37. 公立受験
「奈々美、行ってらっしゃい」
「行ってきます」
お母さんも緊張の面持ちだったけれど、いつも通り送り出してくれた。今日は公立高校の入試。
そう、私の目指す星山岡高校の入試本番である。
電車の時間を確認しながら余裕を持って出発したので、思ったよりも早く着いた。が、意外にも教室内には既に席につき、ノートなどを眺めている人が多かった。
みんなが自分よりも優秀に見えるとはこういうことなのだろうか。
もちろんまだ開始までに時間はあるので、焦らずにゆっくりと席に着く。とりあえずお茶を飲んで前を見た。
教壇の位置も高く感じる。中学校とは違う教室の雰囲気にのまれそうになる。私立高校の受験で一度経験しているはずなのに、今日という日はいつまで経っても特別な日なのかな。
だけど今日さえ乗り切ればどうにかなるはず。
私はふぅと息をついて持ってきたノートを眺めていた。
※※※
(竹宮くん視点)
星山岡高校は文化祭では来たことがあるけれど、その時とは全く違った空気感だ。私立受験とはまた違う緊張感。
教室内には同じ中学からの男子がいたので少しだけ励まし合った。梅野さんは別の教室のようだ。
今朝は母さんと……父さんも玄関に来てくれた。
「行ってらっしゃい、晴翔。気をつけてね」と母さんはいつも通り。
父さんは、母さんの隣で険しそうな顔をしていたが僕が靴を履き終わった時に一言――「行ってらっしゃい」と言ってくれた。
受験勉強もあって父さんと話す機会はあまりなかったけれど、母さんとは色々と話していたらしい。
合格した時には、ちゃんと父さんと話せるような気がする。そのためにも今日はやり切る。
僕は席でテキストやノートをパラパラとめくりながら最後のチェックをしていた。
※※※
(奈々美視点)
「はい、試験終了です」
やっと……終わった。全部を出し切った。
5科目、私なりにやり切ったと思う。
途中でよくわからない問題も出てきたけれど、後から見て多分これだろう、と閃いたのは嬉しかった。合っていたらいいんだけど。
最後の科目が終わる10分前ぐらいから、受験生のみんなが何かから解き放たれていくような動きが見えた。
結果は気になるけど今日の入試は終わったんだ。ホッと一安心である。
私はリュックを持って教室から出ようと待っていたら、廊下に彼がいた――竹宮くんだ。教室をのぞいて私がいることに気づくと手を振ってくれた。
「梅野さん、お疲れ。終わったね」
「うん……とりあえず今は何も考えられないかも」
「確かに。もう……ただただゆっくりしたい」
「だよね」
今日は家に帰って美味しいものでも食べて、のんびりしたいな。
明日からはまだ学校がある――だけどもう少しで卒業式。そう思うと急にクラスの友達や先生たちの顔が思い浮かんできた。
中学生の3年間、長いようであっという間だよって聞いていたけど、その通りだった。
4月からは高校生――憧れの高校生活が始まると思っていたのに、もうちょっと待ってほしいとか考えちゃう。
今のクラスでもう少しだけ、楽しみたいのにな……。
そう、もう少しだけこの制服を着て、竹宮くんやすみれちゃんと同じ教室で笑っていたい。でも、時間は止まってくれないんだよね……。
そんなことを考えていたら竹宮くんも同じことを考えていたみたいで「もう卒業式? 早いな」と言っていた。
「私もそれ思ってたよ」
「梅野さん、絶対泣きそう」
「え? そうかな……」
竹宮くんとこうやって話せるのもあと少しなのかな。
それとも合格できればまたこんな風に一緒に歩けるのかな。
だったら毎日私はどんな顔をしているんだろう。
想像できない。男の子と高校生活を送るってことが。
ああ、また考えすぎちゃう。
うーん……とりあえず帰ろう。
そう思いながら、私はそわそわが残ったまま自宅に到着した。
「奈々美! お疲れー! ほら、アイス買ってきたの!」
そわそわを吹っ飛ばすような勢いで、お母さんがアイスの箱を持ってきてくれた。
「これ……前にお母さんが食べたいって言ってたキャラクターの……」
「あ、バレたか。奈々美の分もあるから♪」
お母さんのこの愉快さで私はいつも安心できる。そして自分からお母さんに話をしたくなる。
「さすが奈々美ねぇ〜♪ そのぐらい手ごたえがあったなら良かった。今日は好きなだけアイス食べていいから」
「いや、そんなに食べられないよ。お腹壊すし」
「じゃあ私がこれを食べても……」
「ダメ。お母さんは食べ過ぎ。お腹痛いってまた言うでしょ?」
「うっ……確かにそうか。今日はこのぐらいで」
「ハハハ……」
※※※
それからのクラスの雰囲気は、卒業前の緊張感や和やかさが混じった独特なものだった。前から合唱の練習もしていてみんなは疲れているけれど、これが終わってしまうのもどこか寂しいような、何とも言えない毎日だった。
公立高校の合格発表は卒業式のあと。そのこともあって公立組のみんなは宙ぶらりんな感じもするのだけど。
「あのさ、奈々美」とすみれちゃんがこっそりと話す。
こういう時のすみれちゃんの話はおそらく――
「卒業式に誰か告白するのかな?」
やっぱりそうだった。
それは確かに気になるなぁ……。
「漫画みたいだね。第二ボタンとか?」
「奈々美、うちは学ランじゃないから」
「そっか……じゃあ何もらうのかな」
「いや、もらうとかじゃなくってさ……」
私は漫画やアニメ(そしてお母さんがたまに話す、ひと昔前のそういう話)しか知らないので、卒業式に実際にすみれちゃんが言うようなことが本当にあるのか、気になってきた。
さらにそんな話を聞いた後に竹宮くんと教室ですれ違っただけで、心臓が変なリズムを刻むのが自分でもわかる。
この数日間、卒業式のことを考えるだけで感情が高まっていた。何かが終わってしまう寂しさと、新しい何かが始まる予感が、ずっと胸の奥で揺れている。
※※※
最後の朝が、静かにやってきた。教室も廊下も、いつもと同じはずなのにどこか違って見える。
そしてその時が――私たちの卒業の日が来た。




