07 ダンス
モヒカン頭の頭が吹き飛んだ。
いや、吹き飛んだように見えたが、実際砕け散ったのは、振り返ったモヒカン頭の顔に全力で叩きつけられた木製の椅子の方だった。案外安い素材を使っていたのか、振り抜いた力がよほど強かったのか。
振り向いた時と同様の、何が起こったのかもわかっていないポカン顔で、吹き飛ぶとはとても表現できないゆっくりとした直立不動でモヒカン頭は自分が床に倒れることになった。
倒れるときにはすでに意識は飛んでいただろうから、だれが殴ったかわからなかったかもしれない。
「Ooops ごめん」
少なくともとぼけた顔で悪びれのない謝罪を告げたクィントス・S・ビスマルクの言葉はすでに聞こえていなかったに違いない。
そのまま手近にいた男の顔面を、今度は拳のストレートでぶん殴った。
新手の出現に男たちは戸惑った。動揺する。
そのスキを逃さないだけの観察眼がエリスにはあった。
脚を掴んでいた二人の男。脚を掴んだままのことを利用して二人の頭同士を大腿筋の力で衝突させる。
両足を掴む四本の腕の力が緩んだ瞬間に脚を引き抜いた。その引き抜いた反動を利用して、エリスは羽交い締めした男の体を支点に利用してそのまま後方にバク転、というより後方倒立からの着地といった具合で羽交い締めした男の背後を取った。
獣のごとく鋭く素早いエリスにとって、一対六を、二対四まで持っていければそれで十分だった。
背後を獲った男の尻を思いっきり前蹴りして吹き飛ばす。ケツを蹴り飛ばされた男は当然目の前にいる二人の男にぶつかりもつれ込むように地面にコケた。
それだけで反対側にいるクィントスの助力になる。
特段素早くもないクィントスは一対一の状況ができていた。
クィントスは一応軍隊格闘術らしきものを訓練されているようだが、ぶん殴ってぶん殴られてお返しに頭突きを返す様を見るに、破落戸相手にはふさわしい喧嘩スタイルだった。
だがそれだけで、反対側にいるエリスには助力になる。
真の意味での『神速』ほどではないにしても、獣のように鋭く素早いエリスには十分な一対三の状況とスペースができていた。
エリスは蹴った。蹴りまくった。
まるで殴ると爪が割れることを気にしているかのように蹴りまくる。
腹を蹴って頭を下げさせ、下がった頭を蹴り飛ばす。
殴りかかってきた男の拳に脚を引っ掛け体勢を崩すと、クルリと回転して遠心力を伴った蹴りが炸裂する。
まるで竜巻のように男たちの顔を、首を、腹を、股間を、蹴っ飛ばし続けた。
洗練された動作の美しさや、四肢の伸びやかさを勘案すれば、舞を舞うようだと言ったほうが適切か。舞にしては少々世俗的で荒々しく娯楽的に過ぎたけれど。
やがてお互いの間に立ちはだかる破落戸連中を昏倒させ続け、二人は相対するまで進んだ。
二人の間には何者も割り込めないほど近くに、お互いの息を感じるほど近くまで進んだ。
クィントスは「どうだい?」とばかりに目で問う。
エリスは「悪くはないわね」とばかりに僅かに頷いた。
クィントスにはエリスの経歴からは考えられないほど品のある赤い瞳と赤毛の睫毛を見つめた。
エリスはじっと覗き込んでくるその碧眼と白の睫毛を見つめ返す。
細かなところが見えるほど二人の顔は近かった。
眼も、鼻も、唇も。
僅かな体温を感じるほど近くてもそれに違和感を感じぬほど二人の顔は近づいた。
このままどうなるのか。
先程までお祭り見物のごとく『見学』していた酒場に居合わせた荒くれ者たちもシンとなって二人の様子を見守る。まるで乙女の如く純真に固唾を呑んで。髭面の乙女。
このまま二人の顔が近づいてどうなるか。
それはわからなかった。
「そこを動くな!」
という空気を読めない正論が二人の間に割り込んできたからだ。
酒場に新たに姿を現したのは、今度はこのバダイの衛兵たちのようだった。
ことの成り行きもわからぬ彼らはこの騒ぎの張本人らしい、まだ無事に立っている二人の身柄を抑えることにしたらしい。誠に職務に忠実なことである。空気を少しは読めや、と髭面の乙女たちはため息を付いた。
ハッと思い出したように、先に顔をそらしたのはエリスの方だった。
一気に目の前の男から距離をとると、少し睨むような視線を向ける。
何を言おうかと逡巡したあと、とりあえず文句を言うことにしておいた。
「君の護衛連中は何してるわけ?」
喧嘩騒ぎが起こってからも、エリスはともかく護衛対象であるはずのクィントスに加勢する素振りさえ最後まで見せなかったのだ。
言われたクィントスは、一瞬ぽかんとした。助勢したことを褒めてくれると思っていたあてが外れたのか、どうなのか。
しかし一瞬ポカンとした後、クィントスは上を見上げてから細かく数回頷いた。
たしかにエリスの言う通りだったからだ。
だから、自分の影護衛であるはずの連中に顔を向ける。
そこにいたのは髭面の乙女たちと同様に、二人の方を微笑ましく見つめる自分の護衛たちの姿だった。
クィントスの眉間に皺が走る。
「仕事はどうした諸君」
本来なら、これが帝都あたりであったなら、首が少なくとも制度上は飛ぶくらいの失態を犯したはずの護衛たちは微笑みの視線を返すのみだ。
その居心地の悪い視線にクィントスは何度か叱責の言葉を探したが、見つからなかったようで、イライラしたように両手で何かを受け取ることを求めるジェスチャーで「なんとか言えよ」と発言を促す。
その言葉の意味が伝わったようで、ただし主人のいらだちは伝わっていないような気軽な様子で護衛たちの一人が口を開く。エリスが斥候武官出身だと言った年嵩の男だ。
「喧嘩助力までは、我々の仕事には含まれていませんので」
含まれていないわけがないのだが、こうも堂々と言われてしまうと東方のおおらかな気質ではそうなのかしらとクィントスは斥候武官の男を指差したまま言葉に詰まってしまった。
言葉に詰まったクィントスはエリスに助太刀を求めるように護衛を指差したままエリスの方を『俺間違ってないよね?』とばかりに見る。
だが、エリスから返ってきたのは睨みつけるような視線と、「私が知るわけ無いでしょう」という最もな無言だけだった。
結局このクィントスとエリスにとって居心地の悪い空間は、せっかく来たのに無視され続けた衛兵班長の怒声が響き渡り、詰め所に連行されるまで続いたのだった。