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7 ありがた迷惑

「えぇっと、お気持ちだけいただきます。ヴァイオリンなんて……とても弾けませんから」

「そんなことないよ。ちょっと手を貸して。ここをね、こうして……背筋を伸ばして、楽器を体の一部のように扱う。弓は押しつけるんじゃなくて、自然に乗せるようにして……」


(スチュアート様、わかっているのです。だって、私、弾けるのですもの)


 私はスチュアート様には申し訳ないけれど、逃げるようにその場を離れた。

「す、すみません。少し気分が悪くて。朝から体調が良くなかったので、保健室に行ってきます」

「一緒についていくよ」

「一人で大丈夫です!」


 私は出来損ないのゼロスカと呼ばれているから、スチュアート様以外に話しかけてくださる人はいなかった。スチュアート様はBクラス。学科授業では教室が違うが、音楽の授業では一緒だ。そのたびにスチュアート様が、なぜか私に声をかける。その一つ一つが優しく思いやりが詰まった言葉で、心が温かくなるのを感じた。――本当は、とても嬉しい。でも、それと同時に感じるのは少しだけ迷惑という感情だ。


 スチュアート様が話しかければ、教室中の視線が集まる。

「どうしてゼロスカと?」

「また一緒にいる。あのふたり、仲が良すぎない?」

 ひそひそ声が耳に届くたび、体が小さく縮こまる。私なんかと関わって、彼が悪く言われないかしら?


 音楽室は1年のAクラスの隣だった。そのため、移動中廊下を歩いていると決まって、私を見つけてメルバが声をかける。


「お姉様、授業にはついていけておりますか? まあ、お友達ができたのですね。どうかお姉様をよろしくお願いしますね。普段はひとりきりで過ごしていらっしゃるものですから。でも、その前髪、とても長いのですね。お顔がほとんど見えませんわ。どうせ、額に傷か痣でもあるのでしょう? ……あなたでしたら、お姉様とは本当にお似合いかもしれません。どうぞお二人に、神の祝福がありますように」


 スチュアート様への批判だけは、声を落としてひそやかに告げた。その直後、にっこりと微笑み、手をかざす。すると、まばゆい光がそこから放たれた。


「すごい! 光属性の魔法だわ。スチュアート様たちがうらやましい!」

「初めてみたわ」

 途端に周囲の生徒たちがざわついた。


 スチュアート様は「どうも」とだけ短くメルバに答えると、私を促して音楽室へと急いだ。


「なに、あれ。光属性のメルバ様がわざわざ祝福を与えてくださったのに」

「容姿の冴えない男と、中身が出来損ない令嬢。たしかにメルバ様のおっしゃった通り、お似合いだわね」


 周りにいた生徒たちには、スチュアート様と私がメルバに対してあまりに失礼な態度を取ったように映った。だからこそ、批判の声が次々と上がる。


 それからというもの、スチュアート様への悪口が広まっていった。第二王子の婚約者であり、カーク侯爵家の跡継ぎである光属性のメルバを無視した、と。大国ゴールドバーグ王国の貴族とはいえ、男爵家の次男がなんと不遜な、とまで言われてしまった。


 これは、メルバがあちこちでこう言い触らしていたからだ。

「お姉様と仲良くしてくださっているスチュアート様にご挨拶したのに、なぜか無視されてしまいましたの。私は手をかざし祝福までしてさしあげたのに……なにがいけなかったのでしょう。とても悲しいわ」


 彼女が放った失礼な言葉は、なかったことにされていた。学園でも、皆の前では善人の仮面をかぶり、周囲を味方に取り込むことに長けていたのだ。


(本当に困ったわ。私は卒業までひっそりと静かに過ごしたいのに)


 それに……スチュアート様が教えてくださることは、すでに知っていることばかりだった。きっと、彼の言う通りにすれば、もっと美しい音をヴァイオリンで奏でられるのだろう。けれど私はできない子でいなければならない。どれほど理解できても、どれほど力があっても、それを表に出すことは許されない。


 (意味がない。彼の言葉を受け取ったとして、私は応えられないのよ)


 ある日の音楽室で、ついに私は口を開いた。

「お願い、もう私に話しかけないでください。スチュアート様まで悪く言われていますわ。私に優しくすると、メルバに睨まれてしまいます」


 震える声でやっと絞り出す。


 スチュアート様は眉をひそめることもなく、静かに答えた。

「私が誰と話すかを、他人に決めさせるつもりはないよ。メルバ嬢に睨まれても、どうということはない。悪口も気にしない。ただ、スカーレット嬢と友人になりたいだけなんだ」


 そのまっすぐな言葉に、目の奥が熱くなる。どうして、そんなふうに言えるの……


 周囲から再び声が上がった。

「スチュアート様はゼロスカが好きなのかしら? 頭の悪さが移ってしまうのに」

 声を発したのは、昼休みになると、いつもメルバやその取り巻きと一緒にいる女生徒だった。


 彼はきっぱりと返す。

「ゼロスカじゃない。ちゃんと名前で呼んでくれ。彼女はスカーレット嬢だ」


 (あぁ、嬉しいけれど……迷惑なんです、ほっといてほしいのに)


 そう思った瞬間、メルバの教室から、甲高い叫び声が響いた。


「きゃああっ!」

「な、なんだあれは──!」

「ま、魔獣だぁーーっ!!」


 ドンッ、と壁まで震えるような衝撃音。続けてガシャーンと窓ガラスが砕け散る音が耳を打つ。

 椅子や机がひっくり返り、金属の軋む音が連続して響いた。


 胸がざわめき、手足から一気に血の気が引いていく。

 見えてはいない。けれど、隣の教室で何か巨大なものが暴れ回っているのは間違いなかった。

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