08 クィントス・S・ビスマルク
ポッカポッカと馬蹄の音がする。
ガラリガラリと車輪の回る音がする。
太陽光線が真っ直ぐに突き刺さる晴天に、ある一団が行進していた。
武装しているから行軍と呼ぶべきだし、行進と呼ぶにはバラツキがあった。
エリス率いる群狼傭兵団総勢百三十一名のうち八十七名だ。
正確には総勢八十七名のうちの八十七名であるが。
なら最初から言えと言われそうだが、帝国での登録上は百三十一名なのだ。
わずか三日前には百三十一名いたのが、あっという間に八十七名になったために、登録情報の書き換えが間に合わなかったのだ。
人数があっという間に30%も減ったのは別にこの三日間の行軍で戦死したわけではない。
実際には今回の仕事を告げた途端に離職したのだ。
夜逃げか、仁義を踏んだかは別にして、たしかに言えるのは彼らは泥舟から逃げ出したのだ。
団長エリスとしても、いきなり傭兵団から抜けることに対する対価として彼らの未払い分の報酬を払わなくて済んだのだから、ちょっとはメリットもあった。いよいよ感は増したが、今更だ。
河川を使って一気に前線まで向かえるはずのバダイを出発した一行が、街道を進んでいるのもそういう(経費削減という)理由だ。
作戦上は問題ない。今回の作戦には馬を扱える者しか参加させないからだ。
群狼傭兵団の保有していた軍馬は50頭強。これでも東方の傭兵団の中ではかなり多い。この規模の傭兵団で80頭の騎兵を有している団はないだろう。
それに登録上の人数と実際の人数が違ったところで別にどうということはない。
これからの任務を考えれば、おそらく9日後にはもっと人数は減っているのだからその時に手続きすれば良い。全滅するかエリスが戦死すれば手続きも借金も踏み倒すことができる。いい事ずくめだ。もちろん自暴自棄の言だけど。
逆によくこの人数が残ったともエリスには思えた。
エリス同様逃げ場のない人間の駆け込み寺と化していたから、当然なのかもしれないけれど。
エリスは団の中央に、一緒に行軍する一団に目を向ける。
今回の雇い主。
言うまでもなく、あの『四天のビスマルク』の嫡子であるクィントス・S・ビスマルクとその直属の部下たちである。
その数はわずかに主人であるクィントスを含めても四名。
エリスの見たところ全員が上級騎士でクィントスの腹心だろうとは思うが、その数が表すのは雇い主であるクィントス達は今回の作戦には参加しないということだ。
エリスは初めて出会った日の翌日に、部下を走らせてクィントス・S・ビスマルクの身上調査を行った(当日にしなかったのは牢屋に入っていたからだ)。
クィントス・S・ビスマルクは確かに、『あの』『四天のビスマルク』の長男。つまりは征夷大将軍を二百年にわたって輩出している東方ビスマルク総本家の嫡子だということだ。
軍人の階級としては下級百人隊長。
彼の年齢と貴族位を考えればこれは大変出世が遅い。
よっぽど愚蒙なのか、愚劣か、愚図か、愚昧か。普通にやっていれば2つは上の階級にいるはずだ。
それだけを見ても、のんびりアクビ混じりに騎乗するこの男が、『四天のビスマルク』の後継者に相応しい実績を残していないのはエリスもすぐにわかった。
東方ビスマルク総本家の跡継ぎレースにおいて生まれ落ちた場所など関係がなく余裕をかましている暇などないのにだ。
ビスマルク家では、『四天のビスマルク』が当主の座に継いて以来、徹底した実力主義が取られている。
実力主義といってもビスマルク家の人間と平民出の兵士を同じように扱うなどという間違った実力主義のことではない。
嫡子だろうが、外腹だろうが、本家だろうが、分家だろうが、ビスマルク家の血を引く軍人は、初陣を迎えるとともに独立遊撃小隊長の位を授けられる。
ただ単に、独立遊撃小隊長の位を授けられる。
つまり五十名以内の兵員を部隊編成し、自由運用する権限だけ与えられるのだ。
東方風の表現をするなら。
『好き勝手やれ。ついでに殺されても知ったこっちゃない。ただし邪魔をしたらぶっ殺す。』
といった具合だ。
エリスたちと変わりがない。国家公務員の傭兵団といった扱いだ。
その後、自分の才覚(実際にはそれぞれ派閥などの援助があるだろうが)によって、兵を雇い、隊を大きくし、階級を上げていく。
そして『正式な後継者候補』と認められるのが、『准将』位。
ここまで来ると、『遊撃』部隊は『解散』し、各騎士団に組み込まれる。組み込まれると言っても、帝国軍において数千の兵を率いる将軍位の准将であるから、(ある程度の)独立性を有した勢力であることには代わりはない。
この制度が始められてもう十年経つが、未だに『小隊長』から『准将』になった者はいなかった。
嫡子であるクィントスが小隊長からたった一つ上の下級百人隊長にしかなっていないのだか、この嫡子のぐうたらさを差し引いても険しい道だと言わざるを得ない。
そうでなくとも、軍の階級において上から数えたほうが圧倒的に早い『准将』など、簡単に到達できるものではない。エリスからすると欠陥制度にしか思えないのだが。
「本当に報酬払えるんでしょうね?」
エリスのじっとりとした視線に気がついたクィントスが手を振ってきたのを無視して、小さく呟いた。
自分の部隊を持つ士官、将官が手数を増やすために傭兵団を雇用するのは東方では極々一般的な雇用形態だ。士官が雇うことはめったにないので、やはり指揮権を許された将官クラスによる雇用と限定したほうが正確だが。
ただし、先程も述べたとおり、『四天のビスマルク』の後継候補者たちに与えられた『独立遊撃』の権利を考えれば、エリスの群狼傭兵団は経験がないが、一介の独立遊撃小隊長に雇われるということもあるだろう。
小隊長の給与所得で百人規模の傭兵団を雇うことなど、一日だって無理なのはエリスにもわかっている。クィントスはあの『四天のビスマルク』の嫡子として生まれたお坊ちゃんなのだからもしかしたらポケットマネーがあるのかもしれないが、少なくともエリスはそれがいくらくらいの資産なのかは知らない。そしてクィントスが言ってきた『儲け話』では、金はクィントスの懐からはやってこない。天からも降ってこない。
傭兵団らしく、流血の滝の中から流れ落ちてくるのだが。
逆に実際『やれんのか?』と訊かれれば、随分と分の悪い賭けだ。
話としては単純明快、なのだが。
何かどうにも腑に落ちない。
エリスはため息を付いて今回の仕事について話された時のことを思い返した。