22 手のひら返し
「聖女様、お時間でございます。どうかお目覚めくださいませ」
聖女付の侍女たちが柔らかく声をかけ、そっと起こしてくれる。これほど丁寧に扱われたことなど今まで一度もなかった私は、思わず身を固くし、緊張してしまった。彼女たちは手際よく髪を整え、朝の身支度を整えてくれる。その優雅で丁寧な仕草に接するうち、私は自然と心がほぐれ、安らぎを覚えて微笑んだ。
寝室を後にし、侍女を伴って食堂へと歩みを進めた。神殿の朝は、静謐で清らかな空気に満ちていた。窓から差し込む柔らかな光が、白い大理石の床や整然と並ぶ柱に反射し、まるで天上の祝福のように神殿全体を包んでいる。
聖騎士たちは所定の場所で朝の巡回を行い、私の安全を目で確認しては静かに歩いていた。その中には、スチュアート様の近衛騎士たちも何人かいて、彼らを通してスチュアート様が私を守ってくださっていることが実感できた。
「おはようございます、聖女様」
食堂に姿を見せた私を、神殿で働くメイドたちが、にこやかに迎えてくれる。すでに朝食の支度は整えられており、香ばしいパンの香りと、湯気を立てる温かなスープの香りが室内いっぱいに漂っていた。ゆったりと食事を終えると、学園へ向かう支度に取り掛かった。
ほどなくして、神殿の庭園に馬車の車輪が近づく音が響く。迎えに来てくれたのはスチュアート様だ。黒光りする馬車の傍らに立つ彼の姿は、魔道具の指輪で変装されており、黒髪に黒い瞳、長めの前髪に分厚い眼鏡をかけた姿へと変わっていた。
「スカーレット、迎えに来たよ。一緒に学園へ行こう」
差し出されたスチュアート様の手を取り、馬車に乗り込む。走り出した馬車の中、学園へ向かう道すがら彼に視線を投げかけるが、長い前髪に隠れてその表情は窺えなかった。
「学園でお顔を見せたくないお気持ちはわかりますけれど……髪も瞳の色も変えているのですから、少しくらいならお顔が見えても大丈夫ではありませんか?」
「ふふっ、もしかして私の顔を見たいのかい? 顔が隠れていると寂しい、そう思ってくれているのかな。だったら、この前髪は切ってしまった方がいいね」
スチュアート様は口元に柔らかな笑みを浮かべ、すっと手を翳す。掌から淡い青白い光が滲み出し、瞬く間に氷の薄刃が生まれた――それはただの刃ではなく、魔力で紡がれた透明な氷の刃。薄さは紙のように繊細で、前髪に触れると音もなくすっと切り落としていった。
(氷属性の魔法ね…… スチュアート様に、なんてぴったりなのかしら)
整えられた前髪の隙間から、ようやく彼の瞳が覗く。本来の姿の方がずっと麗しいけれど……分厚い眼鏡の奥からのぞいた黒い瞳もまた、驚くほど綺麗だった。
胸がキュンと締め付けられ、視線を逸らすことも忘れて、私はただ彼を見つめてしまう。
「……そんなにじっと見つめられたら、私だって冷静でいられなくなるよ。好きな女の子にそんな目で見られたらね」
「っ……ごめんなさい、つい……」
「謝らなくていい。むしろ嬉しいから」
スチュアート様はそうささやき、私の指先にそっと触れる。
「もうすぐ着くよ。降りたら……手を繋いで歩こうか」
馬車が学園の門前に到着し、私たちはゆっくりと降り立った。門をくぐった途端、周囲の生徒たちが一斉にこちらへ駆け寄ってくる。
「本当は光属性の魔法が使えたのは、スカーレット様でしたのね! 聖女に認定されたそうで、おめでとうございます。やはり、そうではないかと思っておりましたわ!」
「私も同じです。スカーレット様が出来損ないのはずがないと、ずっと信じておりました。ぜひ、これから仲良くしてくださいませ!」
そう言って満面の笑みを浮かべたのは――かつて、誰よりも先に私を『ゼロスカ』と呼んだ二人の令嬢たちだった。




