山からきたてんこうせい
転校生と言っても地元校に帰っただけですが。その日の内にパソコン(正しくはマイコン)部へ復帰しました。
文化祭準備の真っ最中でした。クラスではステンドグラス風のシートを作っていたので私はUTAN で読んだ「ヒランヤ」を描きました。
そしてバレーボール。中学入学前にはサーヴィスすら入らなかったのですが、サイドサーヴに変えたら嫌な回転が掛かりながら届くようになりました。クラスマッチでは優勝しました。
体育でやっと柔道を習います。道着のたたみ方から受け身まで。見て覚えました。受け身の出来ない子は前の畳まで呼ばれてやらされてました。
「今日初めての月尊でさえ出来とるやないか! お前なんか骨折れ!!」って言われてましたね。
足技で大外刈り、投げ技で大腰、寝技で横四方固めと袈裟固めを習いました。この体育の恩師が対戦した相手は小柄な選手が多かったのでしょうか?
持久走は相変わらず。
通常のトラックの内側を走っておりました。幼小と同じだった虚弱そうなのと、幼稚園で同じだったぽっちゃりさんと、私の3人で。
虚弱そうなのは3年の時に1,500メートルで1周遅れにしてやりました。私も先頭から1周遅れでしたが。
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下校時、正門からの坂を下っていたときに左後ろに違和感があり、ガード。1年から6年まで同じクラスだった子でした。自転車で下りながら私にラリアットしようとしていたようです。上の自転車置場からは「月尊、上手いぞ!!」と声がかかりました。オナ小の子でした。
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3年の時にサッカーがありました。右サイドから上がって来るのを追い詰めたりとか、倒れても倒れても向かって来るのからボールを奪い前線へパスしたりとか活躍しておりましたが、自陣と敵陣を往復する程走れませんでした。でも、交代せずに前後半とも出ました。クラスの男子は22人で、1人は線審に供出するとして当日何人休んでいたかはわかりませんが、ハーフタイムで交代の子もいました。
ここまでやってるんだからいい加減強いと認めろよな。面倒くさい。
それでも歯向かって来るのがまだいました。
さて、この章で書いた誰が次の対戦相手でしょうか?