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EP 1

コサックダンスとバナナと、やる気のない女神

深夜二時。都市部の静まり返った道路を、一台の自転車がキコキコと悲しい音を立てて走っていた。

「はぁぁ……最悪だ……」

ペダルを漕ぐ男、中村優太(24歳)は、深いため息を夜気に吐き出した。

彼は医大の六年生であり、本来なら明日は大事な薙刀なぎなたの昇段試験が控えているはずだった。それなのに。

「夜勤組がバックレるとか、どういう神経してんだよ。おかげでこの時間まで残業する羽目になったじゃないか」

背負ったリュックサックが、心なしかいつもより重く感じる。

中には分厚い医学書、常備している救急セット、そして非常食。

「備えあれば憂いなし」を信条とする彼は、いつ何時災害が起きても生き残れる装備(EDC)を持ち歩いているが、まさか「同僚のバックレ」という人災に巻き込まれるとは思わなかった。

街灯が点滅する一本道。

ふと、優太の優れた動体視力が、前方の異変を捉えた。

「……ん?」

道路の真ん中に、猫がいる。

だが、ただの猫ではない。

後ろ足二本で立ち、腕(前足)を組み、リズミカルに足を屈伸させている。

「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ!」

猫からそんな掛け声が聞こえてきそうなほど、見事なコサックダンスだった。

「はぁ? なにあれ」

優太が目を疑い、自転車のブレーキに手をかけた瞬間だった。

ボトボトボトボトッ!!

「うおっ!?」

夜空から、黄色い物体が豪雨のように降り注いできた。

バナナの皮だ。

しかも、シュガースポットが出ていて一番滑りやすい状態の完熟バナナの皮が、数百枚単位で降ってきたのだ。

「な、なに!? なんでバナナ!?」

優太の理性(医学生としての科学的思考)がショートする。

しかし、ハワイの元SEALs教官に叩き込まれた反射神経が、とっさに回避行動を取らせた。

ハンドルを切り、バナナの皮の山を避けようとする。

だが、その回避行動すらも「運命」という名の理不尽なシナリオの一部だった。

プォオオオオオオオオオッ!!

対向車線から、深夜便の大型トラックが制限速度を大幅に超えて突っ込んできた。

回避した先は、トラックの進路上。

「ふざけんなあああああああああああっ!!」

優太の絶叫は、ブレーキ音と衝撃音にかき消され、世界は暗転した。

「……ん……ここは……?」

優太が目を開けると、そこは真っ白な空間だった。

無機質で、天井も壁もない、光だけの世界。

「あ、起きた? おはようございまーす」

気の抜けた声が響く。

目の前には、一人の女性がパイプ椅子に座っていた。

神々しい金髪と整った顔立ち。しかし、その服装は**「ピンク色の芋ジャージ」に「便所サンダル」**。

右手にはワンカップ酒、左手にはメンソールタバコの『ピアニッシモ』が挟まれている。

「あ、あんたは?」

優太が警戒して身構えると、女は面倒くさそうにタバコの煙を吐いた。

「私の名はルチアナ。この世界、というかまあ、地球も含めた管理職やってる女神。はじめまして、中村優太さん」

「女神……?」

優太は眉をひそめた。目の前の女から漂うのは「神聖さ」ではなく、「残業明けの疲れたOL」のオーラだ。

ルチアナは手元のクリアファイルをパラパラとめくり、棒読みで告げた。

「私は見ていました、貴方の善行を……」

「善行?」

「はい。貴方は猫がトラックに轢かれようとした時、我が身を顧みず飛び出し、猫を助けて代わりに轢かれたのです。なんという素晴らしい自己犠牲の精神。全米が泣くレベルです」

優太のこめかみに青筋が浮かんだ。

「いやいや、違うだろ!!」

優太は食い気味にツッコミを入れた。

「あの猫、道の真ん中でコサックダンス踊ってたぞ!? しかもその後、空からバナナの皮が爆撃みたいに降ってきて、それを避けたらトラックが突っ込んできたんだ! 俺は猫を助けてない! むしろあの猫、俺が轢かれた瞬間にガッツポーズしてやがったぞ!」

優太の抗議に対し、ルチアナは「あー、はいはい」と耳をほじった。

「まぁまぁ、細かいことは気にせず。結果として猫は助かったし? 貴方は死んだ。書類上は『名誉ある死』にしといた方が、転生ボーナスつけやすいのよ。こっちの事務処理の都合もあるんだから察して?」

「事務処理って言ったぞこの女神!」

ルチアナはワンカップをぐいっと煽り、空になったカップを放り投げた(カップは光の粒子になって消えた)。

「というわけで、その素晴らしい善行に報いて、貴方に『アナスタシア世界』に行く機会を授けます。いわゆる異世界転生ってやつですねー」

「い、異世界転生……」

ライトノベルで見たことはある。しかし、まさか自分が。

だが、優太は医者志望だ。自分の身体感覚が既に「生身」のものではないこと、そしてこの空間が幻覚にしてはリアルすぎることを理解していた。

「特典として【言語理解】と、ユニークスキル【地球ショッピング】を授けます。これ、結構チートな能力なんで。頑張ればそこそこ無双できるし、快適なスローライフも送れる優れモノよ」

「地球ショッピング……?」

「その名の通り、地球の品物を取り寄せられるスキル。詳しい仕様は向こうで確認してね。じゃ、異世界生活をエンジョイしてくださーい」

ルチアナがサンダル履きの足を組み替え、帰る気満々で立ち上がった。

「おい待て! スキルの説明しろよ! リスクとか制限とかあるだろ普通!?」

優太が詰め寄るが、ルチアナは腕時計(G-SHOCK)をチラリと見て、焦ったように言った。

「あー、ごめん。もうすぐ魔王ラスティアと不死鳥フレアとの女子会、っていうか定例飲み会があるから。遅れるとラスティアが不機嫌になって、私のツケで高いワイン開けちゃうのよ」

「知るかそんなこと!」

「それじゃ、元気でねー! あ、向こうの世界、私の管轄だから、たまに遊びに行くかも。その時はヨロシク!」

「ふざけ――」

パチンッ。

ルチアナが軽く指を鳴らした瞬間、優太の足元の床が消滅した。

「――んなあああああああああっ!?」

優太の体は真っ逆さまに落下し、光の渦へと吸い込まれていく。

最後に見たのは、新しいワンカップを開けて「プシュッ」と幸せそうな顔をしている、ジャージ姿の女神の姿だった。

【アナスタシア世界・某所の森】

ドサッ!!

「ぐっ……!」

優太は草むらの上に叩きつけられた。

受け身をとったおかげで怪我はない。背中のリュックサックも無事だ。

周囲を見渡すと、そこは鬱蒼とした森の中だった。見たこともない巨大な植物や、青白く光るキノコが生えている。

「……本当に、飛ばされたのか」

優太は立ち上がり、服についた土を払った。

パーカーにジーンズ。手首には愛用の腕時計。

そして何より、あの適当な女神に授けられた力。

「スキル……【地球ショッピング】」

意識した瞬間、目の前に半透明のホログラムウィンドウが出現した。

そこには見慣れたECサイトのような画面と、検索バーが表示されている。

『現在の所持ポイント(善行値):0 P』

「……0ポイント?」

優太は呆然とつぶやいた。

女神は言っていた。『猫を助けた善行』と。

もしそれがカウントされているなら、初期ポイントが入っているはずだ。

「あのアマ……やっぱり事務処理が面倒で『善行』ってことにしただけで、ポイント反映してねぇな!?」

静かな森に、優太の怒りの声が響き渡った。

外科医志望の合理的精神と、元SEALs直伝のサバイバル術、そして残高ゼロの最強スキル。

中村優太の、苦労とツッコミに満ちた異世界生活が、ここから幕を開ける。

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