31 刹那
最初に反応できたのは、唯一反応できたのは、戦士アンガスだった。
戦士アンガスは歴戦の、そして生粋の戦士だ。
もし、彼が南部山岳部族としての、族長としての『性質』が、今の有り様よりも強ければ、盟主アラールは女傭兵の窮鼠の一撃に寄って、その命を落としていただろう。
女傭兵が、まさかの行動により、盟主アラールを守る兵の上空を飛び越えて来た時、咄嗟に戦士アンガスに現れたのは、その名の通り戦士としての『性質』だった。
戦士は王を護る。
人としての誠実さではなく、戦士としての矜持としてだ。
ここに少しでも政治家の要素が加わっていたならば、戦士アンガスの咄嗟の行動は変わっていたはずだ。
女傭兵は自軍の護りを飛び越えて、大将である盟主アラール目掛けて捨て身の一撃を放とうとしているのは一目瞭然だった。
少しでも族長、つまり政治家としての顔が覗いたならば、盟主アラールを『ワザと討たせる』という選択肢もあった筈だ。
南部山岳部族の族長アンガスと、西部平原氏族の族長アラールは、明確に政敵でもあったからだ。
だが、この時、戦士アンガスは迷うことなく、選択肢も可能性もなく、戦士としての生き方を選んだ。
それは長い目で見るなら、きっと南部山岳部族にとっても最良の選択だったはずである。
南部山岳部族は現在、部族同盟の中で確かに非主流派に追いやられているが、それは部族同盟の王、盟主としての手腕ではアンガスは完全に時代遅れで、盟主アラールに劣っていると彼自身が認めていたからだ。
もし、盟主アラールをこの時、わざと助けなかったとしても、それで非難されることはないだろう。
それどころか短期的には南部山岳部族にとって最良の結果となったはずだ。
この罠を仕掛けたのは盟主アラールの『独断』であり、まさかその罠にかかりながら、女傭兵が上空を飛び越えてくるなどと、誰も予想もできないことだったからだ。
だからもし、彼が盟主アラールを故意に見捨てたとしても、誰もそれを批難できるだけの明確な証拠とはならず、何より盟主アラールが死ぬだけで、部族同盟の権力構造は南部山岳部族へと簡単に傾くだろう。
けれどそれは、一時の栄華に過ぎない。
コップの中の嵐を乗り越えた遠くない先にはそれよりほんの少し広い世界の行き詰った結末が待っているだけだ。
結果的に戦士アンガスの捨て身の行動は、盟主アラールの命だけでなく、中央氏族全体の生存確率を高めたということになる。
もちろん、戦士アンガスはそんな氏族の命運など考えて行動できたわけではない。
戦士としての脊髄反射によってだ。
なぜなら『そんな時間はなかった』。
戦士アンガスは、時代遅れの戦士として少しでも意義のある死に様を渇望していたからこそ取れた行動だ。
なぜなら『そんな時間はなかった』。
ただ単純に『飛びかかって』来ていたならば、距離的により盟主アラールに近かった戦士アンガスが迎撃できないわけがない。
あの獣のごとく鋭い女傭兵が持つ美しい薄赤瑠璃色の魔法剣。
女傭兵の位置が今よりも盟主アラールに近く、その刃圏の内にあれば、戦士アンガスといえど先の分からぬ命のやり取りを行う羽目になっただろう。
軍馬の上を走って、薄いとは言え兵列を飛び越えるなどという離れ技をやってみせた身のこなしをみただけで、女傭兵がその性別と容姿に不似合いなだけの実力を持っていることは分かった。
とは言え、戦士アンガスは自分が部族同盟最強の戦士だとも思っている。
もう若いとは言えないから単純な実力がどうというつもりはないが、最後に生き残り最も敵を殺せるという意味で、そういう智慧と経験を最も持っている戦士は自分だと自覚している。
ただ時代遅れになっただけだ。
だから時間さえあれば、距離さえあれば、殺し合いでは圧倒的優位の立場で、女戦士をどうとでも撃退することはできただろう。
普通は、そうなるはずだった。
ここは自分たちの本陣であり、周りは全て『味方』であり、『飛んできた』女傭兵と盟主アラールの側にいた戦士アンガスとの距離感は、絶対的な時間の優位性を与えてくれるはずだった。
『そんな時間はなかった』。
「……縄墨自在・散」
その女傭兵の『力ある詞』が戦士アンガスに聞こえる声量でも距離でもなかったが、戦士アンガスに火花が散るような、閃きのような、直感が走る。理解する。
魔術による攻撃が放たれようとすると、戦士アンガスの経験が、思考よりも速く予測を発生させ、体に納得をさせる。
次の瞬間、空中にあるままの女傭兵の持つ剣の刀身が炎に包まれた。煌々と赤い炎に包まれたその剣を薙ぐように下方に向かって撃ち振るう。
刀身に纏わりついた炎がまるで、竜の咆哮のように巨大化し、盟主アラールを含む、周りの親衛隊たちに襲いかかった。
それを眼にした瞬間、いや、それが発現される前には、戦士アンガスはその小さな岩の塊のような不格好な体格に似合わぬ俊敏さで動いた。
自身も炎の攻撃対象に入っていたが、炎の攻撃範囲の外ではなく、内に向かう。
まやかしだ。と見破っていたからだ。
炎は幻術の類だ。
などと誤った判断を下したわけではない。
炎自体は現実でも、その目的は目くらましだと感づいていたからだ。
炎自体は薄く、武装した人間を殺せるものではない。
三百名もの味方がいる中で、正しい判断を下せたのは戦士アンガスだけだった。
皆、見た目には巨大な炎の出現、その熱、その姿に、驚きの連続に思考が停止するか、生物の本能に寄って咄嗟に逃げようとするかのどちらかだった。
その原因が勝ち戦に浮かれて命を惜しんだ者。部族の違いを理由に命を惜しんだ者。
原因は様々あれど、戦士アンガスだけが正しい状況を理解していた。
よくよく見れば、よくよく考えれば、この程度の炎は恐るべきに足らず。
という事実ではない。
どんな戦であろうが、王を討ち取られた戦士は、敗者なのだ。
だから、戦士アンガスはたとえこの炎が十分な殺傷能力があったとしても、同じ行動を獲っただろう。
戦士として死に場所が戦場であるなら、死因が戦闘行為であるなら、それは彼の望むべき最期でもあったから、かもしれない。
政敵である西部平原氏族の族長アラールではなく、部族同盟の王、盟主アラールの命を奸賊から護るために、戦士アンガスは岩の砲弾のように鋭く、まっすぐに王のもとに駆けつけようとした。
戦士アンガスは当然のこととして、女傭兵の跳躍の軌道、着地してからの行動を予測して動き始めた。それはほとんど、糊付けされた薄い紙同士のように密接に不可分に当然の行動として。
しかし、『普通の人間』でしかない戦士アンガスにはそれが限界だった。『普通の人間』にはどれだけ鍛え、天分があったとしても、そこが限界だった。
なぜなら『そんな時間はなかった』。
駆けつけるのが精一杯だった。
戦士アンガスはこの後、右目と、右腕を切断されることとなった。政敵の命、自分の王の命と引き換えに。




