37 三人二人
エリスは『それ』に早い段階で気がついた。
俯瞰の位置から眺めていた副将軍を除けば、そして、この盟主アラールの近くにいた人間の中ではほぼ最初に気がついたといっていい。
薄赤瑠璃色の魔法剣を敵兵三百名に突きつけ威嚇しながら、自身の最期を自覚し、それでも最後まで抗うことを決意し、これから始まる死闘を覚悟していた女傭兵は、しかし、空気の変化を読み取っていた。
集中していたと言えばそうなのだろうが、更にいうなればこれは『良い集中』だったのだろう。
一点を見つめるのではなく全体を見る。
集中は視界を狭めることが往々にしてあるが、良い集中ができている場合には前のめりにはならず、空気の流れさえ支配することができる(という感覚になる)。
違和感が強まり、突然眼前の人壁が破れた。
乱入してきた輝く緑の鎧を装備した騎士の一団。
呆然と立ち尽くしていた異民族の背後から吹き飛ばすように、いや実際に吹き飛ばしながらそのぽっかり開いた空間に乱入してきた一団は、まるで洪水のような流れのまま、
女傭兵エリス。
戦士アンガス。
盟主アラール。
その三人を飲み込んだ。
いや、飲み込まれたのは盟主アラールのみと言っていい。
盟主アラールは避けようのない位置にいたこともあるし、へたり込んで避けようのない体勢にいたこともあるし、後ろを向いて避けようのない方向を向いていた。
誰もが呆然とする中で、乱入してきた騎士の一団は確実に、この数百の人の中で、確実に誰かを認識していた上で、素早くその男を飲み込んだ。
そして首が舞った。
それはもちろん盟主アラールの首だ。
あまりにも鮮やかに、乱入してきた騎士はアラールの首にめがけて剣を薙ぎ払い。周りを囲んでいたはずの親衛隊の面々がポカンとするほど、そして今飛んだ首が誰の者かはっきりと認識しながら誰も動けないほどあっさりと素早く首を跳ね飛ばし、後続の者がそれを拾い上げた。
盟主アラール。
その男が何者であったのか。多くの謎は残り、しかしそれを語るべき人はなく、戦場の波の中に消えた。
戦士アンガスは飲み込まれなかった。
もし戦士アンガスが五体満足であったなら、彼の命運はこの場で潰えていただろう。
右腕と右の眼球、肩口から腹までを切断された彼は盟主アラール以上に避けようのない状態にあったが、それが彼の命をとりあえず生きながらせさせた。
彼が五体満足であったなら、戦士の性分、義務としてその場で王を護るために戦い、局地的な多勢に無勢によって彼の命はその場で終わったろう。
だが、戦士アンガスはその直前にエリスによって戦闘不能に陥り、この戦闘の部外者になっていた。
そして彼が族長を務める部族の戦士たちに介抱されいていた。
部族の戦士たちは、あくまで彼ら南部山岳氏族にとって重要なのは盟主アラールではなく部族長としてのアンガスだった。
だから、彼らはその場を素早く逃れることを選択した。一目散に本陣を離脱し、一刻も速く族長の治療を、それをできる呪い師の元に運ばなければならないと決断していた。
騎士団の乱入の前にはすでにそう動いていたため、騎士隊の波に飲み込まれることなく、そして騎士隊がその場に現れたことで、勝手にその場から逃げ出すなどという背信行為を咎められることがなかった。
そしてこの戦いにおいて、最も損害が軽微となったのは彼ら南部山岳氏族二百名だった。もちろん族長に重篤な傷を負わされるなどという戦闘的部族には甚だ不名誉な結果となったとは言え、最初から最後まで戦闘に参加しなかった彼ら南部山岳氏族二百名は粗々無傷の戦力で撤退することができた。この後の政治的勢力を考えれば、部族長アンガスさえ命を永らえれば、結果的短期的にこの戦闘で利益を得た中に彼ら部族も含まれるのだろう。
この戦闘で最もローリスク・ハイリターンを得た、そしてそれを意図的にやったはずの若い下級百人隊長はしかし、その場面に戸惑いの声をあげていた。
「エリス!?」
赤い髪の女傭兵は自分を呼ぶ声。いや、自分がそこにいることに疑問を感じている声を、戦場の騒乱にいながら確かに聞いた。
乱入してきた緑銀の騎士達。その一団の中にいた聞き覚えのある声。
全身甲冑の上に、面当まで降ろしているから顔は見えないが、全身から漂う雰囲気がエリスに推量をもたらす。
「クィントス?」
お互いにお互いの名を疑問形で呼びあった。お互いに何故ここにいるのかと一瞬の疑問が湧き上がるが、戦場はそれを許さず、ふたりともそれを分かっていた。
騎士は手を伸ばした。
女傭兵も手を伸ばした。
お互いがお互いの手をつかむ。
ふわりとエリスの体が中に浮かび、騎士はその掴んだ手を離し、代わりに手綱を握りしめた。
言葉をそれ以上交わす時間はなく、エリスが騎士の馬に飛び乗った瞬間、騎士は軍馬を前面に全速力で駆けさせた。
騎士たちはアラールの首を回収すると、クィントス(らしき) 騎士隊長の命令を待たずに、それは事前の手はず故に、次の行動に素早く移った。
騎士隊は来た道を戻りはしなかった。
突撃に寄ってポッカリと守備陣形に穴が空いていたが、入ってきた穴には戻らず、直角に曲がって再び突撃を開始した。
つまり本陣最前面の隊列に向かって突っ込んだ。
東方軍方陣に向かって進み始めたのである。
総大将を討ち取られ、それに次ぐ指揮官までも戦闘不能とされていた本陣はすでに烏合の衆だった。運の悪いことは重なり、そこに布陣していたはずの南部山岳氏族二百名が離脱を開始していたことも、本陣崩壊の速度を進めた。いや、本陣に配していた三分の二が退却に動き出していたというのは、すでに勝敗が決していたと言っていい。
また、おそらく南部山岳氏族二百名がいたとしても、内部からしかも隊列の背後を騎士隊に突撃されるなどという事態であったなら、結果は変わらなかっただろう。その点でも南部山岳氏族は無駄な犠牲を払うことなく、この戦場から撤退することができた。
やはり彼らはマクゲンティとクィントスというこの戦闘の勝者(既にそれは教訓的視点を退けば明らか)以外で最も利益を得た者達だった。
騎士隊はあっさりと本陣を抜けるとそのまま東方軍方陣に向かって全速力で馬の脚を駆った。
百名で敵の背後を突く。という戦術的意味は大きい。背中を突かれるというのはそれだけ効果がある。三倍の兵力に耐えている友軍の方陣だが、そこに襲いかかる敵に対して背後から『削って』やるだけで圧力は激減する。それは攻撃しているはずの部族同盟前衛部隊が挟み撃ちに合っていると言っていい状況を作る。三千対千それに対する単なる百の助攻と考えることはできない。平野において自由な機動空間を得た騎馬隊ほど強力な兵科はないからだ。それが魔術師だろうが、戦士だろうが、相手が歩兵である限りその圧倒的速度差は、例え百名であっても強力な鉞となって背後から混乱と打撃を与えることになる。
だから当然この時、百名の騎士隊は敵本陣を突破して、そのまま方陣に襲いかかる敵前衛部隊に襲いかかろうと、その軌道を取ったのは戦略的必然だった。
だが、目的はそれだけではない。
いや、その必要さえないのだ。




