エスフォード伯爵家
助け出した4人の娘達を近くの町まで連れて行くことになったクロス。
幸い、4人共に健康状態は良好で、治療が必要な者はいないが、彼女達を連れて魔物や獣が生息する森の中を数日間に渡って移動するのは厄介だ。
クロスが持つ水筒の中にはクローラーの燃料タンクの中に入れてあるものと同じ魔石が入れてあるので、水源さえあれば川の水だろうが、水たまりの泥水だろうが、全く問題ない。
食料についてもクロスの持つ携行食を節約しながら分け合うことになるが、必要とあらば森の中で手に入る小動物や木の実等でどうにかなる。
娘達の体力は心配だが、一番の懸念はその恐怖心だ。
弱き者の恐怖心は魔物や獣を引き寄せ、凶暴化させてしまう。
クロスが1人でいる時に魔物達に構わなければ魔物側もクロスに興味を示さないこととはわけが違う。
しかも、現在のクロスは冒険者の立場でありながら暗殺者でもあり、顔と正体を隠している状態で、主要装備のライフルもケースに入れて隠しており、余程の危機でもない限りは簡単に出すわけにはいかないのだ。
それでも、クロスも一介のソロ冒険者である。
ソロであるが故に飛び道具であるライフルだけでは生き残れない。
突発的な遭遇戦や、不意に囲まれた場合にはライフルでは却って不利であり、その場合にはライフルに銃剣を着けて近接戦闘に転換したり、それも間に合わなければ腰に差した鉈で敵と渡り合う。
その程度の心得がなければ冒険者としては生き残れない。
故に、この森の周辺に生息する魔物や獣ならばライフルを使用せずとも、予備の武器である鉈で十分に渡り合える。
実際にクロス達が歩き出して2日の間に2度魔物の襲撃を受けた。
1度目は3体のオーク、2度目は群れからはぐれて空腹の魔狼、どちらも駆け出しの冒険者では苦戦を強いられるだろう。
しかし、クロスにしてみれば油断さえしなければ問題ない相手であり、娘達を守りながらでも危なげなく撃退できた。
それでも、娘達、とりわけ人種の2人は魔物が生息する森の中の移動ということで精神的、肉体的な疲労が大きい。
しかも、その娘達を連れているのが黒いマントに目深にフードを被り、口元を隠した得体のしれない男なのだから尚更だ。
本来ならば娘達を救った者として事情を説明し、彼女等を安心させる必要があるのだが、クロスが請け負った仕事の都合上それはできず、娘達とのコミュニケーションも必要最小限に留めており、それらのことが重なって、クロスが想定していた移動速度よりも大幅に遅れてしまっている。
このままでは食料が足りなくなることは明白で、食料
となる木の実や小動物を採取しながら進む必要があるかと思い始めた3日目、事態が急転した。
クロス達の前に現れたのは豪華ではあるが、荒地でも走行が可能な実用的な馬車と、それを護衛する5人の騎士。
馬車と騎士の鎧にはこの一帯を治めるエスフォード伯爵家の紋章が示されている。
娘達を狩りの獲物としておもちゃにしようとし、クロスに暗殺された貴族はこのエスフォード伯爵家の嫡男だ。
娘達の表情が恐怖と絶望に染まったが、直ぐに戸惑いに変わる。
騎士達は馬を降りると薄汚れた娘達に膝をついて頭を垂れた。
誇り高い騎士が主君以外の者に対して膝をつく、しかも元奴隷だった娘達にだ。
娘達はどうしたらいいのか分からずに互いに顔を見合わせ、挙句にクロスに救いを求めるような眼差しを向ける。
騎士達に敵意は無いことは明らかだが、クロスが娘達を守るように前に出ると直ぐに馬車から1人の執事服を着た老紳士が降りてきた。
完璧な所作で恭しく一礼する老紳士。
「エスフォード伯爵家の筆頭執事を務めておりますディモンドと申します。主人に成り代わり皆様をお迎えにあがりました」
ディモンドと名乗った老執事の言葉に他意は感じられないが、それでも娘達は混乱している。
俄にその言葉を受け入れることは難しいだろう。
「私の言葉を受け入れ難いのも無理はありません。少し事情を説明させていただきます。・・・つい先日のことですが、エスフォード家嫡男のアルフレッド様が不慮の事故により亡くなられました。その事故に関する調査でアルフレッド様の生前の悪行と皆様の存在、皆様が森に置き去りにされたことが明らかになりました。そこで当主様の命により、皆様をお救いすべく、急ぎお迎えに参上した次第でございます」
嫡男の悪行を認めた上での伯爵家当主としての対応。
当主自らが赴くことはあり得ないが、当主の右腕ともいえる筆頭執事を送り込んできたところを見れば娘達を救いに来たというのは間違いないだろう。
しかし、ディモンドの言葉には嘘がある。
嫡男アルフレッドが死んだのは事故ではないし、その悪行を知らなかったこともあり得ない。
把握しておきながら諌めることができなかったのが真実だろう。
そうでなければ、今回クロスがこんな仕事を引き受けることもなかった筈だ。
とはいえ、伯爵家としての体裁もあるだろうし、諸悪の元凶は既に排除されており、その尻拭いもしようとしているのだからこの程度の嘘は放置しても問題ない。
ディモンドにしてもこの嘘を看破されることを承知の上で矛を収めることを要求しているのだろう。
それをあえて指摘すれば伯爵家を敵に回すことになりかねないし、そもそもクロスが口を出すようなことでもない。
それでも娘達は戸惑いを払拭できずにいるが、それも無理はないことだ。
伯爵家の誘いに乗ってこのまま口封じをされてしまう可能性すらあるし、その方が手っ取り早いことくらいは予想がつく。
娘達4人はクロスの背後に隠れてしまい、このままでは埒が明かない。
仕方ない、クロスは仲介することにした。
「分かりました。貴族家の筆頭執事と正騎士を送り込んできたのですからその言葉に偽りは無いのでしょう。しかし、彼女達の不安も理解できます。そこで、彼女達の今後の処遇について軽く説明していただけますか?」
クロスの意を汲んだディモンドは頷く。
「先ず、皆様にはアルフレッド様がお掛けした多大なるご迷惑の補償として金貨1枚、10万レトをお支払いします。補償とは別に当面の生活のために銀貨30枚、3万レトを加えてお支払いします。加えて今後のことについてですが、ご希望ならば当家のメイドとして召し抱えることも可能です。無論、開放奴隷等の理由で差別されないことを私の名において保証します。それを希望なされない方には望む職への斡旋を可能な限り行います」
聞く限りかなりの好待遇だ。
そもそも彼女等に支払われる金貨1枚と銀貨30枚、合計13万レトはかなり纏まった金額だ。
例えば、ギルドの上級職員の1ヶ月の給金が約3万レトで、フィオナのような一般職員の給金が2万レト弱であり、どちらも庶民に比べれば高級取りの部類に入る。
一般庶民なら2万レトもあれば家族4人が1ヶ月以上は生活できるので、彼女達に支払われる金額はかなりの高額だ。
それでも、伯爵家にとっては端金だろうが、彼女達に対する誠意としては分かりやすいだろう。
「それは第三者たる私が聞いても問題なく、伯爵家として誓約されるということですね?」
「はい。娘さん達の処遇については貴方の所属するギルドに文書にて報告します。伯爵家の名において、この言葉を違えることはありません。万が一そのようなことになったら・・・当主様や次期当主となられるアグリットお嬢様の命は掛けるわけにはいきませんが、代わりに私の命を差し出しましょう」
そう言って自らの眉間を指差すディモンド。
その仕草はクロスが何者であるかを理解しているものだが、今回の仕事の依頼主であるならば当然のことだろう。
それらの事情まではつゆ知らずだが、クロスとディモンドの話を聞いた娘達の緊張が幾分和らいだ。
そこに加えて彼女達の護衛をクロスからエスフォード家に引き継ぐと聞かされれば、彼女達に選択肢はない。
かなり強引ではあるが、そもそも被害者の保護はクロスの仕事ではないのでクロスにしてみれば、早々に手を引きたいのが正直なところだ。
結局、娘達を無理矢理納得させ、ディモンドに引き渡すことで今回のクロスの仕事はようやくと終結した。




