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EP 3

鉄靴の月兎と、チョコレート外交

「……なんだ、あの音は?」

慎重に藪を漕いで進んでいた優太は、前方から響く激しい衝撃音に足を止めた。

ドゴォン! バゴォッ!

木々がなぎ倒される音と、何かが硬い物体に叩きつけられる重い音。

優太は息を殺し、太い木の幹の陰からそっと顔を出した。

そこは少し開けた広場になっていた。

視界に飛び込んできたのは、身の丈2メートルを超える筋肉の塊――豚の顔を持つ魔物、オークだ。

丸太のような腕で、凶悪な棘付き棍棒モーニングスターを振り回している。

「ブモオオオオオッ!!」

オークの咆哮。直撃すれば人間など肉塊になるであろう一撃が振り下ろされる。

だが、その対面で戦っている「何か」を見て、優太は目を疑った。

「えいっ!」

可愛らしい掛け声と共に、ピンク色のパーカーが翻る。

小柄な少女だ。長く白い兎の耳が特徴的な彼女は、オークの豪腕を紙一重で回避すると、手に持ったT字型の武器――ダブルトンファーで、オークの腕を強打した。

ガィィン!!

「グゥッ!?」

鋼鉄のような打撃音。

少女の装備は、どう見ても現代的でラフな服装だ。パーカーに短パン、リュックサック。

しかし、その足元だけが異様にゴツい。

「終わりよ! 月影流げつえいりゅう……」

少女はトンファーでオークのガードを無理やりこじ開けると、沈み込むような動作から一気に跳躍した。

膝に青白い光(闘気)が収束していく。

「――顎砕アギト・クラッシュ!!」

ドッゴォォォォン!!

小さな膝が、オークの巨大な下顎をカチ上げた。

いや、ただの膝蹴りではない。彼女が履いているのは、つま先に鉄板が入った「安全靴」だ。

闘気と鉄の硬度、そしてバネのような脚力が生み出した一撃は、オークの巨体を宙に浮かせ、そのまま脳を揺らして気絶させるほどの威力を叩き出した。

オークが地響きを立てて倒れる。

「ふぅ、一丁上がり!」

少女は汗一つかかず、長い耳をぴょこんと揺らして勝利のポーズを決めた。

「す、凄い……」

優太は思わず声を漏らしてしまった。

外科医志望として人体の構造には詳しいが、あの体格差を物理でひっくり返すのは常軌を逸している。

それに、あの格好だ。

「パーカーに短パン……それに、あれは安全靴セーフティブーツか? なんでファンタジー世界にホームセンターの作業靴が……」

「――誰!?」

優太の呟きを、少女の長い耳は聞き逃さなかった。

彼女はバッと振り返り、トンファーを構えて優太の方角を睨みつけた。赤い瞳が鋭く光る。

「しまった……」

優太は観念して、両手を上げて木の陰から姿を現した。

「ま、待ってくれ! 怪しい者じゃない!」

「そんなこと言う奴が一番怪しいのよ! この森でコソコソ隠れてるなんて、盗賊? それともオークの仲間?」

少女はジリジリと間合いを詰めてくる。殺気が凄い。

優太は冷や汗を流しながら、必死に言葉を紡いだ。

「ち、違う! 僕はただ森で迷って……な、名前は中村優太だ! 日本から来た!」

「……え?」

その瞬間、少女の殺気が霧散した。

彼女は小首を傾げ、長い耳をパタパタと動かす。

「ナカムラ・ユウタ……さん? ニホン……?」

彼女は優太の顔と、その服装パーカーとジーンズをまじまじと観察し、ハッとした表情になった。

「もしかして、佐藤太郎様と同じ世界から来たのかしら……貴方、転生者?」

「太郎? ああ、そうだ。僕は転生者……らしい」

聞き覚えのある典型的な日本人名が出てきて、優太は安堵と驚きで目を見開いた。

(佐藤太郎……? 僕以外にも、日本人がこの世界にいるのか?)

「そうなの!? 私はキャルル! 月兎族げっとぞくの冒険者よ」

キャルルと名乗った少女は、満面の笑みを浮かべてトンファーを下ろした。

「太郎様と同郷なら、悪い人じゃなさそうね! 仲良くしてあげる。私、太郎様のおかげで、こうして自由で楽しい冒険者生活を送れてるんだから!」

「ははは……ありがとう、キャルル。その『太郎』って奴に感謝しなきゃな」

どうやらこの世界には、すでに成功している日本人がいて、現地人に多大な影響を与えているらしい。

キャルルの格好が現代風なのも、その「太郎」の影響なのだろう。

優太は緊張を解き、肩の力を抜いた。とりあえず、殺される心配はなさそうだ。

その時、キャルルの鼻がヒクヒクと動いた。

「ん……? くんくん……」

彼女は優太の方に顔を近づけ、あちこち匂いを嗅ぎ始めた。

「ねぇねぇ、優太さん。リュックの中に『美味しい物』を持ってるでしょ?」

「え?」

「わかるわよ。甘くて、ほろ苦くて、とろけるような……チョコレートの匂いがするっ♪」

キャルルの目がキラキラと輝き、口元から垂れそうなヨダレを拭った。

優太は苦笑しながら、リュックのサイドポケットに入れていた非常食を取り出した。

「鼻が良いんだな。ああ、持ってるよ。高カカオのチョコレートだ」

「やっぱりー! ああん、日本のチョコ! 久しぶりぃぃ!」

キャルルがピョンピョンと跳ねる。さっきまでオークを蹴り殺していた戦士とは思えない、年相応の少女の姿だ。

優太は包装紙を破り、板チョコをパキリと割った。

「わかったわかった、あげるよ。半分こな」

「えっ、いいの!? キャッホー!」

優太からチョコの欠片を受け取ったキャルルは、それを大事そうに口に含んだ。

途端に、彼女の表情がとろけるように緩む。

「ん〜〜っ♡ 美味しいぃ〜〜! 苦味がまた大人な感じで最高〜! ありがとう、優太さん! えへへ〜♡」

幸せそうに頬を抑えるキャルルを見て、優太も自然と笑みをこぼした。

理不尽に命を狙われるこの世界に来て初めて感じた、平穏な時間だった。

「(……とりあえず、強力な味方はできたみたいだな)」

最強の蹴り技を持つウサギ少女と、チョコ一枚で結ばれた絆。

優太のサバイバル生活に、頼もしくも騒がしいパートナーが加わった瞬間だった。

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