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Love And War  作者: 豆腐小僧
30/40

30 塞翁が馬






 最初に覚悟を決めたのは女傭兵団長エリスだった。


 戦場に立つ者が、覚悟を持っていることなど当然だから、この場合はこの場面において最初に命を神の天秤に載せることを覚悟した者という意味だ。


 重騎兵たちが落とし穴という、原始的なブービートラップに引っかかった時、即断即決を心情とする傭兵団長はすぐさま口笛を吹いた。


 それは『作戦失敗、全力で逃げろ』という、団長のみが発することができるものだ。


 なぜ作戦が失敗したのか考えもしなかった。作戦は失敗したということを肌身で感じた瞬間の判断だった。


 なぜ作戦が読まれていたのかも反省もしなかった。落とし穴などというものは当然その上を通らなければ効果を発揮しない。どのコースを騎馬隊が辿るかはある程度予測もできるし、誘導もできる。まさに今エリスたちが引っかかったように、薄い脇腹を見せてやれば、エリス達に与えられた条件を考えれば容易いことだとは言える。しかしそれは異民族達はエリスたちが奇襲することを確信を持って事前に知っていたということだ。 


 その疑問点を加味すれば、奇襲という策を仕掛けた者が、落とし穴という策に逆に引っ掛けられた時に、何が起こったのかを判断することさえ、容易ではなかった筈だ。


 重騎兵の後続として騎馬を走らせていたエリスに考える時間などなかった。


 その点で、即断即決の将であったエリスは、そういう気質であった点を差っ引いたとしても、優れた判断。最悪の結果の中最善の判断をしたと言えるだろう。


 奇襲が失敗した以上、このまま作戦を続行する意味はない。

 脚を止められた寡兵の騎馬隊など単なる的にすぎない。


 だから『部下達』は逃した。


 自分は逃げなかった。


 責任ある者としての、責任のとり方だったわけではない。

 後のない者の破れかぶれだったと言われて反論の余地はないが。


 そんなことを考える時間はなかった。


 エリスは元A級冒険者だ。


 つまり冒険者として『最高ベスト』の評価を与えられた者だ。

 その評価の通り『人外シュプリーム』以外の者が到達できる最高位をこの歳ですでに過去のものとしていた人間だ。


 人間以上の生物がありふれており、『人外シュプリーム』がその名の通りのただの序列でしか無い世界においては、ただの人間として『最高ベスト』など、能力としてはそれほど大した価値はない。


 特筆すべきことはその『我欲エゴ』についてだ。


 もっと簡単に言えば、その『負けず嫌い』についてだ。


 人間として『最高ベスト』にたどり着くだけの能力というものが、どういう価値があるのかなど議論の必要はない。


 特筆すべきは、そうなる人間の『性質』だ。


 直感的に作戦が失敗したと感じた瞬間。

 部下たちを逃がすという、『情』のある判断を下せる将でありながら、


 だからエリスという人間は、


 自分だけは、前進した。


 鞭を入れて、加速した。


 何か考えがあったわけではない。

 そんな時間はなかった。


 エリスは誰が評価しても、血を好む傭兵ではなかった。殺し合いに我を忘れる人間ではなかった。


 だが、この時エリスは迷う暇も考える時もなく、前方に広がるポッカリと空いた落とし穴に向かって自分の馬を全力で走らせた。


 人間として『最高ベスト』という評価を受ける者が持つ、『性質』。

 それによって身を滅ぼすことなど、考えることもなく、抗うこともできない『性質』だ。


 それがこの時、エリスを前方への全力疾走という行動に発現された。


 そして穴に落ちる直前、馬を高く、跳ばせた。


 全力疾走による跳躍。


 普通の成人男性程度ならその頭の上を飛び越えられるほどの跳躍力を発揮する。


 だが、塹壕の、落とし穴の幅は横幅に比べれば短いと言えど、三メートルほどはあった。


 もしかしたら、十回跳べば、何度かは向こう岸まで届くことはあったかもしれない。

 エリスの騎乗していた軍馬はそれなりに優秀な馬だった。

 だが、この時は届かなかった。


 明らかに途中で失速し、落とし穴に落ちていった。


 全力疾走によって、迷いもなく跳躍したにも関わらず、馬は途中で穴に落ちた。


 なぜなら、軍馬を下に押し込めるような力が、この時加わっていたからだ。


 だから軍馬は途中で穴に落ちた。


 その代わり『その軍馬の上を走って更に上空へ跳躍した』エリスには、代わりに下から上に押し上げる力が加わった。


 突然現れた落とし穴を越え、故意に薄く張られた防衛ラインの上を飛び越え、盟主アラールの元にその刃が届くには十分の力が加わった。


 赤い髪の女傭兵エリスが、その手に薄赤瑠璃色の刀身を持つ魔法剣だけを構え、自分たちの頭上高くを飛び越えていく様を、部族同盟タイタルバンドニス本陣の兵士たちは、ただ呆然と眺めるだけだった。


 だれもこの情景を理解できてはいなかった。

 だれも何が起こったのか正確には把握していなかった。


 ほとんどの者は反応もできなかった。

 このまま行けば、敵兵が自分たちの大将のもとにたどり着いてしまうのに。

 あまりにも刹那で、あまりにも予想外の結果に、ただ呆然と立ち尽くしていた。


 ただ一人、戦士アンガスを除いて。





 

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