38 転換点
これが未だその数を減らしたとは言え、自軍兵力の三倍という数を相手にした戦闘であることは変わっていないだろう。
しかし、それでも最早勝敗は決した。
騎士隊は方陣に襲いかかる敵前衛部隊の近くにまで来ると、今まで冷静に、敵本陣に突入する時でさえ、一言も発しなかった部隊が、一転雄叫びを上げ始めた。
用意していた鳴り物までを使って、方陣に襲いかかっている異民族兵の注意を引く。
それに呼応するように、いや実際に事前の打ち合わせ通り、呼応して、方陣の内側に控えていた予備隊の面々が同様に鳴り物まで使用して雄叫びを上げる。
『敵総大将アラールの首、討ち取った!』
『我ら東方軍の大勝利!』
『アラールは死んだぞ!!』
ご丁寧に中央氏族語でだ。
そしてトドメとばかりに、異民族の背後に迫った騎士隊は、回収してきていた盟主アラールの首を投げつけた。
一つの首が投擲され、それは一人の異民族に当たった。当然ながら物理的にその程度の効果しかない。
だが、その周りにいた異民族達は視界に『それ』を捉えた。
見間違えるはずもない。
恐怖と神がかった智慧で自分たちの上に立っていたはずの王。
それが首だけになった、その意味を。
まるで毒のように急速に異民族に『動揺』が広がる。盟主アラールが死んだと細部の兵までには伝わらなくとも、軍としての生命はその毒に寄って、死に至った。
司令機能が部族同盟側に生きていたら、例えそれが事実だったとしても、瓦解を防ぐことはできたかもしれない。
だがこの時本陣は崩壊し、先程までの狂乱による攻撃をしかけていた異民族前衛部隊はもういない。
いるのは『ただの三倍以下の的』が組織的統率もなく、それゆえ混乱の伝染を抑えられずに群集心理に従ってバラバラになった。
戦術原則の何ひとつもない、まさに烏合の衆だ。
決定的な言葉が東方軍から飛語として投げつけられ、それがきっかけとなって今までの攻撃守備の立場が逆転する。
『鉄鬼のビスマルクがやってくるぞ!!』
人類最強。個が数に優ることが存在する世界において、その言葉は決定打となった。
つまり、勝敗が決したことを部族同盟が納得してしまったのだ。
未だ三倍近い兵力を自軍が有しているなどという、客観的事実など意味がなかった。
あるのは漠然とした背中を走る何か冷たい不吉な気配だった。
追い立てられるような焦燥的危機感。
誰もが全体を把握できず、集としての機能を失い、敗走の軍と化した。
今までの猛攻がウソのように何の規律もなく背中を向けて逃げ出したのだ。
効率非効率。論理非論理。その是非を考えるべき者も、考える者もなく、個々が一目散に逃げ出し始めた。
方陣を組んでいた東方軍はすぐさま攻撃転移の陣形に変形し、騎士隊もそれに合流した。
彼らはこれから追撃戦を開始するわけだが、やるのは専ら『牧羊犬』としての役割だった。
効率的に無慈悲に最後まで部族同盟三千を全滅させるためだ。
敗走する部族同盟を、そうとは気づかせずに(気づくだけの『頭脳』は既に潰れているが)『誘導』するのが役割だ。
やがて行き着いた先には『人類最強』が率いる東方軍本体一万五千が待ち構えている。
移動時間にして一日の遠方にいるはずのその軍。部族同盟にとっては最凶の軍にむかって、自らの足で向かうように誘導する。後はそれだけだった。
東方軍副将軍『思導者』マクゲンティはいつもどおりに悠々と緊張感の欠片も見せず、追撃を開始した。
いつもどおりの戦場に似合わぬゆるい表情だが、この時だけはそれが相応しい、そう思えるほどの大勝となった。
移動しながらの追撃陣形への組み換えという作業の最中、合流した騎士隊の佐官階級の騎士がマクゲンティとその副官のもとに騎乗のままやってきた。
そしてその中の一人だった斥候武官の男が更に近づいてくる。
斥候武官の男が、敬礼すると副官の男は頷き、副将軍の側の空間を開けた。
斥候武官の男は、その空いた空間に軍馬を進めて、副将軍と横並びになる。
副将軍マクゲンティは相変わらずのゆるい顔に少しだけ、キョトンとした表情を浮かべた。
「あれ? 彼はどうしたの?」
いつもどおり、のんびりと緊張感のない声だ。場所が場所だけに、時が時だけに、ここにいないということがどういう意味を持つのか、本来ならもっと真剣な声色で言うべき台詞であるはずだ。
だが、それに答える斥候武官の男の声も、のんびりとしてはいないが緊張感など微塵も感じさせない。しかしこの斥候武官の男には珍しく苦り切った声で答えた。
「若殿なら、駆け落ち? ……しました」
意味がわからなかった。『思導者』の二つ名を持つ策謀家であっても、
「落馬したの?」
と理解不能であることを示す言葉を発したことからも相互理解ができていないことが分かる。
副将軍の副官である騎士はそれを横目で見ながら、言葉は部下への指示に使いながら、二人のやり取りを聞いていた。
この副官の方が、直属の上司である副将軍よりも状況の把握ができていたのは、とても珍しいことだったろう。
副官の騎士は斥候武官の男の声色から、詳細はわからぬまでも事情を察した。
きっと『あの若殿』のことだから、『また馬鹿をやった』のだろう。
副官の騎士は自身より下位の軍人である下級百人隊長の顔を思い浮かべ、顔には出さずに口元だけで微笑んだ。
そしてこの軍の中にその『若殿』がいなかったとしても、その確信に微塵の疑いもなかった。
それは、我々は勝ち。
そして、英雄が誕生した。
という、確信だった。




