3話 突然の別れ
翌朝、日が昇るとすぐに、テレサは父のマートンと共に馬車でシリウスの屋敷へと向かった。
屋敷の前で馬車から降りると、ちょうどシリウスが家族と一緒に門から出てくるところが見えた。
「お兄ちゃん!」
大きめの鞄を一つだけ肩に担いだシリウスは、駆け寄ったテレサに気付くといつものようににっこりと微笑んで迎えてくれた。
「テレサ、来てくれたんだね」
簡素な服に大きな荷物、子供のテレサでもその状況が何を意味するのかはすぐにわかってしまった。今から王都を離れるのだろう。
突然の別れを悟ったテレサは、泣くのを堪えきれずに涙を流し、鼻をグズグズさせながら叫んだ。
「なんでお兄ちゃん達がこんな目にあわないといけないの?何も悪くないじゃない!悪いのは全部モガッモガガッ……」
シリウスに口を押さえられてしまった。
「ダメだよテレサ。良く聞いて。お姉ちゃんになったんだよね?弟を守らなくちゃ。理不尽なことがあっても耐えるんだ。わかるよね?」
そんなの嫌!わかりたくなんてない!
テレサはシリウスに飛び付くと、昔のように胴体に必死に足を絡めて、シリウスがどこにも行けないように踏ん張ってみた。傍らではマートンも、シリウスの父エドモンを説得している。
「エドモン殿、これから皆で王太子殿下にこの度の沙汰の撤回を掛け合うつもりだ。しばらく猶予をもらえないだろうか」
「いや、それには及ばない。君達にまで何か被害があったらいけないからな。特にマートン、君は息子が生まれたばかりだ。君の仕事は、息子に無事に家督を継がせることだろう。僕は失敗してしまったけどな」
肩を竦ませて冗談っぽく言っているが、それだけがエドモンの唯一の心残りなのだろう。 一瞬悲しそうな目でシリウスを見た。
「テレサちゃん、良かったらこれをあげるわ。厨房の勝手口の鍵だけど、屋敷の中に入れるから必要なものがあったら持っていって」
いまだシリウスにしがみつきながらも、テレサはシリウスの母アディーナから器用に鍵を受け取る。彼らは本気で王都を去る気らしい。
「どこに行くつもりですか?」
「いや、まだ何も決めていない。ま、家族で支えあってなんとかやっていくさ」
マートンの問いに、エドモンはサバサバした口調で答えたが、そこには『自分は間違ったことはしていない』という確固たる自信が感じられる。
それ故に止めても無駄だと判断したマートンは、静かにテレサに告げた。
「テレサ、シリウス君から手を離しなさい。困っているだろう?」
「いーやーっ!私も付いていく!」
「お前なんて足手まといにしかならないだろう?ほら、こっちにくるんだ」
力づくでテレサを引き離そうとするマートンと、必死でシリウスにしがみつくテレサに、体を持っていかれそうになりながらシリウスも苦笑いをしている。
「ねぇ、テレサ。僕はいつか王都に戻ってくる。約束だ。だからテレサも僕が居なくても頑張ってみて。そうだな、テレサは感情が素直過ぎるから、猫をかぶることを覚えてみるのはどうかな?」
「猫ちゃんをかぶるの?そうしたらお兄ちゃんにまた会えるの?」
「そうだよ。テレサが猫をかぶって、弟が大きくなるまで令嬢として頑張れたら、会いに来るよ」
「ほんと?その時お嫁さんにしてくれる?」
「はははっ!そうだったね。……うん、約束だ」
『シリウスは嘘をつかない』と信じていたテレサは、ようやくしがみついていたシリウスから離れ、そしてふと思い出した。
「そうだった!お兄ちゃん、これ。お土産渡すつもりだったの」
それはマートンの領地の名産品、カルータ織のブックカバーだった。シリウスの髪色と同じインディゴブルーの織物に、黄色い花の刺繍が施されている。
「ああ、いい色だね。この花はテレサのトパーズのような瞳と同じ色だ。大切にするよ」
シリウスは丁寧に鞄に仕舞うと、家族揃ってトーマスとテレサに頭を下げた。
背を向けて歩き出した三人を、テレサはいつまでも見送っていた。
それから五年の月日が経過した。
国王は寝たきり状態が続き、王太子による独裁は一段と酷くなっている。
テレサはエドモンの事件以来、王都で暮らすようになった。下手に長期に渡って領地に籠り、謀反の疑いなどかけられたらたまったものではないからだ。
アディーナから渡された鍵で、テレサは五年前からエドモンの屋敷に頻繁に通い出した。シリウスが戻ってくるまでこの屋敷を守ると決めたのだ。幸い、五年経った今でもエドモンの人望からか、屋敷が人手に渡ることや壊されることはなかった。
王子は追い出した人間の屋敷のことなど全く覚えてもいないようで、この時ばかりは『王子がバカで良かった』とテレサは思った。アディーナが大切にしていたバラ園を、日々一生懸命管理している。
テレサはシリウスに言われた通り、家を――ひいては弟を守るために、社交界では猫をかぶることを覚えた。マートンも『息子に家督を譲るまでは、何としてでも子爵家を存続させるのだ』と奮起した。
――とは言っても、二人に最大限出来ることは、社交場でひたすら空気になることだけだったのだが。
夜会なんて挨拶だけ猫をかぶって、あとは空気になれば万事オーケー!チョロいわ。
多少世間を学び、大人になったテレサは、とっくに気付いていた。別れの日のシリウスの言葉が、テレサを悲しませないように言った、精一杯の嘘だということを……。
シリウスが会いに来て、テレサと結婚する未来なんて訪れることはない。それでも、もうしばらくはその優しい嘘にすがって生きていたかった。
幸いにも、王太子の恐怖政治のせいで結婚や婚約をしにくくなっている現在、テレサは結婚を急かされることもなければ、婚約者候補すらいなかった。
もうしばらくは、シリウスお兄ちゃんを想っていてもいいよね……?
テレサは今も胸に残るシリウスの面影に呟いた。
十六歳まであとひと月というある日、テレサはマートンに呼ばれた。
「悪いんだが、私の代わりに領地へ行ってもらいたい。ここ数年、ろくに見て回れていないから色々心配でな。視察というと大袈裟だが、テレサも久しぶりにあちらに帰りたいだろう?」
「まかせてっ。父さまの代わりにしっかり見てくるわ!」
それは願ってもいないことで、テレサは元気に返事をすると、数日後には屋敷を出発した。
領地までは馬車で一週間ほどかかる道程だ。視察は隅々を回る予定なので、領地自体の面積は大したことないのだが、王都へ戻れるのはひと月半後くらいになるだろう。
次に家族に会える時には、私ももう十六歳になっているだろうな
そんなことを考えながら、テレサは馬車に揺られ続けた。
視察は順調に進んだ。
マートンは目立たないが、実直な性格をしている為、領地経営も堅実に行っていた。領民にも慕われているし、しばらく顔を出していなくても特に問題は見当たらない。
父さまって、こう言っちゃなんだけど、案外いい領主なんだよね。 おかげでなんてスムーズ……。さて、残すは最北の修道院だけね。昔よく遊びに行ってたから懐かしいな……。
この国の最北に位置している修道院――。
さぞ寒くて過酷な修道院だろうと思われがちだが、実はすこぶる過ごしやすい環境であった。
マートンが過去にあまりの環境の悪さに驚き、建て替え、常に食料や薪を確保出来るように流通を改善し、土地を改良したからである。おかげでいまだ間違った認識は国中に根強く残っているが、その実態は明るく清潔な、知る人ぞ知る『入りたい修道院ナンバーワン』なのだ。
テレサが修道院へ辿り着くと、顔馴染みのシスターが待っていてくれた。年は四十くらいで、昔よく遊んでもらった女性である。
「まぁまぁ、すっかり立派なレディになられて!五年ぶり?もっと経っているかしら?お会いできて嬉しいわ」
満面の笑みでテレサを歓迎してくれるシスターに、テレサも自然と笑顔が浮かぶ。
「お久しぶりです。あれは確かカルータ織を見せていただいた時ですよね。あの時は素敵なブックカバーをありがとうございました」
シリウスにプレゼントしたブックカバーは、この修道院で手にいれた物だった。環境が改善された修道院は、シスター達の手によって新たな名産品を生み出していたのである。
テレサが思い出話に花を咲かせている時だった。近くを歩いていた女性がシスターに声をかけた。
「シスター、お客様ですか?お茶でも淹れましょうかね」
聞き覚えのある声のような気がしたテレサは、そちらに顔を向けて驚いた。シリウスの母、アディーナが洗濯カゴを持ちながらそこに立っていたからである。
「アディーナおばさま!?なんでここに?」
テレサのすっとんきょうな声が静かな修道院に響いていた。