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9. あんな顔をするんだ

 (竹宮くん視点)

 1学期の定期テスト前の週末。僕はいつも通り塾のテスト対策に行った。土曜日に通うのは慣れたけれど、3年生というだけで先生たちの目に見えない“圧”を感じてしまう。

 

 最近、特に国語や英語の長文読解がうまくいっていない。何故だろう。前はできたはずだったのに。黒板に書いてある字を必死で書き写すためにノートを見る。そのあと黒板を見た時には違うことが書かれているような気がして、時々焦る。


 それでもこの塾で難しい問題を解いていれば学校の試験はどうにかなる。内申点さえ取ることができれば問題ない。


 

『塾内の試験の偏差値に20を足したものが、全国模試の偏差値ですので。自分の位置を知るためにあえてこのようにしています。お母さん、晴翔(はると)くんであれば伸びます。是非ご検討いただきたい』

『そうなんですね、では……お願いしようかしら』



 ふと塾に初めて見学に行き、母さんと先生が喋っていたのを思い出した。偏差値って何だろうと思っていた小学生の頃。塾のハイレベルな問題をそれなりにやってどうにか中3まで来た。塾の試験は何度も間違えて、何度も落ち込んで、それでも偏差値は50。つまり20を足して70の高校に行ける……らしい。


 本当か? それにしても普段の勉強がつらい。学校で楽になるとはいえ……こんなに頭の痛くなるような勉強までしてあの難関高に行かなくてはならないのか。



 梅野さんは個別指導の塾だと言っていた。

 いいな、彼女が……羨ましい。



 ※※※



 塾のバスから降りて家の近くまで来た時。向こうから母さんが笑顔で歩いて来る。

 その隣には、ボサボサの髪にクタクタのTシャツとジーンズをはいた――兄だ。


 外に出たのか? あの兄が……どうして……。


 僕は反射的に横道に入り2人から見えないように隠れてしまった。母さんの声が聞こえる。


愛翔(まなと)のデザイン画、感動しちゃったわ! あの専門学校、あなたみたいな人を探していたなんて……あそこならリモートの授業もできるから愛翔(まなと)のペースでいいのよ、本当にここまでよく頑張ったわね!」

 兄はあんな顔をするんだ。下を向いているが母さんの方を時折見ながらはにかんでいる。



 ――僕は何を見せられているのだろうか。



 兄が少しずつ外に出られるようになったなら、それで良いはずなのに。それに母さんのあんな笑顔、初めて見た。


「あら晴翔(はると)も今帰り? 暑いわね」

「あ……うん」


 

 僕もさっきまで頭が痛くなりながら頑張っていたのに。


 

 いや、兄は……もっと大変だから……引きこもっていて大変だったのだから。


 そのまま家に入るとリビングで父さんがソファに座っている。兄は父さんの顔を見ずに自室に入って行った。


「あなた……愛翔(まなと)がね……!」

「もういい、晴翔(はると)、試験勉強は順調か? 3年生最初だからな、気を抜くんじゃないぞ」

晴翔(はると)なら心配いらないわよ。それより愛翔(まなと)がね」

「ああそうか。好きにしてくれたらいい。晴翔(はると)長乃嶋(ながのしま)高校のパンフレットだ」


 僕は父さんからこの地域の難関高、長乃嶋高校のパンフレットを渡された。やっぱりここなんだ。


 何だろう……胸焼けがしてくる。今だけは、自室にいる兄と交代したい。そう思ってしまった。



 ※※※



 定期テスト2日前。にも関わらず、僕は教室に残っていた。もうこれ以上勉強したって……同じだから。

 隣で梅野さんが数学の課題をしている。彼女は先週1日だけ休んだので課題が残っていた。


「……竹宮くん、帰らない……の?」


 不思議そうな顔でこちらを見る梅野さん。何となくここにいたい。ただそれだけだ。


「何だか疲れて」

「そうなんだ」

「梅野さんは先週どうして休んでたの?」


 彼女は僕の方を見て目をぱちぱちさせて驚いた顔をしていた。目以外、固まっているけど。ん? 変なこと聞いた?


「それは……ちょっとお腹痛くて」

「……へぇ」

「お母さんに言ったら休ませてくれた」

「……」


 母親に言えば、休ませてくれるんだ。まるで遠い国の出来事みたいに聞こえる。

 僕はやっぱり机のゆらゆらとした木目をただ見つめているしかできなかった。自分は……休めないんだった。いや、今教室で休憩しているようなものだけど。



 そう思っていたら、教室の扉が音もなく開いた。ぬっと現れるなよ……松永、心臓に悪いんだってば。

 

「梅野さん、例の課題はどうだ?」

「……ま、松永先生……もうすぐ……できます……」

「そうか」


 松永が一瞬だけだが穏やかな表情を見せた。気のせいか? 梅野さんは耳が真っ赤だ。松永はそんな彼女に話しかける。


「もう体調は問題ないのか?」

「えっ? は……はい……あの……大丈夫……です……」

「良かったな。その課題も出来るところまででいいそうだ。あんまり遅くまで居残りはきついからな」

「せ……先生……」



 ――僕は何を見せられているのだろうか。



 いや、別にこれは普通の会話だ。ごく普通の会話。でも……どうしてだろう。また頭が重たくなってくる。


「竹宮君」

「はい」

「緊張してるのか?」

「……それは」

「まぁ、ここにいるのは構わないがそろそろ時間だ」

「……分かってます」


 僕と梅野さんは帰る支度をして教室を出ようとする。松永の声が後ろから聞こえてきた。


 

「まっすぐ帰るんだぞ」



 梅野さんはさらに耳を赤くして「先生……さようなら」と言っていた。僕はペコっとするしかできなかった。松永の顔なんて見ずに。


 松永は普段は怖いけど、時々ホッとさせてくれる。前にも「よく頑張ったな」と言ってくれた。今日も僕のことを少し心配していたように見えた。ここ最近、塾や兄のことがあって心がグラグラしていたのが……きっとわかっていたんだ。


 それでも……何故か悔しかった。

 梅野さんに優しく接してくれる松永。

 

 彼女はあんな顔をするんだ。

 顔だけじゃなく耳まで赤くなるなんて。

 それは、僕には見せたことのない表情だった。


 

 ――何考えてるんだ、早く帰らないと。



 

 

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