01 殺し合いが日常の東方
晴れである。
殺し合う声があった。
健やかな日差しに、似合わない声だと思うかもしれない。
だが、晴天は殺し合うには良い日だ。
二百年間、この地で、血で血を洗う戦を、領地と命を賭けてきた男たちはそう思う。
せめて死ぬなら、天が泣いている日よりも、笑っている日の方がずっと良いからだろうか。
そんな気もするが、ここに住む全ての生物にとって戦いとは日常だからかもしれない。日常であるならば、雨より晴れている方がいいだろう。
死体の腐る匂いや、喧騒は晴れ日の方が鼻と耳につくが。
戦場なのだから当たり前だ。結局殺し合っているのだから程度問題だろう。
だが、殺し合う声。とりわけ『合う』という言葉が今この場の状況に正しいのかは疑問だ。
「うーん。大ピンチだねぇ」
と、将軍は言った。
小柄な男である。いや老人と言っていいだろう。
一応鎧に身を包んではいるが、要所要所を革で守っているだけだ。メイス辺りの重量武器で一撃されたなら、すぐに絶命してしまいそうな軽装だ。
勇猛果敢。
帝国で唯一の戦場がある地で、政治力では上り詰めることができない場所で、東方軍としては最高位から二番目、帝国軍人の階級としては三番目までに上り詰めた人物としては、不可解な格好だった。
そうでなくとも、戦と無縁の他地方の将軍職にあって、このような、まるで冒険者のような兵装をしている者はいないだろう。
しかしこの将軍がそのような格好をしていないのは、そうではないからそういう格好をしていないのだ。
所詮はあんなもの、彼にとっては張り子の虎だ。戦などする気もないか、自分というものを分かっていないから鎧など着ているのだと将軍は思っていた。いやあえて言えと言えばそう言うだろうということで、この将軍はそんなことにいちいち言葉を荒立てはしない。そんな穏やかな空気がある。
ゆっくりと副官が将軍の方に首を向けた。
将軍の隣で、将軍と同じように騎乗しているこちらの副官は、騎士らしい全身鎧に身を包んでいた。
鈍い緑銀の鎧はこの東方騎士団における正式兵装である。
「まぁ、その通りですね」
ゆっくりと副官は答えた。
なるほど。
彼らは今、大勢の敵に囲まれている。
素肌の上に鎖帷子でも身に着けていればいいくらいの貧しい、みっともない兵装しか持ち合わせていない蛮族に囲まれている。
異民族と呼ばれる蛮族は変な薬でもやっているのではないかと思うほど興奮して襲い掛かってきていた。
理由はわかるから、この感想は単なる嫌味だ。
彼らの興奮している理由は千年間、少なくとも騎士たちの主人がこの地に封じられてからとしても二百年間、蛮族共の祖先を殺されたから、そして直近では親族や親しい者をきっと殺されているだろうから、ここぞとばかりに復讐のチャンスに興奮しているのだろう。
文明の欠片も感じさせないみっともない連中である。
だが、そのみっともない蛮族も、自分たちより三倍も多くの数だとすれば、その考えは殆ど負け惜しみにしかならない。
空に住まう大きな存在がこの光景を見たならば、まるで角砂糖に群がる蟻の大群のように見えたかもしれない。蟻の大群に飲み込まれた角砂糖のように見えたかもしれない。
この例えなら蟻の数は、砂糖の希少性よりも、ずっと有り触れたものであるということも、現在の状況をよく表していた。
おまけにここには石の城壁も無ければ、木の柵もすでに壊されている。
四角組んだ方陣によって、その代わりをするのが精一杯だった。
小さなしかし確実に平地であるこの場所では、数がそのまま力の差である。
どちらが優勢であるか?
馬鹿でも分かる。蛮族でも、
「呑気に言っている場合か!?」
貴族でも。
将軍は答えなかったし、副官も答えなかった。
貴族もそれ以上は叫ばなかった。叫べなかった。
貴族は自分が部外者だと分かっているからだ。
どんなに無謀に思えても、この騎士団が自身の命を守る唯一の存在だと言うこともあるが、彼が部外者であることも分かっていたからだ。
そしてそれ以上に、叫ぶほどには、二人の軍人が『大ピンチ』と評するほどには感じられなかったからだ。貧しい軍事の知識でも、それがなくとも、あっても、部外者の彼の肌感覚は正常には働かない。
信頼というには些かも値しないその貴族男の肌感覚だが、しっかりと組んだこちらの陣形は、無いはずの城壁のように崩れる気配がなかった。
戦場には流れがある。
昔から当たり前の様に言われていることだ。
当たり前の様に言われているから、誰もそれを疑わずにその文言だけを真理のように宣っているだけだ。
一対一の試合も、幾万の死合も、何も変わりはしない。
要はどれだけ人が人を傷つけるという行為の上に、何をどれだけ積み上げたかを、
それをどれだけ知っていて、感知できて、関与できるかの問題だ。
方陣は、蟻の大群に飲まれた角砂糖は、まるで川底に落ちた石のように、強固に不変であった。