うでがなおってから
春休みにお弁当持って出かけたのは骨折の前だったか。禁止食、アレルギー食も指定された名前付きのお弁当で。
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両腕に凶器を付けた私が怖かったそうです。ゆでたまご作「キン肉マン」に登場するジャンクマンみたいだったと。
完治するまでは運禁。喘体、乾布の時間はずっと腹式呼吸をしておりました。学校の体育の時間は理科準備室へ。カエルの解剖がしたいという私に、捕まえて来たらさせてやると仰られました。小さいカエルではダメで、大きなのを捕まえて来いとのことでした。後は農作業もさせて貰えなかったな。ギプスで制限されているからその範囲内で動かすことは可能だったのですが。
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骨折前までは自習時間以外にも自習をしていました。以来、それはしなくなり、治ってからは赤と白のサイコロを転がす野球ゲームにハメられていました。それとサッカーにコーチが付いて学校のグラウンドで練習していました。
そしてリハビリに通っていた国立病院の小中学生とサッカー試合。大きい1人だけ気を付ければ良く、DF からでも攻め上がり、大きいのがぶつかりに来たけど、中央にパスを送り楽勝でした。
その大きいのから「覚えとけよ」と言われたのはちゃんと覚えています。
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夏の外泊は3週間程度だったでしょうか? 学校がないときも療養所にいました。看護婦長さんが購入箋を出してくれてジュースを飲むことが出来ました。もちろんお小遣いから引かれるのですが。こうして日用品、学用品の購入には購入箋を使うのでした。外来の時には現金で買うことも出来ました。冷えた瓶入りのジュースでした。ちなみに、売店と理髪室の担当者が同じでした。
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テレビの取材が2回程来ました。下校時はいつもバラバラなのにテレビクルーの指示で2列に並ばされて下校して来るとか。実家にはビデオがなかったので祖母宅で録画されていたのを見ました。二酸化炭素量を測るマスクを装着しながら心電図を取る端子を貼り付けて機械の上で走るとか普段やらないことをテレビの演出的にやらされていた感じでしたね。その日のプールが女子だったかな。
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9月に生徒会選挙があり、書記に立候補して落選したのかな。会長の立候補者が1人でしたが、そこは信任か不信任かの投票になり落選に。どういうシステムなんだ?
会長再選挙に私を含め3人立候補したが、落選。同級生が会長に。私は学級委員として生徒会に。後からこんな貧乏籤引くんじゃなかったと嘆いておりました。療養所で唯一の3年生が退院したときもそちらの自治会長という貧乏籤まで引いていたのですが。
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秋になり、また運動会の練習からの運動会。それを終えてからいきなり退院となりました。私はずっと喘息B のままでした。
終わりじゃないよ。まだまだ書くべきことがあるでしょ?