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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

アイの贈り物

作者: 黒澄 玲


面会の予定があると告げると、その女はギラリと目を光らせる。「誰?」と一言、恐ろしく低く、それでいて嬉しそうな声色は毎回鳥肌が立つ。

「家族だ」と言えば、つまらなそうな顔をし、「友人だ」といえば顔を歪めて嫌そうな顔をして、面会を断る。

だが、「恋人だ」と告げた時は違う。キラキラと子供のように目を輝かせながらも、瞳は血走っていて、拳は硬く握りしめる。愛しているのか、憎んでいるのか、どちらとも取れる反応をするのだから訳がわからない。


その女の名前は、不破芽依沙(ふわめいさ)という。艶のあるロングヘアに、作り物のように整った顔の彼女は、非常に魅力的に見える。

刑務官として、数々の面会に立ち会って来た。刑務所に収容されている犯罪者には様々な事情を抱えていることも知っている。その会話の内容は、聞いているこちらが不憫に思えるものもあれば、終始苛々させられたり、気持ち悪いとは思わずにいられないものもある。


そして、この女と恋人の会話は、後者だ。


扉を開ければ、不破は一目散にアクリル板に駆け寄った。

アクリル板越しに椅子に座る男が見えた。不破の恋人だ。


「聖くん!」


女は高い声をあげ、恋人の名を呼んだ。

不破の恋人の名は、笠山聖(かさやませい)というらしい。

何度目かの面会で、顔と名前を覚えてしまった。


「めいちゃん」

「はぁ……やっと会えた…!私の聖くん」


この女は、確実にイカれている。

不破は1人の女性をその手で殺し、もう1人の女性を病院送りにした。殺人罪と、殺人未遂罪だ。

そして、その2人の女性は、笠山の不倫相手だった。


「ねぇ、私いつ出れるのかな?早く聖くんに触れたい。直接心臓の音を聞きたいし、たっくさんイチャイチャしたい」

「うん…いつかね」


そう言って笠山は困ったように微笑む。茶色の髪に、耳には幾つかのピアスが嵌められている。全身にアクセサリーを纏った笠山は、遊び人の雰囲気が漂っていた。顔立ちが整っていることもあり、2人は並べば似合いの男女だが、関係は酷く歪だ。


「だってほら、聖くんに纏わりつくゴミは、ちゃあんと私が片付けてあげたじゃん!私いいことしたのに、何でこんな制限を受けなきゃいけないの?ねぇ!」

「めいちゃん、落ち着いて」

「私は十分落ち着いてる!聖くんこそおかしいよ。前まではもっと、ほら、私を愛してくれたじゃん」

「う……ん」


微妙な返事をする笠山を見て、確信する。

笠山は確かに不破と付き合っていた。だが、笠山は不破を愛していなかった。全ては不破の思い込み。笠山は他で女を作り、それを見た不破がその女を手にかけた。

恐ろしいほどの、笠山への執着。鳥肌ものだ。男女関係のもつれが、凄惨な事件を生んでしまった。


「たくさん私を抱いてくれたでしょ?冷たいフリをして私の愛を試したりもしてくれたよね」

「……」

「好きなの。愛してるの。聖くん……なのに、なんで」

「……俺も」


目を逸らしたまま、笠山はぽつりと呟いた。その声に不破はぱあっと顔を輝かせる。暗く淀んだ瞳には、笠山しか映していない。


「差し入れ、持ってきたから」

「日用品はいらないよ。手紙さえあれば」

「でも……」

「要らない、手紙だけで十分」


断固として首を振る不破に、笠山は紙袋を下げた。


その後も永遠と不破は笠山への愛を紡ぎ続けた。猟奇的で狂気的なそれは、見ているこちらが気分が悪くなるものだった。真正面からそれを浴びる笠山はさぞ、居心地が悪いだろう。だが、自業自得だ。

笠山さえ不倫しなければ、不破は罪を犯すことはなかった。笠山はその罪悪感に苛まれているのか、こうして週に一度、不破の様子を見にくる。


15分経って、「時間です」といえば、不破はぐるりと首を回し、瞳孔が開いた目をこちらへ向けた。思わず肩が跳ねる。が、怯んではいけない。

そのタイミングで笠山が立ち上がり、「また来るよ」と告げた。「……また」ぽつりと不破は呟き、嬉しそうに口角を上げた。




―――――――――




その後、不破に差し入れの手紙を渡した。不破はそれを大事そうに抱え、うっとりと笑みを溢した。

「何が書いてあるんだ」思わず尋ねると、「私への愛」と、またおかしなことを言い出した。げんなりしたのが顔に出ていたのだろう。不破は怒った顔をしながら、「人に見せちゃダメって言われてるから見せられないけど、中身は私への愛でいっぱいなんだよ」と恐ろしい顔をして言い放った。その瞳は狂気が見え隠れしていて、見ているこっちがおかしくなりそうだ。


拘置所から出て、刑務所の受付にちらりと顔を見せると、1人の女性が受付の人に食ってかかっていた。


「どうしたんですか」

「いえ…この女の人、不破の母親らしいんですけど」

「またか」


こっそりとため息をついた。

不破の母親は不破に会いたがっている。こうして何度も尋ねてくるが、不破が面会を拒否するので会えないでいる。


「不破芽依沙のお母様ですよね」

「ええ。芽依沙に会わせて欲しいの」

「申し訳ありませんが、不破が面会を拒否していて」


母親はやつれた顔をしていた。数日眠れていないのか、目の下に隈が出来ている。事件が起きた時、一番苦しいのは加害者の家族だ、そんな話を聞いたことがある。


「……なぜ拒否するの?」

「いえ、それは私共も図りかねます」

「あの恋人――笠山は通しているのよね」

「ああ…そうですね、笠山さんは面会しています」


そう答えると、母親の目が細められる。


「あの子は、笠山のせいでおかしくなったのよ」

「……」


何も答えられなかった。

確かに、笠山が浮気をし、他で女を作るような男だったから、不破は壊れてしまったのかもしれない。だが、一概に笠山のせいだとは言えないのも事実だ。男女関係は複雑で、当人にしか分からないものもある。

母親から見れば、娘を狂わせたのは恋人なのだろう。


「あんな奴と付き合うから、あんなことになった。私は何度も止めたのよ。笠山は危ない人だって。ねえ、あなたもそう思うわよね?」

「さあ、私どもは笠山さんと話したことがないので、なんとも…」

「うちに挨拶に来た時、本当に暗くて、犯罪でも起こしそうな空気だったわ。髪もだらしなく伸びてて、ヨレヨレの服でね…」


その言葉に引っかかる。

笠山に暗い雰囲気はない。髪も短いし、服もお洒落に気を使った格好をしている。

そのことを伝えると、母親は驚いていた。


「それ、本当に笠山なの?」

「ええ」

「それで、笠山は不倫をしたのよね?そして、あの子はその不倫相手を…」


ゆっくりと頷くと、母親は黙り込んだ。そして、何かをぶつぶつと呟きながら帰っていった。

母親の話が本当だとすると、笠山の容姿はかなり変化したことになる。だがこれはよくある話。様々な理由で「イメチェン」する人は多い。何も不思議なことではない。


遠ざかっていく母親の背中を見送っていると、受付の女性が、ぽつりと呟いた。


「前、不破の友人を名乗る女性が訪ねてきたんです」

「そうだったんですか」

「その友人、こう言ってました。笠山と付き合う前までは物凄い男好きで、何人もの男性と浮気を繰り返してたって」

「それはまた…」

「でも、笠山と付き合ってからは夜遊び歩くのがぱったり減ったどころか、連絡すらつかなくなってしまったらしくて。やっと不破も運命な恋人に出会えたのかと思った矢先、常軌を逸した事件が起こってしまったので驚いた、とも言っていました」

「なるほど…」


今不破は他の男に目もくれず、笠山だけを見ている。まるで、世界に男は笠山しか居ないかのように。

あの容姿ならば、笠山以外にも言い寄る男は多かっただろう。2人の女性と浮気するような笠山でなく、もっと誠実な男性はいたはずだ。なのに、笠山に拘り、執着して、凶行に及んだ。


全く理解し得ない恋人への執着。そこまでの狂気がどこから生み出されたのか、首を捻るばかりだった。



―――――――――



「聖くん!また来てくれたんだぁ…」


そう言って不破は恍惚としたため息をつき、嬉しそうにアクリル板をつぅとなぞる。

笠山の懺悔もそろそろ終わるかと思ったが、一週間に一回こうして笠山は足を運び続けている。よく続くものだと思ったが、人が1人自分のせいで死んだと思えば続くのかもしれない。


「めいちゃん、聞きたいことがあるんだ」


珍しく笠山が質問する。

今までは笠山は不破から語られる猟奇的な愛をただ受けるだけだった。だが、今は少し違う。笠山の瞳はいつになく真剣だった。


「何で、1人を殺して、もう1人に大怪我を負わせたの?」

「何度も言ってるでしょ。聖くんのためだよ?邪魔な虫を追い払ってあげたの!嬉しいよね、ねえ!」

「そうじゃなくて」


笠山が言う。不破はぴたりと口を閉じた。

静かな口調だが、そこには逆らえない何かがある。今までの押されるだけの笠山ではない。今この瞬間、この場の支配者となっている。


「なんで、片方だけは大怪我だったの?」


そこには計り知れない強い意志が篭っているように見えたが、質問の意図が全くわからなかった。

不破は珍しく勢いをなくし、目を左右に泳がせながら質問に答える。


「……両方始末してあげようと思ってたよ。だけど1人は聖くんの家に居たからナイフで刺せたけど、もう1人は街中だったんだもん。仕方なく階段から突き落としたら、骨折だけで済んじゃったんだよ」

「……そっか」


そう言って笠山は俯いた。

何も言わなくなったのを見て、不破はまたいつもと同じように猟奇的な愛のメッセージを呟き始める。

笠山はいつものようにそれを黙って聞いている。


いつもの見慣れた光景。異常だが、それに慣れ始めていたずなのに、今日は一段と異様な雰囲気が漂っている。

それに、見逃せなかった。

笠山が、うっすらと口元に笑みを浮かべていたのを。



―――――――――




その日は、生憎の土砂降りの雨だった。

近くのショッピングモールに買い物に行った。卵が切れたので、買い出しに行かざるを得なかったのだ。

気の進まない足を持ち上げ家を出て、袋をぶら下げて向かった。卵を買い、ショッピングモールを出た所で、見知った顔が見えた。まさかこんな所で会うとは夢にも思わなかった相手だった。


「ねえ、聖くん!どうしてそんなこと言うの!前の女とは

別れたんでしょう?」

「うん。だけど……和佳奈のことはもう、好きじゃないんだ」


派手な化粧をした女性が、聖と呼ばれた男性に縋り付く。

女性は足を骨折しているようで、松葉杖をついていた。

何度も見たから間違えない、紛れもなく不破の恋人、笠山聖だ。恐らくもう1人の女性は、不破に大怪我を負わされた女性だろう。

2人はどうやら別れ話をしているらしい。こんな所で。ショッピングモールの裏口は人がいないとはいえ、もうちょっと別れ話に適切な場所があっただろう。

見てはいけないものを見たような気がして気が引け、そのまま帰ろうとも思ったが、好奇心が勝ってしまい、足を止めて柱の影に隠れる。2人の会話は小さなものだったが、十分聞こえてきた。


笠山の申し訳なさそうな声が聞こえる。


「ごめん、だから…別れてほしい」

「なんで…!急にそんなこと言われても、納得できない」


女性は焦った声を出して、嫌だ、別れたくないを繰り返した。笠山はその度にごめん、と気弱そうに謝っていた。

そして、どれくらいが経っただろうか。

その時は、突然訪れた。


「ねぇ!考え直して、聖くん!私より、あんな最低最悪な女が良いって言うの!?そんなの、理解できな――」


パンと、乾いた音が響く。

嫌な静寂が訪れた。恐る恐る柱から覗くと、女性が頰を抑え、信じられないと言った様子で目を見開いている。


それよりも恐ろしいのは、笠山の様子だった。

先程の申し訳なさや、おどおどした様子はない。冷気すら感じられるような、どこまでも冷たい瞳だった。


「……せ、聖く…」

「目が覚めた?」


そう言って笠山はからりと笑った。

女性が目に涙を溜め、罵倒の言葉を口に出す前に、笠山が告げる。


「ごめんね。僕、ずっと嘘ついてた」

「……な、何を…」

「お前のこと、最初から好きじゃなかった」


そう軽やかに告げる笠山の瞳は全く笑っていなかった。

何かが笠山の琴線に触れた?だが、今の流れでそんな所はどこにもなかった筈だ。


――私より、あんな女が良いって言うの!?


……まさか。

母親の言葉、友人の言葉、そして今のやり取り。笠山と不破の会話。ピースがはまっていく。すると、恐ろしく嫌な考えが浮かぶ。


笠山が去っていく。女性はその背中をじっと睨みつけていたが、般若のような顔をしたまま、大股で笠山とは反対方向に歩を進めていった。



―――――――――



不破と笠山の面会が終わる。

休憩スペースに向かおうとすると、廊下でばったりと笠山に出会った。


「こんにちは。めいちゃんの刑務官ですよね」

「…そうです」


若干警戒しながら返事をする。一歩後退りして、距離を保った。笠山は不思議そうに微妙に空いた距離を見つめ、「そういえば」と話し始めた。


「今日も差し入れ持ってきたんですけど、めいちゃんいつも日用品は要らないっていうんです」

「ああ、そうですね」

「でも、必需品なんで、少しはあったほうが良いかなって。今日は手紙だけじゃなくて、これらもお渡ししてもらっていいですか?」

「なるほど。分かりました」


頷いて、紙袋を手に取る。受付でチェックをしなければ。そう思い去ろうとすると、腕を掴まれた。掴まれた部分からぞわりと鳥肌が立つ。

その様子を見て、笠山は目を瞬かせ――「ああ、知ってるんですね」と言い、合点が入ったというように笑った。


「僕、持ってきたんです。めいちゃんにあげる贈り物を。可愛い服とか、あと現金とか。もし検査で引っかかるものがあれば処分してもらって構いません」


そっと紙袋を開く。ブランドにはさほど詳しくないが、素人がみても相当な高級品だとわかるものだった。

それよりも驚くのは現金だ。その札束を見てぎょっとした。少なくとも一年は生活に困らない程の大金だった。


「大変申し訳ないのですが、現金の量は限られているんです。それに、服も紐やチェーンが付いているものは許可されない可能性があります。一応検査には通しますが、かなり引っかかるかもしれません」

「ああ、なら捨ててください」


ゴミを捨てるような軽さで、笠山は言い放った。

そのあっけらかんとした調子に驚き、まじまじと笠山の顔を見る。吸い込まれそうな黒い瞳は、最近よく見る誰かに酷似していた。

ふと、疑問が湧いた。


「でも、急になぜ贈り物を?」


笠山は笑みを作った。

楽しそうに、嬉しそうに。

真っ黒で淀んだ瞳の奥に、不破と同じ、いやそれよりも大きく恐ろしい狂気の炎が燃え盛っている。


この場から離れろと本能が警鐘を鳴らす。返事を待たずに受付に向かおうと足を踏み出そうとしたその時、その答えを聞いた。



「先日、めいちゃんから、最高の贈り物を貰ったので」



 




試された愛は、最高の形となって笠山の手に渡ったーー

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