10. 期末試験
1学期末試験が終了した。ただでさえ引っ込み思案で自信のない私は緊張しすぎて夜にうなされていたらしい。お母さんから聞いてはじめて“受験生”のプレッシャーを感じていたんだと思った。
『奈々美、中1の最初の試験以来ね。あの時は小児科に行ってたなぁ……今って小児科じゃないのかしら。そうだ15歳から大人だからぎりぎりOK? あの優しい先生の小児科』
『お母さん……大丈夫だってただのストレス。うなされてたなんて記憶ない』
『ならいいんだけど』
15歳からお薬の量だけは大人。
私の心の中は……本当の大人になったらもう少し落ち着くのだろうか。
「ただいま。お母さん、テスト返ってきたよ」
「ほぅ」
「……もうちょっと反応してくれてもいいんじゃないの?」
「え?」
今日のお母さんはすごい速さのタイピングをしながら2画面モニターの右側ばかり見ていた。そうだ、お母さんは「夏休み前はつらいのよぉぉぉ」って毎年言ってたっけ。
「……奈々美。じゃあ点数をお願いします」
そう言ってお母さんがオフィスチェアをくるりと回して私の正面を向いた。あの、いきなり仕事モードみたいな雰囲気醸し出すから緊張するんだけど。
「……420点」
「……え?」
「だから……5科目420点! 取れたの!」
「……」
「……」
お母さんは頭の半分以上がお疲れモードなので理解できていないのだろうか。少ししてから目を大きく見開いて両手で口を抑えていた。
え? お母さん。働き過ぎてとうとう日本語が理解できなくなったのだろうか。
そう思っていたらすぐに立ち上がって私に抱きついてきた。
え? お母さん。やっぱり疲れ過ぎて情緒不安定?
「す……すごいじゃないのっ!! よ……420って平均85近くでしょう? よく頑張ったじゃない! あんなに『うわぁぁぁ』ってうなされてたから本当にきつかったと思うけど……ここまで本当に頑張ったわ奈々美!」
お母さんが喜んでいる……! 嬉しい。
私も頑張ったんだから。
前よりも計算とか早く解けるようになったし、今回は塾の自習室にもたくさん行ったし。
あとは行きたい高校があるの。
星山岡高校……お母さんが通っていた高校。
いや、お母さんが通っていたっていうのもちょっとだけあるけれど……星山岡高校美術部の絵画展に行って私は心打たれたんだよね。
大きなキャンバスに油絵の具が何層にも重なって、青とピンク色のビーチが広がっていたの。だけどパステルカラー全開じゃなくて少しブラウンも入った大人っぽい匂いもして。あとは空がピンク色でイルカもピンク色で……夢みたいな世界で。
これを一人で描いたんだって思うと感動しちゃった。他の人の絵も全部、素敵だったから見惚れていたんだ。
中学の美術部は小規模なんだよね。ゆるい部活だから私にとっては気楽なんだけどさ。いつか私もあんなに誰かを感動させるような絵画を創り上げたいんだ。
「私、頑張ったよ。時々洗濯ものも畳んだんだから。へへ……すごいんだよ」
「そうよ! よく洗濯ものまで畳んでくれたわね……疲れてなかった?」
「あのぐらい平気だよ。2人分だしね」
「もう私……嬉しくて今日PC閉じたい」
「お母さん、またそうやってお仕事サボろうとする」
「サボってないってばもう……ハハハ」
※※※
(竹宮くん視点)
期末テストが返ってきた。家に帰りたくない。どうすればいいのだろう。それでも帰らないといけないし、塾にも点数を伝えなきゃいけないし……。
そして暑さで今にも倒れそうだ。ずっと頭も痛かったけれど、どうにかテストを受けることができて良かった。休んだらいっかんの終わりだからな。
「ただいま」
「おかえり、晴翔! テストは返ってきたの?」
母さんが勢いよく玄関まで小走りで来た。いつものことだ。期待するニコニコとした笑顔――前は嬉しかったのに、今の僕には心臓がえぐられるぐらいの苦しさだ。
「うん」
それだけ言ってまずは靴を脱いで2階に上がり、自分の部屋へ行く。兄は今日も部屋にいるのだろうか。何なら僕もこのまま部屋にいてしまおうか。
そういうわけにもいかず、母さんが待つリビングに向かう。階段を降りるたびに、背中が重たい何かで圧迫されそうだった。
「それで晴翔、点数は?」
「……」
期待される点数じゃないんだよ。今回は。
「425点……」
母さんの表情が固まった。
さっきまで上がりっぱなしの口角がどんどん下がってゆき、表情には曇り模様のさらに今にも雷雨がくるような黒っぽい曇りが見える。
「晴翔……? 475の間違いじゃなくて?」
そう言うのも分かる。平均95以上が当たり前だったのだから。でも僕なりに頑張ったんだよ……。あの毎日の塾で大変な中で……兄のことだって気になっていたしそれに……。
梅野さんみたいになりたかったんだよ……。
おい待て。梅野さん関係ないし。彼女のせいじゃない。彼女というよりも……彼女を“励まして”くれたあの先生を見ていたら思ったんだよ。
――あんな父親だったらって。
「……わかったわ。お父さんにはちゃんと話すのよ」
母さんはそれだけ言って台所に向かった。
うちのあの父さんと話すことができるなら……こんなに苦労しないって。
その後、父さんにはこっぴどく叱られた。平均95から10点も下がって平均85になってしまったのだ。長乃嶋高校に行けるかがわからない。
「晴翔、各科目あと10点を取り戻すための具体的なプランはあるのか。塾の講師に問題があるか? いや、晴翔……今からでも遅くない。塾の時間数を増やすべきか」
「父さん……」
「何だ」
「……」
「……お前だって長乃嶋に行きたいだろう? そのために今の状況を把握して2学期以降は挽回せねばなら……」
「違う!」
僕はついに叫んだ――父さんの前で。
「僕は一度も……長乃嶋に行きたいなんて言ってない!」
「何言ってる! 竹宮家はあそこに行くことでその後の将来だって約束されてきたんだ!」
「……わかってないくせに……僕のことなんてわかってないくせに!」
「こら! 晴翔!」
僕はそのまま玄関へ行き外に出た。むっとした暑さがまた重たく身体にのしかかる。気づいたら学校の近くまで走っていた。
涙で顔はぐちゃぐちゃになり、拭いても拭いてもおさまらない。
もう僕に帰るところなんてない。
暑くて……熱が視界を溶かしていくようで……そのまま目の前が真っ暗になった。
と、思ったらものすごく大きな何かが僕を支えているような……?
「おい! 竹宮君!」
この声は……。
松永……なのか……?




