8 魔獣
私はとっさに教室を飛び出した。スチュアート様もすぐに後を追ってきたが、危ないから逃げるようにと私に告げる。
「スカーレット嬢、危険だ。君は逃げるんだ」
「でも、隣の教室にはメルバがいますわ」
メルバは意地悪で、いつも私を嘲ってくる。だからといって魔獣に襲われているのを見捨てるなんてできない。私は隣の教室へ駆け込み――目に飛び込んできた光景は、まさに地獄絵図だった。
巨大な魔獣が暴れ回り、黒い瘴気を撒き散らしながら、机や椅子を次々となぎ倒している。魔獣の咆哮に窓ガラスが震え、砕け散った破片が床に散乱していた。
教師が必死に詠唱を唱え、無数の火の玉を放つ。炎は確かに魔獣の身体を焼き尽くした――かに見えた。だが次の瞬間、黒いもやが集まり、焼け焦げた肉体がみるみる再生していく。
水魔法を得意とする生徒も震える声で呪文を紡ぎ、渾身の水槍を放った。それも魔獣を貫いたが、やはり黒い瘴気が渦を巻き、穴は塞がれてしまう。
「嘘……倒せないの?」
「先生の魔法も効かないなんて……!」
叫び声と悲鳴が入り乱れる。勇敢に立ち向かう者もいるけれど、多くの生徒は逃げ惑うだけだった。泣き叫んで出口に殺到する者もいれば、隅にうずくまって震えるだけの者もいる。床には倒れた椅子と転がった教科書が散乱し、混乱の気配で息苦しいほどだ。
そのとき、メルバが胸を張って前へ進み出て、白い手を高々とかざした。
「私は光属性の魔法を使えるのよ! 見ていなさい、私が倒してみせますわ! 魔獣よ、消え去りなさい!」
まばゆい光が教室を照らし、生徒たちから感嘆の声が漏れる。けれど、魔獣はびくともしない。光を受けても、その瞳はますます赤く濁り、牙を剥いて吠え猛った。
「嘘……光属性の魔法なのに!」
「まったく効果がないなんて……?」
光の粒が虚しく宙を漂い、やがて掻き消えていく。メルバの顔から笑みが消え、絶望の表情が浮かんだ。魔獣がメルバに向かって襲いかかろうとした瞬間、私は彼女を庇って前に躍り出て、無意識に両手を広げる。
すると、目を開けていられないほどのまばゆい光が、教室中を一瞬で包み込んだ。さきほどメルバが放った光よりも、はるかに強く、澄み切った輝きだった。
「ま、眩しい……!」
「なに、この光……目が開けられない……!」
教師も生徒たちも顔を覆い、身をかがめる。誰もがその源を確かめる余裕などなかった。やがて光がゆるやかに消えていく。瞼の裏に焼き付いた残光がちらちらと揺れ、全員が呆然と立ち尽くしていた。黒い瘴気をまとう魔獣は苦しげに咆哮を上げ、のたうち回っている。その体を取り巻いていた闇は光に焼かれ、やがて魔獣は消滅した。
メルバは私をちらりと見て、口元に得意げな笑みを浮かべると、わざとらしく声を張り上げた。
「皆様、ご無事ですか? 今のは私の光属性の魔法です! 魔獣は退治しましたわ。どうぞもう安心してくださいね」
周囲の視線が一斉にメルバに集まる。生徒たちは疑うことなく歓声を上げた。もともとメルバは光属性の使い手として知られている。一方、私は魔力ゼロで有名だ。しかも、先ほどの光はあまりにも強烈で、誰の手から放たれたのか確かめられる者はいなかった。
「やっぱりメルバ様は聖女様だったんだ!」
「ありがとうございます、聖女様!」
「奇跡だわ……ただの光属性じゃなく、魔獣まで浄化なさるなんて……まるで大聖女様の再来だわ!」
メルバの担当教師までもが感極まり、目に涙を浮かべていた。
私の手柄がメルバのものになることなど、どうでもよかった。そんなことはもう、何度も経験して慣れてしまっている。生徒たちはメルバのもとへ集まり、口々に賞賛の言葉を捧げている。私はその光景を遠くから眺めながら、自分が魔法を使えたことに動揺していた。
(魔力ゼロだったのではないの? しかも、魔獣を消滅させた? 本当に私の力なの?)
思い悩んでいたせいで、次の授業の歴史の試験では、いつものようにわざと間違えることを忘れてしまった。ついなにも考えず、そのままスラスラと解いてしまう。
数日後、返却された答案は満点。
「……お前が満点だと? 本当に自力で解いたのか?」
教師の冷ややかな視線が私に注がれる。まるで、不正をしたのではないかと疑うように。
――また、厄介なことが始まりそうな予感がした。




