36 愚禿
帝国国境線とは反対側へ。
それを、その屈強な男たちを迎えたのは数人の同じく屈強な男たちだった。
正確にはある男とその護衛達だ。
その男、クィントス・S・ビスマルクは小舟に乗ると一旦向こう岸へと渡河した。一緒に運んだ軍馬に乗ると川上に向かい、また渡河した。そこで屈強な開拓村の男たちを出迎えたのである。
「急げ! 急げ! バレない内におっぱじめるぞ!!」
クィントスは大声を張り上げて男たちのケツを叩いて急かす。
その様子をクィントスの護衛班長を務める斥候武官の男は、自身の準備の手を止めないで見つめた。
一瞬クィントスと目が合ったが、主人はいつものようには反応せずに、また猛った声で部下たちを叱咤し続けた。
斥候武官 の男も何も言いはしなかった。
クィントスが指揮する者としての仕事を文句なくやってのけていたこともあるし、主人の心情を斥候武官の男にはわかっていたということもある。
それに例え今から急いだとしても、それは適切なタイミングの、その誤差の範囲の話であったからだ。
それならば自由になされるがいいと、斥候武官の男は思う。
指揮官としての義務と責任を果たしたその後は神のご意思だか、運命の悪戯だかによってなるようになるのだから。
屈強な男たちは筏から荷物と馬を下ろすと、直ぐにその荷物を解いて広げ始めた。
自分と馬にその荷物をつけていく。
直ぐに荷物はなくなり、屈強な開拓民の姿は消えた。
代わりに現れたのは精強な騎士と軍馬だった。
部下と同じ、東方軍正式兵装である緑銀色の全身鎧に身を包んだクィントスは整然と並び現れた騎馬隊に背を向けたままハンドシグナルだけで騎乗を命じた。
これから何をするということは命じなかった。
これは既に何ヶ月も前から計画された計画通りのことだったからだ。
自身も軍馬に飛び乗ったクイントスはそのまま駆け出した。
部下も無言でそれに続く。
そしてまっすぐに前方の森林を目指し、底から北上して、森林に沿って街道まで廻る。
それは数十分前に、ちょうど同じようにエリス率いる群狼傭兵団が進んだのと同じ行軍だった。
ただし位置だけが対照的に違う。
副将軍マクゲンティの率いる護衛軍千が、部族同盟三千の伏兵による襲撃を受けている場所は背後を河川、左右を森林に塞がれた袋小路だった。
群狼傭兵団が奇襲を開始したのが左の森林の背後からだとすれば、クィントスの騎士隊が行軍を開始したのは右、つまり反対側ということになる。
もっと言うなら、護衛軍の背後に流れる川の川上側からの奇襲攻撃ということになる。
川下側であったなら方陣を敷いた東方軍とそれに襲いかかる部族同盟軍の眼前を筏に乗った男たちが通過することになるのでそうならないための開拓村の位置だった。
当然それは、この百名の部隊が筏で移動するのを隠匿するためだ。
おそらく、今の行軍速度、左右の森林の間に敷かれた部族同盟本陣の位置を考えれば、エリスが奇襲を仕掛け一拍を置いたところでクィントスたちが到着することになる。
クィントスとエリスが同じような行動を取ったのは偶然というよりは、そうなるようにクィントスが状況を準備したためと言っていいだろう。
クィントスはエリスを騙した。
そして、同じような行動を取るように誘導した。
つまり、左のジャブがエリスの役割。
ジャブで相手は倒せない。相手の注意を引きつけるのが役割だ。そしてその役割は『本気』であればあるほどよい。後のない女団長が率いる傭兵団による決死隊の突撃。その『本気』の殺気は部族同盟軍の『首』を右に向ける。
その右を向いて無防備になった相手の顎を砕くのは満を持した右ストレート。
だから、クィントスは部族同盟軍に情報を流した。
だから、エリスの奇襲は失敗する。してもらわなければならない。
蛮族の王がどういう対応策を取るのかは知らないが、奇襲を読まれた寡兵がどうなるかは、クィントスにも分かっていた。
それは仕方ないだろう。
エリスが優秀な指揮官であることも分かっている。だから運が良ければまた会う機会もあるかもしれない。会わせる顔はないが。
運が悪ければ……
だが今更急いだところでどうなるものでもない。
「ハッ!」
クィントスは軍馬に鞭を入れる。
目の前には左右を森林に囲まれた位置に数百の集団が見える。
獲物を捉えて部下も速度をあげた。
クィントスの計画はこうして成功した。
エリスの偽の奇襲攻撃に注意を向けていた部族同盟本陣は、完全に無意識の位置、人間で言うところの死角の位置から、騎馬隊の突撃を受け、瓦解した。
部族同盟本陣三〇〇名はエリス達五〇騎の奇襲に対応するために、必然反対方向の兵層が薄くなっていた。そこにクィントス達一〇〇名の騎士隊による突撃を受けた。
一気に薄い皮膚が破れるように、騎士隊が本陣内部に食い込み、盟主アラールがいた位置まで到達した。
その時、全てを計画して、騙してみせたクィントスも予想外の状況になっていた。
まさか、エリスが独り敵本陣に辿り着き、その盟主アラールをあと一歩で仕留めるところまで到達していたとは思ってもいなかった。




