24 混混沌沌
「フン。押し込んだぞ。さあ狐め、次は貴様の番だ」
盟主アラールがそう呟いたのが、戦士アンガスの耳に届いた。
勇猛果敢で知られる戦士アンガスが族長として治める、南部山岳民族の兵を盟主アラールは前線へと送り出しはしなかった。
理由は単純で、盟主アラールが納得するだけの練兵に達しているのは南部山岳兵と、盟主アラールの直属の兵だけだったからだ。
だから盟主アラールは自身の周りに最も優秀で最強の兵を置いた。
だから戦士アンガスはその呟きが聞こえるほどに近くにいることを許された。
だが、戦士アンガスは内心で「それはどうだろうか?」と疑問、確信に近い否定の感情を持っていた。
今、方陣を組んだ帝国軍を攻撃せずに待機している兵は、戦士アンガスの率いる南部山岳兵が二百名。盟主アラールの親衛部隊が百名弱。その他の部族同盟軍が百ほどだ。
盟主アラールは自身の氏族でさえ信じてはいない。だから逆に自身の親衛隊よりも多い数の、政敵であるはずの戦士アンガスの部隊を自分の側に置いて、防御させている。
だが、戦士アンガスは学として軍を学んだことはなくとも、人生の大半を過ごした戦場の経験でわかっていた。
盟主アラールの布陣が臆病から来ているものであること。盟主アラールの思惑通りにするにはこれではバランスが悪いこと。
その証拠に、
「次は貴様の番だ」
と盟主アラールは言ったが、このままでは『狐』マクゲンティは次の手など打ってこないだろうと分かっていた。
その予測通り、帝国軍の方陣は川辺まで押し込まれたにも関わらず、崩れる気配を全く見せずに留まっている。固く閉ざしながら猛攻を跳ね返し続けている。いや、盟主アラールが戦前に戦士アンガスに語って聞かせたとおりなら、押し込まれたことさえも、部族同盟がこの奇襲を『させられた』ことと同様の、狐の思惑の上にあるということだ。
部族同盟の同胞は勇猛果敢に帝国軍に襲いかかっている。
猛然と雄叫びを上げて、斧や剣や棍を振るうが帝国軍一千は微減も微動もしない。
その構える円盾の如く、鋼鉄の冷静さで声も上げずに攻撃を跳ね返す。
戦士アンガスすら背筋に冷や汗がつたうほどの『職業軍人』という無機の化物であり、盟主アラールが目指す部族同盟の最終進化系の姿がそこに見えた。
防御に徹した帝国軍は反撃能力には乏しいが、その鉄壁の防御方陣は削れる様子もない。
時間は部族同盟に味方はしない。
時間が経てばその方陣を打ち破れるかもしれない。
時間を無制限だと考えればそれはその通りの結果に必ずなるだろう。
だがこの戦場には時間の制限がある。
鉄鬼のビスマルクという存在だ。
盟主アラールは『ない』と断定を下したが、東方最強の矛であるあの竜騎士『鉄鬼のビスマルク』が現れるかもしれない。
最短で一日の時間があればそうなるだろう。
三倍の兵力で、平野における防御戦で、そこまで時間が稼げるとも思えないが、今前線で動いている部族同盟の練兵度合いを見れば、『包囲機動』などという上等な概念の欠片もない。ただ感情に任せて個人個人の集合体が襲いかかっているだけだ。
一日の内に相手の方陣を打ち破って戦いにケリをつけるというのは、それほど難しいとは思えなかったが、ここまで相手の防御力が高いというのも予想外だったはずだ。
だから戦士アンガスは自分たち南部山岳兵も前線に加わるべきだと思っていた。自分たちならあの方陣を削り『狐』に次の一手を『打たせる』ことができる。
そもそも兵力を過剰に温存していくのは学として戦争を学んだことはなくとも、戦士アンガスには『無駄』以外のなんでもないことだと分かっていた。
そして、盟主アラールがその臆病さから本陣を厚くしていては『狐』の一手を引き出せはしないこともだ。つまり戦士アンガスたちがこの本陣に留まっている合理的な理由はない。
親衛隊百に、南部山岳兵二百名、その他百名は予備戦力としては悪くないが、現状の打破には親衛隊か南部山岳兵のどちらかを動かさねばならず、そして盟主アラールの直属兵が親衛隊という性質上動かすならば自分たち南部山岳兵であるはずなのだ。
とはいえ、
盟主アラールが臆病だと戦士アンガスは思ったが、その言葉ほどの強い非難は含んでいない。
戦場において過剰な用心に走るのは机上で策を練るようなタイプの者にはありふれた『症状』で致し方ないとも思っていたからだ。頭で思い描いたとおり動かせるなど自身の心であったとしても容易ではないほど戦場という場の異常性は分かっていた。そしてあくまで最善手は確率結果論でしかないことも理解していたからだ。
だが、それでもこちらから動かねばならないことには状況は変わりそうにない。そして先程述べた通り時間の経過は『鉄鬼のビスマルク』という最悪の札を引かせかねないのだ。
「盟主アラール」
だから戦士アンガスは進言した。
盟主アラールのそばに寄り、彼の体面を考え、彼にだけ聞こえるように。
彼の氏族の腹心が、戦士アンガスが近寄ることを防ぐように間に入ったが、盟主アラールはそれを邪険に追い払った。
「我々も出してくれ」
簡潔に告げる。聡い盟主ならそれで伝わるはずだ。
盟主アラールは、そのギラついた目を細め、
「不要だ。さがっていろ」
と短く返した。だが、南部山岳兵を従えた歴戦の戦士の言葉。優れた指揮官としての実績から来る進言に、頃良しと見たのだろう。
「狐が動かないなら、このまま死んでもらうだけだ」
それから盟主アラールは無言で腕を振るう。
それを合図に腹心から伝令が走った。
それは事前に準備されていた行動だということだ。
存外に、戦士アンガスが臆病だと思っていたよりも、盟主アラールは冷静だったのかも、しれない。
動き出したのは部族同盟本陣四百のうち、盟主アラールの親衛隊、戦士アンガス率いる南部山岳兵以外の百名。
彼らがゾロゾロとのそりと動き出した。
前線で方陣を攻撃している同胞たちよりも重装備であり、進軍速度が明らかに遅い。
だが何の意味があるのだろうか?
方陣を牽く帝国軍は部族同盟二千六百の攻撃を防ぎ切っている。
そこに新たに百名程度の増援を差し向けて何の意味があるのか。
盟主アラールの親衛隊や、アンガス率いる南部山岳兵ならば意味はあるだろう。練兵の精度が格段に優れているこれら部隊なら、現状に変化を及ぼすことはできる。
だが、今動き出したのは兵装の違いはあれ、質は軍とは言えない程度の統率しか無いはずだった。
だがノロノロと動く百名を見て、戦士アンガスは眼を引き締めた。
その装備は不格好で粗悪品であるが全身を金属鎧に身を包み、氏族の伝統的戦闘衣装ではなく、帝国軍の兵装に近い。まるで陸戦白兵用の騎士甲冑だ。
だがノロノロと動く百名を見て、戦士アンガスがその眼を鋭く細めたのはその兵装の異様さではない。その百名がノロノロと動いている理由だった。
全身甲冑という慣れない重装備で機動が遅いわけではなかったのだ。




