2. わからない気持ち
夜の森は、昼間とまるで別のよう。
冷たい空気が肌にまとわりつくたび、心臓の鼓動が早くなる。
――いよいよ、肝試しが始まる。
修学旅行一日目の夜。
最後のペアは、私と……副担任の松永先生。
先生は1人少ない男子の代わりなんだけど、まさか自分が引き当てるなんて思っていなかった。
「あ、あたし15番だったー! あの男子か、まぁいいけどさー! やっぱ竹宮くん当てるの難しいよね。後半かぁ」
「そうなんだ、じゃあ一緒に待ってようよ。私、先生と最後だし」
私はすみれちゃんと一緒に1番のペアから出発していくのを眺めていた。
一組ずつ森の奥へ消えていく。お化け屋敷なんかよりも寒くてずっと怖そう。
「あ、奈々美! 竹宮くん5番! もう行っちゃったね」
「本当だ」
竹宮くんとペアの女子が出発して行った。あの暗闇の中で、あの子は竹宮くんに触れるのかな。手を繋ぐのかな。どうなるのかな……。
次々とみんなが出発して行き人数が減っていく。そしてみんながいなくなると同時に、だんだん身体が冷えてきた。寒さなのか、怖さなのか、それとも――。
「奈々美! 行くねー! ゴールで待ってる!」
そう言ってすみれちゃんも行ってしまった。あと4組……。その後に先生と出発かぁ。
すると隣から声がした。
「梅野さんか。俺ら最後だな。まぁよろしくな」
「は……はい」
松永先生だった。
教室の中じゃわからなかったけど、夜風になびく髪と無造作なパーカー姿の先生は少し違って見えた。かっこいいかも。
???
松永先生がかっこいい? そんな……けど……。
どうしてだろう。普段は雑でぶっきらぼうなのに、今先生に話しかけられただけで……ホッとした。寒さがましになった。
やっぱりクラスの男子とは違って大柄でたくましくて、渋さもある。そんな大人の男性が暗闇の道で一緒に歩いてくれるなら……すごく心強い。
いや、違うってば。
私は竹宮くんが気になっているんだから。
はぁ……でもどうしよう。
肝試しのドキドキなのか先生へのドキドキなのか、もうわけわかんないよ。
あ、19番が出発しちゃった。
今スタート地点にいるのは先生と私だけになった。
「7分後に出発だからな」
そう言って腕時計を見る先生……何だか素敵に見えてしまう。
「怖いか?」
「はい。お化け屋敷も苦手なんです」
「まぁ大丈夫だ。真っ直ぐ行けば着くからな」
そうなんだけど……。
そうなんだけど……。
ほとんどのみんなは既にゴール地点に着いて、ワイワイ喋っているんだろうな。
女子の中で私だけ、松永先生と一緒に今から……いざ出発。
「ほら」
先生が大きな手を差し出す。
「え?」
「離れたら迷子になるぞ? 怖いんだろ?」
「はい……」
私は先生と手を繋いで暗い森林の中を進んでゆく。
大きな手に包まれて、少しだけ心が落ち着いた。
授業中は怖いと思っていた先生の手は、思っていたよりもずっと温かい。
足元の草を踏むザクッザクッとした音だけが響いていて、不思議と静けさに守られているような気持ちになった。
その時、ガサガサっと木々が揺れる音がして――
「いやぁっ……!」
暗すぎて、怖すぎて、思い切り声をあげてしまった。先生の手をぎゅっと握って……私は思わずその腕に身を寄せてしまっていた。
背中をポンポンと優しくたたかれる。
それだけで涙が出そうになるくらい、ほっとした。
私を包むような先生の腕の中は、不思議と安心できる場所だった。
まるで心のどこかが緩んでいくみたいで……でも、それが一体何なのか、自分でもわからない。
先生はそのまま何も言わずに待っていてくれた。
「落ち着いたか? じゃあ行くか」
「はい……」
先生と再び手を繋いで歩き出す。
怖さはまだ残っているけど、さっきよりもずっと軽くなった。このまま進めば、肝試しも終わってみんなのところへ行けるんだ。
けれど、どうしてだろう。
あの時の先生の温かい何かが、今でも心に残っている。
何もわからないけれど、どこか忘れられない何か。
私はきっと――
肝試しが怖かったから、あんなに安心しただけ。
優しく声をかけてくれたから、ちょっと胸が高鳴っただけ。
それ以上の意味なんて……きっとないのだから。
もう半分以上、歩いて来ただろうか。
「あと少しだからな」
そう言ってくれる先生。
だけど……。
もうちょっとだけ。
もうちょっとだけ一緒に歩きたいだなんて。
一体どうしたのだろう。
寒さなんて、もうとっくの昔に忘れてしまった。
そのぐらい私は先生に頼りたいのかな。
いや、違う違う。違うんだってば。
だって私は……。
ビューーーーーーガサガサガサガサッッッ!
急に激しく冷たい風が木々を揺らして、さらに私は身体を震わせる。
「やだ……っ」
ほっとした気持ちが嘘だったかのように、私は半泣きになりそうだった。
私はまた……先生の腕に飛び込んでしまっていた。
お化け屋敷以上に終わりが見えなくて怖かった。
もう3年生なのに……こんな自分が情けないなって思うけど、どうしても足がすくんで動けなかった。
そして先生の腕がそっと私の背中に触れて、しっかりと抱きとめてくれる。
ああ、怖い。
でも……あったかい。
今だけでいいから、少しだけでいいから……どうかこのままでいさせてほしい。
その温もりに守られて、ちゃんと歩けるようになるまででいいから……。
私はやっと少し落ち着いて、顔を上げる。
先生は私の手を自分の両手で包み込み、目線を合わせるように腰を落とした。
「大丈夫だ」
その言葉が、まっすぐ胸に届いた。
怖くて泣きそうだったのに、私はいつのまにか落ち着いていて、心が静かになっていた。
だけど、これは恋なんかじゃない。
そう、恋なんかじゃなくて……たぶん、ただの安心。
その瞬間――
ザッザッザッザッ――
徐々に大きくなる、走っているような足音。
「梅野さん、遅いから迎えにきた」
息を切らしながら、竹宮くんが立っていた。
心臓が跳ねた。
でも私の手はまだ……先生の手の中にある。