロウ公園・ベンチ】
冬の空の下、冷たい風が吹く公園のベンチ。
そこに、フリフリのドレスを着た美少女が一人、ポツンと座っていた。
「……ふぅ」
リーザはプルタブを引き、鯖缶を開けた。
中には、銀色に輝く鯖の切り身が、脂の乗った汁に浸かっている。
「いただきますわ」
彼女は割り箸で鯖を一口大にし、口に運んだ。
「……ん」
冷たい。けれど、噛み締めると魚の旨味が口いっぱいに広がる。
パンの耳にはない、タンパク質の味だ。
「美味しい……。塩味が、身体に染み渡りますわ……」
通りがかる親子連れが、「あら、あのお姉ちゃん、公園で缶詰食べてるわ」「見ちゃいけません」とヒソヒソ話しているが、今のリーザには関係ない。
彼女は汁まで綺麗に飲み干し、空になった缶を見つめた。
「ごちそうさまでした」
お腹は満たされた。
懐には、まだ銅貨4枚が残っている。
優太やキャルルのような派手な生活ではないけれど、自分の力で稼ぎ、自分の力で食べた昼食。
「……悪くありませんわ」
リーザは立ち上がり、ドレスの埃を払った。
「さあ、午後の部も歌いますわよ! 次は駅の反対側で、演歌の新曲『鯖の味噌煮 ~母の味~』を披露しますわ!」
逆境に負けない貧乏アイドル、リーザ。
彼女の逞しい一日は、まだ半分も終わっていないのだった。




