11 奇跡
これまで私は、メルバに手柄を横取りされ、自分の力を隠して生きてきた。魔獣を消滅させても『メルバのおかげ』と言われ、当たり前に試験問題を解いただけで『不正だ』と決めつけられ、ついには退学処分となってカーク侯爵家からも追い出された。そんな日々が続いたせいで、私の心はすっかり萎縮してしまっていた。
だからこそ、うっかり魔法を使ってしまった今、また何か厄介なことが起きるに違いない――そう思わずにはいられなかった。私は思わず身構え、ぎゅっと目を閉じる。せっかく束の間でも『ここが私の居場所かもしれない』と思えたのに、またこれまでと同じように否定され、追い出されてしまうのではないかという不安が、胸の中に広がっていった。
ところが――
「すごいじゃないか、スカーレットちゃん! 魔法が使えるなんて、本当に素晴らしいことだよ」
おかみさんは驚いたように目を丸くしたものの、すぐに優しい笑みを浮かべて私に声をかけてくれた。
「……すみません。魔法を使うつもりはなかったんです」
「どうして謝るのさ? この子も親御さんもこんなに喜んでる。いいことをしたんだから、胸を張ればいいんだよ」
屈託のないその言葉に、胸の奥がじんわり温かくなる。子どもの両親は何度も私に頭を下げ、食堂にいた人々も皆、穏やかで温かな眼差しを向けてくれた。
(……もしかして、この場所なら、ありのままでいていいの?)
それからの私は、宿に泊まるお客さまの中で、怪我をしたり体調を崩したりした人がいれば、そのたびにそっと癒してあげるようになった。どれも大事には至らない傷や病気ばかりで、私が手をかざせばほどなくして和らぎ、たちまち元気を取り戻してくれるのだった。
そんなある日の夕暮れ時だった。宿の入口が騒がしくなり、慌てた声が飛び込んできた。
「誰か、助けて! 仲間がひどい怪我を……!」
駆け込んできたのは、常連の女性冒険者仲間に支えられた一人の女性だった。腕利きとして知られるアテナさんだ。森で遭遇した魔獣との戦いで深手を負ったらしい。背中や腕には鋭い爪痕が刻まれ、服は真っ赤に染まっている。あまりの出血に、女将さんの顔色がさっと青ざめる。
「こりゃ……ひどいね。医者を呼んでも間に合うかどうか……」
この宿は清潔で居心地が良いと評判で、女性冒険者たちにも人気がある。アテナさんも常連の一人で、いつもは朗らかに杯を傾けていた分、その痛ましい姿に胸が締めつけられる。
私は思わず足が動いていた。怖かった。これほど大きな怪我を治せる自信なんてない。けれど、苦しそうにうめき声を上げるアテナさんを見て、胸がきゅっと締めつけられた。
「……私に、やらせてください」
両手を怪我の上にそっとかざした瞬間、眩い光が溢れ、部屋中を包み込んだ。まるで太陽のように強く、温かい輝きだった。光が収まったとき、そこにあったのは血の跡だけで、アテナさんの傷はすっかり消えていた。眠るように穏やかな表情を浮かべる姿に、場にいた全員が息をのむ。
「……治ってる……」
「「まさか、本当に……奇跡だ!」」
女将さんの声をきっかけに、人々は一斉にどよめき、やがて拍手が巻き起こった。
その日を境に、『あの宿に癒しの娘がいる』という噂は瞬く間に街中へ広がっていき、宿の前には順番を待つ人の列までできるようになった。けれど女将さんは、列を見渡してきっぱりと告げた。
「いいかい、スカーレットちゃんは神様じゃなくて、あんたたちと同じ人間なんだよ。無理をさせれば疲れるし、身体を壊したら元も子もない。だから癒せるのは一日に五人まで! これ以上は絶対にやらせないよ。どうしてもってんなら、ここに名前を書いていきな。明日きちんと順番を取っておいてあげるから安心しな。あの子が元気でいてくれなきゃ、結局誰ひとり助けてもらえなくなるんだからね!」
すっかり回復したアテナさんや、彼女の仲間の女性冒険者たちも私をかばうように立ち上がり、並んでいた人々に向かって声を上げてくれた。
「だいたいね、タダで治してもらおうなんて虫がよすぎるよ。医者にかかれば治療費だって薬代だってかかるんだから、スカーレットちゃんにだけ負担を押しつけるなんて間違ってる。彼女だって生活があるんだ。だから、きちんと感謝と対価を示すべきだよ。あたしだって この前 助けてもらった時は、ちゃんとお金を払ったんだからね」
「でも……私は、みなさんのお役に立てればそれで嬉しいんです」
思わずそう口にすると、アテナさんは私の肩に手を置き、穏やかだけれど譲らない声で言った。
「だからこそ、私たちが守らなきゃいけないんだよ。スカーレットちゃんは優しいから、お願いされれば無制限に引き受けて、ただで癒やしちゃいそうだよ。でもそんなことをしていたら、あっという間に倒れてしまう。だから線を引くんだ。スカーレットちゃんの力は特別なんだから」
女将さんも大きく頷いて笑顔を見せる。
「いいかい、スカーレットちゃんの力を必要としてる人は山ほどいる。でもスカーレットちゃんが病気になったら、その全員を助けられなくなるんだよ。だからまず自分を守ることが一番大事なんだ」
私もその言葉に頷くしかなかった。並んでいた人々も不満を口にする者はなく、むしろ「助けてもらえるだけでありがたい」と感謝を伝えてくれた。
こうして、宿屋に迷惑をかけることもなく、 私は楽しく働くことができたのだった。働くことの楽しさや みんなに 受け入れてもらえる 嬉しさを味わいながら、 ここでならきっと、私は新しい一歩を踏み出せると信じられるようになった。
ある晩のこと。宿屋に入ってきたのは、ひと目で空気を変えてしまうほどの存在感を放つ人物だった。
肩まで流れる銀の髪は、魔道灯の光を受けてきらめき、まるで月明かりを纏った騎士のように輝いている。その下にのぞく瞳は深いアメジストの色を宿し、年若いはずなのに不思議と吸い込まれるような気品を漂わせていた。
白磁のように整った顔立ちはまだ少年らしさを残しながらも、凛とした気高さを帯びている。引き締まった顎のラインには意志の強さが表れ、すらりとした体躯は優雅さと未来の精悍さを予感させた。
「スカーレット嬢、探したよ! なぜ私を頼ってくれなかったんだい?」
まるで時が止まったように一瞬だけ世界が静まった。
(視線が離せない……知らない人なのに……なぜ私の名前を知っているの?)




