間違いだったでは済まされないけど
「グランデ公爵令嬢フランシーヌ、私は今をもって君との婚約を破棄する! そして真実の愛を教えてくれたユーティア・ラントンと婚約を結び直すことにする」
王立学園主催のパーティーで、この国の王太子ジャレット殿下がフランシーヌ様に婚約破棄を言い渡した。
黄金の縦ロールが見事なキリリとした美女で、ザ・お嬢様というイメージのフランシーヌ様は顔色一つ変えず冷ややかに聞いている。
「君は私が愛するユーティアに嫉妬して、数々の嫌がらせをしたうえ、階段から突き落として怪我を負わせた。公爵令嬢として、いいや人として許される行為ではない!」
もし、本当に彼女がそんなことをしたのなら許せない行為だが、
「あのぉ、嫌がらせをしていたのはフランシーヌ様ではありませんが」
私は思わず口をはさんだ。
なぜなら被害を受けたとされる本人だからだ。
ユーティア・ラントンは十七歳の子爵令嬢、ここ王立学園の二年生である。フワリとしたピンクブロンドにパッチリした二重の目、碧の瞳はいつもウルウルしていて庇護欲をそそる可愛らしい少女、それが今の私ユーティアで、ジャレット殿下の寵愛を受けている。ちなみにジャレット殿下とフランシーヌ様は三年生で、卒業したらすぐに結婚式を挙げる予定だった。
「そんなはずはない、目撃者もいるんだ。そうか、優しい君はフランシーヌに同情しているんだな、私に捨てられた上、犯罪を暴かれるのはあまりに気の毒だと。しかし、同情の余地はないぞ、君を殺そうとしたのだから」
こんなことになる前に何度も言ったのよ、フランシーヌ様は何もしていないし、公の場で弾劾するのは止めた方がいいと、でも、こうと決めたら猪突猛進の殿下は決行してしまった。
「いえ、本当にフランシーヌ様ではないのです。それに私、申し訳ございませんが、殿下との婚約は辞退させていただきます」
ユーティアの言葉にキョトンと間抜け面を晒すジャレット殿下、王太子がそんな顔をしてはいけません。
「は?」
「私では家格は低いし、教養、品格も全然足りません、王太子妃に相応しくありませんから」
「なにを言ってるんだ、そんなものは愛さえあれば乗り越えられる」
「私はまだ死にたくないのです」
「は?」
「自分が捨て駒だと知っています、殿下にフランシーヌ様との婚約を破棄させることが役目だったのです。たった今、その役目は終わりました。このまま殿下のお傍にいれば、あとは消される運命を待つだけなのです」
「は……?」
三回目の『は?』。ジャレット殿下が驚くのも無理はない、殿下は裏に陰謀が渦巻いていることを知らないのだから。
さっきも言ったように私は何度も打ち明けようとしたのよ、でも、殿下は耳を傾けてくれなかった。フランシーヌ様を追い詰める材料を無理やり探していたのだ。それも私の為だと疑わずに……。
胸が苦しい。殿下は心からユーティを愛していたのだろう、騙されているとも知らずに信じでいたのだろう。
ユーティアは殿下を愛していたわけではない。そういう素振りをせざるを得なかったのだ。
なぜ他人事のように言ってるのかって? それは他人事だからよ。確かに今の私はユーティア、でも中身は別人なのよ。
事の起こりは一週間前、死神のミスからはじまった。
* * *
私は暴走した馬車の事故に巻き込まれて命を落とした。
オルタンシア・バークレー、それが元の私だ。茶色の瞳にこげ茶の髪、可もなく不可もない目立たない普通の王立学園に通う十七歳だった。バークレー伯爵家も特に政権に関わることもない中流貴族、家族みんな平穏にゆるりと毎日を過ごしていた。
私の死をみんな悲しんだだろう。
両親は愛情を注いてくれていたし、下に弟が二人、妹が一人の四人兄弟、みんな長女の私を慕ってくれていた。
そして、婚約者のルパートとも良好な関係を築いていた。三年前に親同士が決めた婚約だったけど、今では愛し合うようになっていた。私が突然いなくなって彼は大丈夫かしら……心配だわ。
そんなことを考えながら、私はあの世の入口で最期の審判を待っていた。ここでこれからの行き先、つまりは天国へ行くか地獄へ落ちるか裁決されるらしい。
私の番が来た。
「オルタンシア・バークレー」
裁判員が資料をめくる。
そして、険しく眉をひそめた。
「ちょっと待ってください」
私は別室へと案内された。
そこで告げられたのは、
「申し訳ない、あなたの寿命はまだ残っています」
「えっ?」
「このバカが間違ってあなたを連れて来てしまったのです」
黒いフード付きローブを身にまといデスサイズを手にした死神がうなだれていた。
「あなたと同じく事故に巻き込まれた老夫人オルタンス・バクスターがここへ案内されるはずだったのですが、人違いで」
名前は少し似ているけど、老夫人と間違われたって?!
「じゃあ、私は死んでないのですね! 戻れるのですね」
「それが……、あなたの身体はもう埋葬されています」
「そんな! じゃあ私はどうなるのです?」
「まだ天寿を全うしていない魂を天国へ迎え入れることは出来ません、よって、別の器に入っていただきます。ちょうど今日、あなたと同い年の少女が死ぬ予定ですから、その少女の身体で生きて頂きます」
「別人になれと言うのですか!」
「仕方ありません」
「そんな無茶苦茶な!」
「さあ、連れて行って」
死神が私の手を取る。
「急いでください、タイミングが大事ですから」
「待ってください、嫌です! オルタンシアじゃなくなってしまうなんて!」
「大丈夫です、オルタンシアの記憶は消しませんし、ユーティアの記憶もちゃんとわかるようにしてありますから」
「そういう事じゃなくて! 酷いです! 間違いだったでは済まされないでしょ!!!」
こうして、私が泣こうが喚こうが無視されて、私の魂は赤の他人の身体に押し込められた。それがよりにもよってユーティア・ラントンだったのだ。
彼女のことは知っていた。王立学園の生徒で知らない者はいないだろう。王太子ジャレット殿下を篭絡した魅惑の子爵令嬢である。
フワリとしたピンクブロンドにパッチリした二重の目に長いまつ毛、潤んだ碧の瞳で見上げられたら、殿方はなんでも言うことを聞いてしまうだろう。
ユーティアはその美貌を武器に、裕福な高位の貴族令息に擦り寄って虜にしていった。令嬢たちの不興を買う女の敵だ。婚約者との仲が破綻したカップルもあり、学園での評判は最悪。ルパートの家は裕福じゃないので、相手にされないから心配なかった。私も悪女とは関わりたくないので、ただ遠巻きに見ていた。
そんな私とは正反対の女性の身体をもらっても困るんですけど!!
私がユーティアの身体に入ったのは三日前、彼女の記憶もあるので、ジャレット殿下が間違いを犯そうとしていることがわかった。このまま殿下が暴走すればお先真っ暗だ。ユーティア! あなたはなぜもっと早く止めなかったの! 愚かなことだとわからないの?!
ジャレット殿下の婚約者は公爵令嬢のフランシーヌ様、王家と公爵家の契約を破るなんて言語道断、グランデ公爵家の後ろ盾を失えば、王太子という地位が危うくなるとわかっているのだろうか?
それに付け込もうとしている陰謀があることに殿下は気付いていない。巻き込まれる私には、せっかく生き返っても未来はない。よくもまあ、こんな面倒な人の身体に放り込んでくれたものだ!
このままじゃいけない、なんとかしなければ!と焦った。
聞く耳を持たないジャレット殿下はあきらめて、私は、フランシーヌ様と接触を図った。
「私になんの御用かしら?」
「助けてください! フランシーヌ様のお力で、ジャレット殿下の目を覚まさせていただきたいのです」
私の訴えにフランシーヌ様は眉を寄せた。
「このままだと殿下はフランシーヌ様との婚約破棄を言い出すでしょう、そうなれば、私はもう用無しなのです。殺されるに違いありません」
私にはオルタンシアの記憶はもちろん、ユーティアの記憶もある。
彼女はラントン子爵家の末娘、ただし庶子だった。ラントン子爵が市井で見初めた平民との間に生まれた。ユーティアは母親と市井で暮らしていたが、彼女が十二歳の時、流行り病で母親が亡くなり、ラントン子爵家に引き取られることになった。彼女がたいそうな美少女なので、将来、金持ちの家に嫁がせる駒になると考えたからだった。
当然、本妻は面白くない。ユーティアは三年間、いびり倒された。父親であるラントン子爵は見て見ぬふり、ただ、『大事な商品だ、殺さないようにな、残るような傷はつけるなよ、特に顔はダメだぞ』と言うだけだった。
王立学園に入学が決まり入寮することになって、ようやく義母の暴力から解放された。ただし、ラントン子爵は『金をかけて学園に入れるのだから、必ず裕福な貴族令息を捕まえるのだぞ、それが出来ないのなら、年老いた金持ちの妾として売り飛ばすからな』と言った。
だからユーティアはなりふり構わず令息に媚びた。そして彼女の美貌は、思わぬ大物、王太子ジャレット殿下を吊り上げた。それはユーティが意図したのではなく、偶然だったのだ。
「私は従うしかなかったのです。でなければ卒業後の未来はありません、いっそ、家を出て平民に戻ろうかと考えていたところ、王太子殿下に気に入られてしまったのです。貴族の理など知らなかった私は、これで救われるかも知れない、お伽噺に出てくるヒロインになった気分で……本当に愚かでてした」
そんな経緯をフランシーヌ様に洗いざらい話した。苦労を知らない純粋なお嬢様の心には刺さったようで、彼女は同情して涙を零した。私自身――オルタンシアのほう――もユーティアが可哀そうすぎて涙無くしては語れなかった。
「でも、所詮私はただの駒、王太子殿下に見初められた私をラントン子爵は利用しようと考えました。平民育ちの私と違い、あの人は貧乏子爵家の娘が王太子妃になれるはずないと弁えていました。その上で、どう利用できるかと」
「そんなラントン子爵に接触してきた者がいたのです。フランシーヌ様のお家、グランデ公爵家の派閥を崩そうとする反対派閥、あなたを罪人に仕立て上げて、王太子の婚約者から引きずりおろした上で、公爵家の責任を追及するために、私は死ななければならないのです。本当は階段から突き落とされた時に死んでいてもおかしくなかった」
実際は死んだんだけどね。
もし、私がこの身体に入らなければ、アイツらの計画通りフランシーヌ様に罪をなすりつけていたのだろうか? それは成功したのだろうか?
「つまり、私はユーティア嬢に嫉妬して苛め抜いたあげく階段から突き落としたという冤罪をでっちあげられて、婚約破棄された上、投獄される。父や公爵家も責任を問われるのですね。そして我が家の後ろ盾を失ってしまった王太子は廃太子の窮地に立たされる。それを救うべく名乗りを上げるのが、黒幕という訳なのね」
「そうです、そしていずれは邪魔な私を消して、王太子の婚約者の座を手に入れます」
話が一段落したところでフランシーヌ様はクスっと笑みを漏らした。
「あなた……ただのおバカと思っていたけど、ちゃんと自分の立場を理解なさっていたのね」
「最初からわかっていたら……気付くのが遅すぎました」
「ギリギリ間に合ったではありませんか」
フランシーヌ様の美しい瞳が煌めいた。
「私もただ手をこまねいて見ていた訳じゃありませんのよ、あなたのこと、あなたのお父様のことも調べがついていますわ、そしてラントン子爵と接触を図った人物もね」
「えっ?」
「あなたは切り捨てられるとも知らず、踊らされていることに気付かない愚かな女だと思っていましたが、違ったようですね」
「じゃあ……」
「すべてわかっていましたわ、ただ、確証はなかった。あなたが階段から突き落とされたと聞いた時に確信しましたわ、そして未だに陰謀が蠢いていることに気付かない愚かなジャレット王太子殿下を見限りましたの」
「見限ったって……」
「そもそも最初から殿下をお慕いする気持ちはありませんから、しょせんは政略結婚ですからね。それでも貴族として責務を果たすつもりでいましたのよ。でも、ジャレット殿下はご自分のお立場より〝真実の愛〟とやらを優先させるおつもりのようですから、それなら私にも考えがあります。婚約破棄されるなら承りますわ、但し、殿下の有責で」
「でも、証拠があるとおっしゃってました、おそらく捏造された」
「大丈夫ですわ、そんなこともあろうかと〝王家の影〟をつけてもらっていましたから」
「王家の影?」
「国王陛下も、ジャレット殿下は文武両道で優秀ではあるけど性格に難ありと、王の器たるか疑問を持っておられるの。王立学園に通う三年間で見極めようとされているのですが……。婚約破棄に弾劾、やっていただきましょう」
「そんなことをすれば、殿下は破滅の道まっしぐらじゃないですか、じゃあ、私は」
「そうね、あなたはどうしたいの?」
* * *
「いったい、なにを言ってるんだ? 消される運命って?」
ジャレット殿下は困惑しながら私を見た。
「一度、殺されそうになって怖気づいたのね」
私が説明しようとするのを遮るように口を挟んだのは、ニューマン公爵令嬢のアデレイド様だった。
彼女はグランデ公爵家と並ぶ大貴族の令嬢で、かつては王太子の婚約者候補だったがフランシーヌ様が選ばれて破れた。そのことをずっと根に持っているのだ、そしてまだあきらめていなかった。
「でも大丈夫よ、あなたを虐げていたフランシーヌ様は断罪されるのですから」
「そうだぞ、なにも恐れることはない」
殿下は私を抱き寄せた。
彼がユーティアを愛しているのが伝わり、私はいたたまれない。彼女はもういない、私はその身体を受け継いだけど、彼女の代わりにはなれない。
「衛兵! フランシーヌを拘束しろ!」
殿下が指示を出す。私はすかさず、
「相手が違います! 拘束するならアデレイド様です!」
叫び、決めポーズの如く、アデレイド様を指さした。
「私を突き落としたのはこの人ですから」
この女がユーティアを殺した。
「な、なにを言うの!」
「私は見たんです!」
後ろから押したのだから見れるはずないと思っているでしょう、でも、私は上空からしっかり見ていたのよ。
「見間違いでしょ、犯人はフランシーヌ様なのよ、目撃者もいます」
そうね、脅迫して、もしくはお金を積んで作った目撃者なのね。
「その方たち、目がお悪いのではないかしら、フランシーヌ様は関係ありません」
きっと化けの皮はすぐに剥がれる。
そしてフランシーヌ様が冷ややかに言った。
「私には王家の影がついていますから、彼らが私の無実を証言してくれます」
「王家の影?」
アデレイド様は愕然とした。そんなことは予想していなかったのか? フランシーヌ様は王太子の婚約者、準王族扱いである、護衛が付いていてもおかしくないでしょ。
「こんなこともあろうかと、陛下にお願いして護衛して頂いているのですよ。そして、彼らの調査によって、今までユーティア嬢に嫌がらせをしていたのは、あなたの取り巻きだと突き止めています、あなたに命令されて断れなかったと証言していますよ」
フランシーヌ様が流した視線の先には、いつの間に現れたのか、衛兵に伴われている三人の令嬢の姿があった。
「知らないわよ、そんな人たち!」
裏は取れている、アデレイド様の策略は杜撰で詰めが甘い。フランシーヌ様の方が何枚も上手だ。そう言うところが、婚約者に選ばれなかった理由だろう。
「教科書を破いたり、机に生ごみを入れたり、鞄を池に捨てたりなんてことは子供の悪戯の域ですけど、階段の上から突き落とすことは悪戯では済みませんよ、殺人未遂ですから」
「私たち、嫌がらせはしましたけど、危害は加えていません!」
「脅されて、仕方なかったんです」
「そうです、それに、階段から突き落としたのはアデレイド様です、私たちが怖気づいたから仕方なく自分でやるしかないと」
令嬢たちは涙ながらに告白した。
「なにを言っているの! あなたたち、そんな虚言を吐くなんて! どうなるかわかっているの!」
アデレイド様がヒステリックに叫んだ。
「後は公安警察が捜査してくれるでしょう、彼女たちの他にも証拠や目撃者がでるでしょうね」
フランシーヌ様は冷めた目を衛兵に流した。
喚き散らすアデレイドを衛兵たち連行していった。
パーティーは混乱のうちにお開きになった。
* * *
「私が気付いたのは三日前、階段から突き落とされた時でした」
フランシーヌ様を弾劾しようとしたはずなのに、連れて行かれたのはアデレイド様、どうなっているのか訳が分からないジャレット殿下に、私は別室で説明した。
「私に嫌がらせをして階段から突き落として殺そうとしたのはアデレイド様です。それをフランシーヌ様のせいにして糾弾し、婚約破棄させて、自分が後釜になろうと企んでたのです」
「後釜って……なんでアイツが? 君がいるのに」
「だから私は消される予定だったのです。フランシーヌ様との婚約破棄で失ったグランデ公爵家の後ろ盾の代わりを、アデレイド様のニューマン公爵家がすると持ち掛けて」
「バカな、万が一にも君が死ぬようなことがあっても、あんな胡散臭い女は選ばない」
わかっているわ、殿下は本当にユーティアを愛していたものね。盲目になって周りは何も見えないくらい……。冷静になれば殿下だっておかしいと気付いたはず。
「夢を見ていたんです。最初は父から命令されて、裕福な貴族の令息に媚を売っていました。それが思いがけず殿下に見初められて、こんな私でも王太子妃になれるんじゃないかと無知な私は舞い上がってしまいました。市井育ちの私と違って父はそんな夢物語が成就しないとわかっていました。だからアデレイド様と手を組んで、私を捨て駒にしようと考えたのです。ニューマン家の弱みを握れば一生甘い汁を吸えるでしょうから」
ユーティアの父親は浅ましい男だった。
「殿下にすべてを打ち明けようとしましたが、聞いてくださらなかったでしょ」
「三日前、君が階段から突き落とされて、カッとなって、フランシーヌが犯人だと思い込んでいたから、なんとかしなければならない、そればかりを思っていて……そうか、三日前か、君の様子が変だったのはそう言うことだったのか」
おそらく殿下はユーティアが変わってしまったことに気付いていたのだろう、まさか中身が変わったなんて思わないだろうから、階段から突き落とされた恐怖からだと思って、犯人を許せなかったのね。
「フランシーヌ様の犯行だと殿下に思わせるようにしたのも、アデレイド様でしょうね」
「俺は愚かに踊らされていたのか」
「そうですよ、アデレイド様にも、そして私にも」
「君も……?」
「申し訳ございません、私が殿方に媚びていたのは父の命令だったからです、言うことを聞かなければ、年寄りの妾に売り飛ばすと脅されていたのです」
殿下の愕然とした泣き出しそうな顔を見て胸が締め付けられた。
「実の子にそんなことを」
「私はそういう扱いをずっと受けて来ました。でももう疲れました」
「私への愛は偽りだったのか? 私と一緒にいることは疲れることなのか?」
「ええ」
ユーティアの記憶からも、ジャレット殿下への愛は感じられなかった。
「殿下を騙してしまった罰は受けます」
「そうか、私は騙されていたのか、とんだ道化だな、君と一緒になれるなら、王太子の地位を捨ててもいいと思っていたのに」
ユーティアは本当に愛されていたんだ。
「でも、お前が苦しんでいることに、気付いてやれなくてすまなかったな」
彼女の記憶では苦しんではいなかった。確かに恵まれない生い立ちで、性格が歪んでしまったのも頷けるけど、王太子を篭絡することをゲームのように思っていた。こんなに優しい人を騙すなんて、なんて酷い女なの! 死神に連れて行かれた後、最期の審判はどうなったかしらね。
* * *
その後、私はお咎めなしだったが、学園を退学して市井に戻った。
オルタンシアは庶民の暮らしなど知らない生粋の貴族だけど、ユーティアの記憶があるからなんとか生活していける。
風のたよりで聞いたところ、ラントン子爵家は没落寸前とのことだ。私に報復がないのは、事情を知った国王陛下が、構うなと釘を刺してくださったかららしい。ジャレット殿下が口添えしてくれたのだろう。
国王陛下はジャレット殿下にチャンスを与えたそうだ。今回の出来事はかなり堪えたらしく、自分の浅慮を認めて深く反省している、これからは王太子に相応しい行動を取り、勉学にも励むと約束されたらしい。もともとは優秀な方だ、自分を省みることが出来れば廃太子は免れるだろう。
アデレイド様は最北の地にある修道院に送られた。ニューマン家は加担しておらず、アデレイド様の独断犯行だという主張が認められたが、監督不行き届きで領地を一つ、被害者のグランデ公爵家に贈与したらしい。それでも信用を失い公爵家としての勢いは半減するだろう。
そしてフランシーヌ様は。
「卒業したら、アジャーニ帝国の第二皇子の元へ嫁ぐことに決まったの、皇子は臣籍降下して公爵位を賜るから、公爵夫人になるのよ。そこでね、あなたに侍女として一緒に来てもらえないかと思って」
そんなありがたい申し出を賜った。
「でも、私は平民ですから、侍女じゃなくてメイドですよね」
「それは大丈夫、親戚の伯爵家に養子縁組してもらうから。あなたは王立学園を中退したけど、向こうで復学させてあげるから、ちゃんと卒業してから私に仕えるといいわ」
「ありがたいお申し出ですけど、なぜ、そこまでしてくださるのですか?」
「あなたのように頭のいい人を埋もれさせるのはもったいないと思ったから」
フランシーヌ様は不敵な笑みを浮かべた。頭がいい? 確かにオルタンシアの頃は真面目だったし成績はよかったけど、特別頭がいいと言われたことはない。
「同情ですか」
「そうね」
「でも、ありがたくお受けさせていただきます」
どうやら気に入られたようだ。
私はこの国から離れたかったからちょうどいい。
それはオルタンシアの墓へ行った時のことだった。
ルパートを見かけた。彼は見知らぬ女性を伴っていた。
「君を愛していたんだよ、でももう君はいない、いつまでもくよくよしていられないから、これからは彼女と共に歩いていく、見守ってくれるよね」
後方の木の陰から見ていた私の耳に、墓石に語り掛ける声が聞こえた。
はあ? 私が死んでまだ一ヵ月も経っていないのに?
一生、私への想いを引き摺って悲しみながら生きて欲しいなんで思っていないわ。でも、たった一ヵ月足らずで他の女の手を取るなんて、あまりにもアッサリしすぎてない? 私との関係はそんなに早く吹っ切れるほど希薄なモノだったの? 婚約して三年の絆はそんなに細かったんだ。
計画していたのよ、オルタンシアと親しかったと言ってルパートに近付き、打ち解けたところですべてを告白しようと。ユーティアの姿をしているけど中身はオルタンシアだと証明は出来る、だってルパートと私しか知らない思い出はたくさんあるもの。
愛していたのに……。
でも、あなたにとっては一か月足らずで消えてしまうような軽い愛だったのね。
もし、間違いで死ななければ、私はそんな薄っぺらい愛しか与えてくれない人と結婚していたんだと思うと、なんだか切ない。
ジャレット殿下は王太子としてはバカな行動に走ってしまったけど、本気でユーティアを愛していた。地位を捨ててまで貫こうとするほど愛された彼女が羨ましいわ。
一番の被害者はジャレット殿下だったのかも……。
知らなくてもいいことを知らされた。あのままユーティアが死んでいれば、真実の愛を信じて疑わなかったのだろうが、騙されていたことを知ることになった。そのショックは計り知れない。
逆に私はラッキーだったのかもね。薄っぺらな愛情しかなかったルパートと結婚しても、浮気されたかも知れないし、幸せな結婚生活を送れたとは思えない。
そう前向きに考えよう。
オルタンシアの時よりずっと美人だし、新天地で新しい愛に巡り会えるかも知れない。
間違いだったでは済まされないけど、オルタンシアのままだったら行くことのなかった世界へ行ける。アジャーニ帝国には海があるらしい。一度見てみたかったのよ。
おしまい
数ある作品の中から目に留めて頂き、最後まで読んでいただきありがとうございました。