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Love And War  作者: 豆腐小僧
29/40

29 因果俱時






 それは一枚の絵画の様に、切り抜かれたかのような静寂が支配していた。


 この結果に、この場面に、なぜ行き着いたのか、この場のほとんどの人間が分かっていなかった。


 三百名の敵兵に囲まれ、炎狼アセナと呼ばれた女傭兵がいた。


 女傭兵の前には、倒れている男が二人いた。


 正確に言えば、傷を負い倒れているのは一人の男だけで、もうひとりは無傷でへたり込んでいるだけだ。

 正確不正確など言い出せば、ここは戦場で死体であれば無数あるのだからそれも間違いだということになるが。


 重傷を負って倒れている男は、戦士アンガス。


 無傷でへたり込んでいる男は、盟主アラール。


 傷を負わしたのも、へたり込ましたのも、赤髪の女傭兵エリスだった。


 エリスはまるでその二つ名の通り、唸り声こそあげなかったが、鋭い睨みを効かせて、三百名の敵兵を牽制していた。


 しかし、当然のことながら、それが効果を表したから、三百名の敵兵が襲いかかって来ないわけではない。


 突きつけた赤薄瑠璃色の魔法剣を恐れたというわけでもないが、それはほんの少しだけそういう効果もあったかもしれない。誤差ほどのほんの少しだけなら。


 本陣を襲われた南部山岳兵二百名。盟主アラールの親衛隊百名。


 その面々が動けない、対応できなかった本当の、大部分の理由は、盟主アラールが内心分かっていたとおり、軍人としての質の悪さ。訓練不足から来るものだった。


 つまり、あまりに予想外の状況に、自分たちが圧倒的多数だという状況に、二つの指揮系統がもたらした混乱に、軍隊的な忠誠心の欠如によって、お互いがどう行動すべきか分からず、お互いの顔を見合わせるように動けなかった。


 切られたのが戦士アンガスだったことは、この時点だけを見れば、エリスの命を永らえさせることに繋がった。戦士アンガスを助けるために彼のそばに寄ったのが指揮能力を有する戦士たちであったために、南部山岳兵がエリスを部隊として打ち取るための行動を取らせることのできるものがいなかった。配置されていたのが親衛隊の外側だったのも大きい。この時側にいなかった彼らは動こうにも親衛隊の層を抜けなければならなかったのだ。


 その親衛隊達に関して言えば、その支配力の大半が恐怖によるものだったことが大きいだろう。

 所詮は我が身可愛さであっただけだ。自分がやらずとも誰かがやるだろうと思っていたのだろう。

 盟主アラールが認めたとおり、号令に寄って決められた動きはできても、許された範囲での臨機応変さがなく、軍隊とは未だ呼べない集団だった。


 赤い刀身を突きつける女傭兵。


 へたり込んだ盟主アラール。


 腕を切断され、右目から腰元までを切りつけられた戦士アンガス。


 群狼傭兵団アシナクラウンの奇襲攻撃は失敗した。

 それは盟主アラールの読み通りの結果だった。


 だが、エリスはなぜか敵本陣の内側で、三百名の敵兵に囲まれ、部族同盟タイタルバンドニス最強の戦士を戦闘不能に追い込んだ。


 戦士アンガスの顔に元々あった刀傷をなぞるように、ただし今回は確実に眼球を切断するほど深く、そのまま腰元まで切り下げられ、右腕は切断され地面に転がっていた。


 盟主アラールの読み通りにはいかなかった。


 おそらくこの結果は、この戦場で駆け引きを行ってきた全ての者の思惑は外れていた。

 結果の善し悪しを別にすれば、エリスは全ての智慧者の思惑をほんの一時とは言え喰い破ってみせたのだ。


 エリスはあと一歩というところまで、盟主アラールを追い詰めていたのだ。

 もしも咄嗟に戦士アンガスがその身を挺してかばうことがなかったならば、盟主アラールの命は失われていただろう。


 盟主アラールは群狼傭兵団アシナクラウンを確かにその罠に嵌め、敗走させた。  


 しかし盟主アラールはこの世界の大原則を忘れている。


 軍に優る個が存在する世界なのだということを。


 確かに、この戦場には『普通の人間』しかいない。


 東方にも存在する『天災』や『鉄鬼』といった『人外シュプリーム』はこの場にはいない。


 だが、エリスは元A級冒険者だ。

 この歳で既に、『最高ベスト』と言われた存在だったのだ。


 積み上がった小さな誤算によって、誰もが予想外の場面を導き出したのだ。





 最初にほくそ笑んだのは、盟主アラールだった。


 自分の命を狙ってまっすぐに突っ込んでくる傭兵騎馬隊。

 それに倍する数を有しながら慌てふためく自分の親衛隊。

 逆に冷静にしかしあくまで個として対処しようとしていたのは政敵である戦士アンガスの部下たちだ。


 盟主アラールは、部下たちにそのまま動くなと命じた。

 部隊の陣形を整える代わりに、矢を射掛けさせる。

 ほとんど無理矢理に命じた矢は全くと言っていいほど効果がない。

 がそれはあくまで殺傷能力という点においてだ。傭兵騎馬隊は盾を使って矢を防いだが、それが視界を、そして注意を奪った。


 来い! そのまま真っすぐに来い。


 そのための陣形、そのための薄い脇腹だ。


 さすが戦を生業とする帝国軍の傭兵騎馬隊は優秀なのだろう。

 正確に薄くなっている部分を、そして盟主アラールへの最短距離を突き進んでくる。


 重騎兵たちが並び構える突撃槍ランスは、攻撃力では破壊槌には劣るものの、その速度は比較にもならないほど速く鋭く、迷いがなかった。


 突然現れた騎兵に、本陣の兵は少なからず混乱しており対処できていない。

 薄い防衛ラインを突破すれば直ぐに盟主アラールの下までその刃は届く。


 だが、盟主アラールは嗤った。

 愚か者を嗤ったのか、思惑が上手くいったことを嗤ったのか。


 騎馬隊の先頭が、自軍に接敵する直前。

 あと少しで突撃槍ランスが届くという直前。


 ズズっ! という地を響かせる音と共に、重騎兵の姿が消えた。


 いや、消えたのは、地面だ。


 竹と草で組み上げ、土を被せた蓋が、重騎兵の重みで破れた。


 ぽっかりと穴が開く。

 その上を進んでいた騎馬騎士が中に放り出され、グシャリと嫌な音を立てて前方斜め下に落ちた。穴の深さは数メートル。落ちた騎士は何が起こったのかも分からず骨をへし折って死んだ。もしくは戦闘不能になった。


 後方に続いた軽騎兵は突然現れた壕に慌てふためく。

 軽騎兵の特性から重騎兵たちのように穴に落ちる者がいなかったのは残念だが、目的は達したからいいだろう。


 数メートルの幅がある穴。落とし穴はそのまま両者を隔てる防御陣地となった。


 奇襲攻撃を仕掛けてきた騎馬隊は、まるで糞にたかっていた蝿のように、バラバラに散り散りになった。そのまま壕を迂回して攻めてこようとはせず、一目散に後ろを向いて逃げ出した。


 盟主アラールは、それを見守っていたわけではない。


 見守っていれば感心しただろう。

 無理だとわかれば直ぐに退却に変更する判断力というよりも反射神経。

 これくらいのことは自軍にも必要だと。その判断力の確かさと速さを敵ながら褒めていただろう。


 だが、盟主アラールには実際にはそんな余裕はなかった。


 ポカンと宙を見上げていた。


 この時殆どの部族同盟タイタルバンドニス本陣にいる兵士たちが、同じ表情を浮かべていた。


 ほんの数瞬のことだが、それは致命的な数瞬だった。






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