最終話 Love And War
これは参った。
と、クィントス・S・ビスマルクは思った。
ポッカポッカと先程までの殺伐とした雰囲気とは全く色の違う、のんびりとした快晴に相応しい蹄の音が響いている。
馬を飛ばして小一時間ほど街道を西に進んだ。
もうそろそろ国境線にある東方軍の砦にたどり着く。
街道周りは開けて、人っ子一人、獣一匹、姿は見えない。
全身甲冑に身を包んだ自分と、その軍馬の後部に乗ったエリスしか、たった二人の姿しかなかった。
が、そこには蹄の音がはっきりと聞こえるほど、そしてカチャカチャと身につけた全身鎧が鳴る音が響き渡るほどには、気まずい沈黙が流れていた。
いやいや、気まずい沈黙というのはクィントス自身が思っているだけで、エリスがどう思っているかまではわからない。
エリスは戦域から離脱した後も、ずっとクィントスの後方に相乗りしたままで、言葉を発しない。
おまけにクィントスが全身甲冑を着けているお陰で、エリスの発する微妙な空気を読むこともできない。全身甲冑を着けているお陰で、『あわす顔がない』ことをごまかすことができたわけだけど。
しかし、甲冑でそれを覆い隠すのもそろそろ(クィントスの精神が)限界だった。
「あー、エリス?」
たまらず、正に、それ以外のナニモノもなく、自分の後ろで、自分の腰に手を回して騎乗しているはずの赤毛の美女に声をかける。
だが、女団長は全く反応も空気も変えず、黙ったままだ。
「……」
クィントスは二の句を告げずに黙ると、兜と面当に囲まれた薄暗い密閉空間の中で、
これは参った。
と、再度、自分の行動に後悔していた。
なんで俺はこの女を助けたのだろう。
何も自分があの時手を差し伸べて、自分の馬に乗せなくても良かったのではないか。
助かったかどうかは知らないが、そんなことをしなければ一生会うこともなかったろう。
いや、そうでなかったとしても、どうして自分はこの女を連れてこんなところにいるのだ。
あのまま騎士隊と一緒に東方軍に合流しておけば、その後の事務手続きかなにかで個人的な会話などできず自然とエリスとはおさらばできた筈だ。
それが何の因果か、作戦を全く無視して単騎で戦線から離脱し、誰もいないこんなところまでエリスを連れて二人っきりでなんでいるのか。
いや、まぁ、おさらばしたい訳ではないし、二人っきりになりたくないわけじゃない。
なにせいい女だし。
こんな『不幸な出会い』がなければ、本気で口説きたいほどには魅力的な、いい女だし。
しかしこんな雰囲気を味わいたいわけじゃない。どこまで自業自得だとしても。
いや、自分は間違っちゃいない。
クィントスは顔を上げて自分自身に頷いてみせた。
自分は軍人としての責務を全うしただけだ。東方に生きる武人として甘さなど弱さ以外の何物でもない。
そうだ! 別に騙したかったわけではないが、騙したことに後悔はない!
お互いに戦を職業としている中で、利用した利用されたなどを理由に非難される謂れはない。
と強気なことを考えてから、またガックリと項垂れた。
そーなんだよなぁ。騙したんだよなぁ……捨て駒として。
果たして正論かどうかは別にしても、自身を騙して捨て駒にした男を、果たして女はどう思うだろうか?
自明すぎて意識がぶっ飛びそうなほど絶望的だ。
いや、待てよ。
と再び思い返す。
何を勝手に思い込んでいるのだ。
エリスが自分が捨て駒にされたと知っていると、なぜ決めつけているのだ。
そんなのわかんねーじゃんかよ?
その可能性に気がついてクィントスはパッと脳内が明るくなって今度は明るい表情で顔をあげた。
そうだ!
エリスが騙されたと気がつく要素なんてないじゃないか!?
確かに部族同盟にエリスの奇襲を教えたのはクィントスだが、それをエリスが知る機会はなかったはずだ。そうでなければそもそもエリスの怒る理由にはなりえないのだし、なぜ自分たちの作戦がバレていたのかを知る機会もない。
逆にエリスが今まで黙っているのも、照れている、という可能性が……。
いやそれどころか、自分は絶体絶命の危機を間一髪助けた英雄だ。
あまりにも劇的な展開に、
……惚れてんじゃねぇの?
クィントスはだらし無く面当の下で鼻の下を伸ばした。
この男は脳味噌の中枢部が腐っているのではないだろうか。
そんなわけがない。
元盗賊、元A級冒険者で、百名近い兵力を抱えていた傭兵団の団長を務めていた女である。自分たちの作戦がなぜ失敗したのか。なぜ部族同盟は自分たちの奇襲を読んで、落とし穴まで準備していたのか。なぜタイミングよくクィントスの部隊が現れたのか。
それを馬上で考えて、ほんの数分で真実に辿り着き、あとの数十分は怒りを抑えて、怒りゲージが上がりすぎて、表情が消えていた。ただそれだけだ。
東方の常識では、エリスにクィントスを避難する理はない。
そんなものは騙された方が悪いのだ。そして帝国の常識においても、元盗賊の傭兵を大貴族の血を持つ者が利用したとしても、「だからなんだ」と本気で尋ね返されるような話だ。
ただ、
常識とか、
道理とか、
理屈とか、
どちらがいいとか、わるいとか。
そんなものが『男女の間』で通じると思っているなら、それは思春期を迎えていない痛い十四歳くらい世間知らずの考え方だ。
クィントスはその怒りに気が付かなかった。全身甲冑を身にまとっているためエリスの感情の機微に気が付かない。というより、この男が馬鹿者なだけだろう。
クィントスは腰に回されたエリスの手に力が篭められたことに更に鼻の下を、頬の筋肉を緩めた。
「……エリス」
内心の助平心を表には出さないように、必死に男前の声を作る。
さて、どんな甘い言葉で最後のトドメを刺そうか。
なんてクィントスは思っていたが、エリスの右手が腰元を離れて、クィントスの兜に伸びる。
そして器用にあっという間に兜を引っこ抜くと、後方に投げ捨てた。
若干荒々しい行為だが、クィントスは相変わらず「そういう感じがスキなのか」と腐った脳味噌で誤解した。
面当がなくなり、風が頬を撫でる感触が気持ちいい。
「間一髪だったな」
クィントスは馬上で後ろを振り返るという無理な体勢で、無理矢理首をひん曲げて、最大限の男前眼力をエリスに向けてみせた。
エリスがそれに向かってニッコリとした涼し気な笑みを返す。
その笑顔を見た瞬間に、クィントスは急いで前方に顔を戻して、エリスに表情を見られないようにした。クィントスは確信した。
計画通り。
まるで完全犯罪を成し遂げた新世界の神の如き、してやったり顔でニンマリ顔を歪める。
今の状況のどこに計画していた部分があったのかは分からない。
少なくともこの時逃げようもない悲劇のルートに進んでいたことは確かだ。それに気がついていないだけで。
「ねぇ、クィントス」
背後からの甘い声色にクィントスは必死に素早く手だけで腰裏に着けられていた収納袋を漁った。
「なんだいエリス」
内心の焦りを気取られないように、口臭丸薬を取り出し、口に放り込む。
何故そんなものを戦いに持ってきているのかと言えば、それがクィントスという男だからだ。避妊具はない。それがクィントスという男だからだ。
丸薬で素早く洗浄した口から「はぁー」と自分の手のひらに息を吹き付け、最終チェック。
よし! いつでもオッケーだ。
「随分とタイミング良く助けてくれたわね?」
「だろ?」
生返事を返しながら、頭のなかではこれからの手順をシュミレーションする。ここまで上手くいって最後の最後で逃がすわけにはいかない。上手く言っていると思っているのはこの男だけだけど。
このまま軍には戻らず、バダイまで直帰して一週間ほど『休暇』を取るのもいいだろう。
しこたま喰い物と酒を持ち込んだ部屋で、この美女と快適な引き篭もり生活を送るのだ。
参ったな。腰が疲労骨折したら労災は降りるのだろうか。
といらぬ心配をして、まだ見ぬ桃色な日々に「でゅふっ」と思わず笑いが漏れた。気持ちわる。
一方、エリスの心のなかにはこの快晴とは似ても似つかぬ吹雪が舞っていた。
もはや全てが明らかになった。状況を改めれば明らかだった。
この男は手柄を立てるために、自分を囮にしたのだと。
エリスは相手大将の首を獲るために単騎敵本陣に突っ込んだが、それは全くの無駄な行為、余計な行為だったのだ。
クィントスたちとしてはエリスが本気で奇襲突撃をかけ、相手がそれに呼応して注意がそちらに向けばいいだけだったのだ。その反対側から自分たちが部族同盟の盟主アラールの首を確実に刈り取るために。
クィントスがエリスを利用したことのどこが悪いのか。
どこも悪くはない。
傭兵団を利用して、正規軍が手柄を立てた。
エリスは自身の間抜けさ加減を責められることがあったとしても、騙されたと文句を言う道理は少なくとも東方の傭兵家業にはなかった。
けれど、先程も述べたとおり、
良いとか、道理とか、理屈とか、そういう問題ではない。
エリスにだって自分が何故こんなに頭にきているのか分かっていないのだ。
自分の迂闊さだろうか? 運の無さ?
とにかく、コイツが悪い!
と自身の中のぐちゃぐちゃとした感情を塗りつぶした。
そこにはなぜあの時、クィントスが自分に手を伸ばしたのかとか、なぜその手を自分が咄嗟に取ったのかとか、二人がなぜ二人だけでこんなところにいるのかとか、そもそもなぜ騙されたことがこんなに腹立たしいのかとか、そういった諸々の疑問も含まれていたが、エリスは考えなかった。
エリスはとにかく自身の生理的怒りを解消するために、クィントスの腰に回した手に一層力を篭めた。がっちりと固定する。それは男女の睦言としては少々力の入れすぎだった。
「……エリス?」
漸く腐った脳味噌に正常な判断力が戻ったのか、空気が漸く読めてきたのか、少し疑問を持ったクィントスの声が聞こえたが、エリスは無視した。
「フッ!」
腰に回した手に思いっきり力を入れて、思いっきり後方に反り返った。
エリスの長身だが華奢な体を軸に、全身甲冑に身を包んだ男の体が回転した。
「うぇ!? ぐぇ!!」
後方に『投げ捨てられた』クィントスが落馬して思いっきり背中を打ち付けうめき声を漏らす。
酷い衝撃が背中を襲ったが、もし首から落ちていたらイチコロだったからその点では幸運だった。
岩石落としとか、裏投げとか、異世界では概ねバックドロップと呼ばれている代物だ。当然普通は女性が全身甲冑装備の騎士を相手に、しかも馬上でできる技ではない。だがエリスは元A級冒険者。『人外』ではないが、『最高』の評価を与えられていた人間である。力はなくとも、その技術は流石だと言わざるを得ない。言わなくてもいいけど。
「なにすんだよ!?」
流石に危険な行為だと、クィントスは怒鳴り返した。馬上からバックドロップ喰らった割には元気な男である。
エリスはクィントスからの抗議に振り返らずに無言のハンドシグナルを返した。
中指だけを立てたシンプルなものだ。
「……Oh」
それだけでクィントスもようやくエリスが全ての事情を知っているのだと理解した。
その後ゴニョゴニョと言い訳が発せられていたが、エリスは一度も振り返らない。
「ハッ」
エリスは軍馬に蹴りを入れて、駆け足に移った。
一刻も早くバダイに帰って、一週間ほど宿屋に引き篭もるつもりだった。
酒を喰らいパックを張りながらお風呂にゆっくりと浸かり、思う存分自堕落な生活を送ろうと決心していた。
もちろん独りで!
そんな金があるのかという点についてはこの時は考えていない。なければ出させればいい。誰が出すかは自明の理だった。ついでに今回被った損害と自分が負っている負債の全てを払わせるつもりだ。どんな手を使っても。
女傭兵団長はそれから一度も振り返ることなく、自分を助けた騎士を置き去りにして街道を西に駆けていった。
「……」
騎士の若者はその後姿を眺めて、状況の理解に努め、状況回復の術をひねり出そうと思案していたが、やがて諦めたようにため息を漏らして、ガックリと項垂れた。
そしてまた顔をあげる。
そしてまた口元に苦味のある笑みを浮かべた。
「ご機嫌だぜ」
少しだけ投げやりに、それより少しだけニヤリと笑い、自分を叱咤するように声を上げる。
そして無骨で、無粋で、邪魔でしか無い騎士鎧を脱ぎ捨てながら、走り出した。
彼らしく遠くに去っていく女の尻を追いかけながら。
クィントスは一目散に駆け出した。
バダイの街までには、何かうまい言い訳が思いつくだろうさと根拠のない楽観と思考を巡らせながら、若者は走り出した。
見れば物語を締めるには、気持ちのよい晴天、そして気持ちのよいほど何もない平原だ。
だからそこを無様に滑稽に走る男の姿を遠く眺める光景にて物語を終わろうと思う。
二人の物語は一旦これでお終いだ。
もちろん実際には彼らの物語はこの先も、読み手の知らぬところでも続いていくのだけれど、それを細部まで覗き続けるのも無粋な振る舞いだし。
さて、その後の話をしよう。
果たしていかなる理由か、必然の運命か。
二人は結婚する。
忌み嫌っていた二人が、この場合は女性演者が、その相手とくっつくなんて、とても陳腐で典型的な物語だ。
この二人はそうなる。
この物語はそんな陳腐で典型的、激動の過程を得て、幸せな家庭を築こうとした、しかし悲終劇を迎えた二人の出会いについてのお話だった。
『群狼傭兵団』はのちに『群狼自由騎士団』と改名。
クィントス・S・ビスマルクの直属兵団となる。
その団長である『炎狼』エリスとその主クィントス・スター・ビスマルク。
彼女と彼もまた東方に数多存在した、今となっては『過去』の英雄である。
様々な偉業を成し遂げ、憧憬と憎悪の念を向けられる存在になったのだ。
そしてその過程の中で歴史はクィントスを『歌星卿』と呼ばれる英雄に形作っていった。
人類最強の『四天のビスマルク』はもちろんのこと、この時代の東方軍は、『思導者』マクゲンティ将軍、『悪鬼』ベイトマン上級百人隊長、『曲者』クラウン参謀将など万色多彩な面々が揃っていた時代だ。
『四天のビスマルク』個人の黎明期を除けば、そして軍事的な側面で言えば、『四天のビスマルク』が率いる東方軍が最も精強であった時代だったろう。
恐らく、この面々が欠けること無く、そしてそれが後十年も続いていれば、建国以来千年続いていた東方以東の異民族との戦いが、もしかしたら終結していたかもしれない。
だが、しかし、そんなものは単なる『たられば論』であることにも間違いはない。
東方軍にこの面々が揃っていた時代は十年も続かなかったのだし、東方以東の異民族との戦いは現在も続いている。
そして『四天のビスマルク』から『歌星卿』に東方軍総司令官である征夷大将軍の位が譲位されることもなかったのは歴史の事実なのだから。
長い目で見ればこの後、東方軍は弱体化の一途を辿った。そして、盟主を失った蛮族達に新しい英雄、『金の軍神』が現れ、東方の戦乱は最激化したのだから、皮肉な話、というよりも、まるで種の栄枯盛衰を眺めるようだ。
何にでも良いこともあれば、悪いこともあるという、どんな凄い事柄にも、どんな詰まらない事柄にも当てはまるセオリーと言ってしまえばその通りの話だ。
だから、そんな意味もない仮定の政局や歴史話をこれ以上していてもしょうがないだろう。
これは愛の物語なのだから。
大英雄の息子クィントスは傭兵団の女団長だったエリスと結婚し、彼らにとって、世界の行方などどうでもよいほどの、激動の、しかし幸せな数年を送る。
その行き着く先が、幸せな結末でなかったとしても、他の可能性があったとしても、彼らが他の選択肢を選んだかは疑問だ。
そんな不幸な結末もまた『愛の形』だ。
そんな二人は愛の結果として、幸せだったことの証として一人の子供を授かった。
その子はビスマルクの名を冠することもなく、何の名前も持たない存在として生まれる。
名も無き異端、卑凡の平民として生まれる。
だが、しかし、
『歌星卿』クィントス・S・ビスマルクとその妻『炎狼』エリスという英雄。
その二人が成した、どんな軍事的、英雄的な偉業よりも、名も無き子をその愛の結果としてこの世に産み成したことのほうが、この世界にとって、幸にも不幸にも、重大な変化をもたらし、かつその連鎖を残した。
東方のみにしか戦場が存在しなかった時代に生まれた物語は、大陸全土を巻き込み、歴史を書き換える、そんな神話的戦記へと続いていく。
『白百合』が若干十三歳にして、初めて正史にその姿を現し、『存在無敗』の英雄としての歩みを始めた。
その裏で、その物語の影で、
彼らの子供はその一端を演じる役割を与えられた。
幕間劇だったと言うならば、それは歴史には現れない行間だけれど。
平民として生まれ、英雄の血を受け継ぐある少年が、僅か十三歳にして、その『推定無在』としての生を終えるまで、
少年は良くも悪くも敵も味方も区別も差別もなく滅ぼした。
再生した者もいたが、取り返しのつかない物もあったろう。
虐殺者と蔑まれ。
解放者と認められ。
改変者と忌嫌われ。
阿房者と思慕された。
新時代のきっかけとなった、旧時代最後の闇星。
そんな少年に、そんな息子に、この物語は繋がっていくのだ。
そしてそれも、二人がその結果を、我が子の成長を、それを目にする事無くこの世を去った、
ずっとずっと後のことである。




