2.6 岸本珪過
街はずれの路地のこの店にまで足を運ぶ客はほんの少しだけ。地主でやっていける店主にとって、この店は肌のシミのように消せない惰性だ。バックヤードを整理しながら、裏口を開いて通りを確かめる。バイトとして潜り込んだ。店主は惣菜の棚の品出しを続けている。妻が膝を悪くしてからは一人でやっている。
うすあかりの中、ちらつく蛍光灯の下、棚に押し込められたドリンクの1ダースの深緑の印字が嘘で固めたわたしの行動を警戒している。ここには、泥棒がやってくる。それが、詩歌だった。
わたしは詩歌にその癖を教えて大学生、岸本珪過を探している。
数分のあと裏口の向こうに、人の気配を感じる。わたしは棚の影に姿を隠す。ノブがゆっくりと回る。曇り雲のように節目がちに滑り込んだ岸本は棚のペットボトルを掴みそのまま滑り出る。わたしはその後を追って彼が公園のベンチに腰掛けるのを確かめる。詩歌に泥棒をやらせていた。そのあらすじを思いなおしている。わたしは”べにや”とプリントされた色あせたエプロンを外して、丸めると彼のベンチの向い側の乾いた噴水の脇に腰を下ろす。視界の端で過去に追われている彼を確かめる。
きっかけは、詩歌の帰宅道でおどおどと不安げでいたこと。誰かをいじめる算段をしていて、どこで拾ってきたのは、腐ったエンジンオイルの缶をもっていた。はげた塗装の端に呪いのような錆び赤く浮かび、太った子がその凸凹の感触を爪で味わっている。文ちゃんの頭にかけてやるんだ、お前が呼びだせと詰め寄られていた。あいつは、ずるいやつだから。その3人の集団をかき分けた岸本は詩歌の腕をつかんで、引きずっていった。
なぜ、そんなことをした。岸本は反芻する。その筋書きをわたしは追いかける。
真面目に、曖昧に。断れない詩歌を見ていられなかった。いじめなんてくだらない遊びよりも、もっと具体的な悪癖を教えてたくて、”べにや”の倉庫から盗みをやらせた。子供なら、これくらい許される。古い商店なら。そんな計算もあった。貧乏人だ、父は学費を出してくれない。
岸本は眼鏡は外して、汚れたガラス面を確かめる。はがれたコーティングが凹凸を作っている。
俺が計画したのか?わからなくなる。詩歌の腕をなぜつかんだ?
わたしはそこまで読んでから、噴水の脇から離れる。違う。誰かが、仕向けた。巧妙だが、岸本の文体じゃない。書き換えて、彼の行動を変えた。ほんのわずかな筋書きの変更、人の物語の補間に飲み込まれるほどにわずかな。
誰が?わたしは肩をすぼめて駅へと急ぐ。