09 部族同盟
「『部族同盟』を知っているかって?」
クィントス・S・ビスマルクから群狼傭兵団の団長エリスに依頼についての具体的な話があったのは、バダイの詰め所にある牢屋の中だった。
喧嘩騒ぎなど日常茶飯事のバダイにある牢屋だ。簡易なもので専門の防犯施設というわけでもなかった。だだっ広い何もない部屋の中に幾つか鉄格子だけで作られた檻が置かれているだけだ。
逮捕者の凶悪さと、性別、密集度に寄って入れる檻を決めている。
キューブ型の檻に入れられたエリスは、鉄格子を硬い背もたれにしながら、目をつぶって僅かに残った酒が抜けるのを待っていた。
そこに声をかけてきたのが隣の檻に入れられたクィントスである。
『四天のビスマルク』の嫡子だと名乗り出れば、牢屋に入れられることもなかったのではないかと思ったが、何故か隣の牢屋でエリスと同じように鉄格子に背中を預けて座っていた。
二人の距離は200センチほど離れている。お互いの鉄格子の間はそのうち70センチほどか。
エリスの女性用の檻には彼女以外誰もいない。
クィントスの方にも老人の飲んだくれと、コソドロのような男、浮浪者、その三人だけだ。今日は随分と穏やかな日らしい。
そうやって静かな空気の、硬い背もたれに、目をつぶりながら釈放までの時間を待っていたら、尋ねられたのが先程の言葉だ。
「それは、ま、そうね」
共闘の気安さと、暇つぶしの寛容さで、エリスは頷いた。
東方に住んでいて、傭兵家業をやりながら『部族同盟』を知らないと言えば、それは無知ではなく、拒絶の意思表示以外あり得ない。
『部族同盟』。
それは帝都以東、帝国領内に隣接する蛮族共の総称であり、点在する人類種部族間で結ばれた一大軍事同盟の名前でもある。
帝国は千年前、始皇帝ガッテミウスによって十の国家を平定して建国された。
その領土は西端を西大山脈、北は帝都北の零峰、南は流刑地サウスギルベナ、そして東はこのバダイの街まで広がる大陸最大の巨大国家である。
これに比肩する単一国家となると歴史上では南部統一国家であったエスドニアがほんの二十数年の間、大陸半分を支配する古代帝国を築いていた例があるだけだ。
数十年間大陸半分を統一したエスドニアと面積的には大まかに三分の一を千年に渡って支配し未だ存続している帝国のどちらが歴史的に偉業であるかを判断するのは歴史家の役割だ。
問題なのは帝国はこの大陸最大の国家ではあるのだが、
帝国が支配しているのはエスドニアの支配した大陸半分にも満たない、三分の一、弱の範囲であること。
そして、この世界において、人より優れた生物などありふれて存在しているということだ。
三百年前に西の大山脈の向こうに、王国が建国されるその時まで、以東に広がる領域からの『侵攻』を防ぐ、それが帝国にとっての最大の安全保障問題だった。
大山脈以西にも人より優れた存在もいたが、それは古代竜など単一の超越者であったり、魔物であったり、人間と文化的衝突の可能性がある存在と言うものは、三百年前に帝国から分裂して王国が建国されるまで確認されていなかった。
しかもここ百年においては西の王国との軍事衝突も特に大きなものはなく小康状態であり、南のサウスギルベナにその王国との貿易港が近々開港されるという話もあることを考えれば、西からの脅威は年々小さなものになっている。
建国千年を数える国家において唯一の戦場は、千年間変わらずこの東方なのだ。
とはいえ、その東方以東の脅威さえ、そう感じているのは東方に置いてもごく一部の人間であり、殆どの人間にとっては、日常の一側面であり、産業でしかなかった。東方以外の人間にとっては、他人事としか捉えてはいない。帝都中央の政治家でさえそうだろう。
東方以東には確かに帝国支配地域以上の広大な非友好勢力圏が広がってはいる。だが、単一国家として最大なのが帝国だということも紛れもない真実なのだ。
そしてこの世界において、文化と国家をなせる知的生命体はゴマンとおり、それが人間の数よりも多いというのも正確な統計があるわけではないが、事実なのではないだろうか。
だが、それでもやはり、単一種族としても最大の国家が帝国だということも紛れもない事実なのだ。
そして、帝国以外の国にとって、人間以外の種族にとって、帝国が、人間が、共通の敵ではないということだ。
未開地域である東方以東において、帝国民が異民族と一纏めに呼んでいる者たちが、部族の違いを理由に殺しあっている。人狼は吸血鬼と戦争している。ドワーフやエルフの王国は鎖国しているし、上位竜などは家族という単位ですら縄張りを共有していない。
つまり、帝都にとって、帝国民以外は敵であるが、異民族たちにとっても同氏族以外は異領域であり、人狼にとっても、吸血鬼にとっても、ドワーフ、エルフ、ホビット、ゴブリンにとっても同じことなのだ。
そんな状況で突然変異のように生まれたのが部族同盟である。