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才子には運が無かった

作者: ふれい

『私は、いつの間にかこの場所にいた。必然だと思いたいけれど、偶然だと自覚している自分も確かにいるのだ。この世界は、運で構成されている。ホント、クソ喰らえ、だ』


「ーーはぁ」


 浅い吐息が自然と漏れた。

 溜め息というには些か静かすぎるが、そこには間違いなく鬱憤が混ざっていたように思える。


「偶然......ねえ。このエッセイを書いた作者様は凡人よりは先の思考に至ってはいるけど......」


 スマホを淡々とスライドさせていた親指を呆然と見つめながら、彼女は呟く。


「その言葉って、ニセモノじゃん」


 そう言って、彼女は持っていたスマホを寝転んでいたベッドの脇に放るように置いた。


 彼女ーー影山(かげやま)ミレイがスマホを滑らせて読んでいたのは、とある小説家のエッセイであった。

 タイトルは『成功者』。内容としては、その作者が小説家になるまでの経緯と、なってからの心情を書き綴ったものである。


 作者は、自身が『成功』したことを偶然だと考える側面があると分析している。

 その思考に関して、ミレイはその作者を褒め称えたいと思った。何故ならば、ミレイも同じことを考えていたからである。


 科学やスポーツの世界では、天才というのは嫌でも目につく。そこには天才を正しく天才だと評価出来る分かりやすい結果が存在するからだ。

 しかし、小説というジャンルで競う以上、どうしても運という要素は絡むものである。小説というものは人々の感性によっていくらでも評価が変わってしまうものであるのだから。

 いくら内容の良いものを書いたとて、大多数の感性と『ズレて』いた時点でその作品は評価されない。そもそも、誰の目にも留まらないことすらあるのだ。


「それが今のあたしなんだけど」


 自嘲気味に吐き捨てた台詞は誰の耳にも届かない。その行いすらも、自分の現状と何か当てはまるような気がして、ミレイはまたもや自嘲の笑みを浮かべる。


「......あー。しかし残念だなあ。今の作者さん、あたしと分かり合えるかなって思ったのに」


 ミレイの賞賛に値する考えを持つ作者。

 だが、ミレイは彼のエッセイを読んで憂鬱な気分になっている。それはエッセイに問題があるわけではなくーー。


「だって矛盾してんだもん。アンタ、成功しちゃってんだから」


 ーーその作者の在り方自体に問題がある。


 運が絡むことを受け入れなければいけないことに悪態をつく作者が、運によって成功している。


 ならば、その言葉に籠っている嫌味は本心と言えるのだろうか。実際に運に助けられている者が、いくら運という要素を嘆いたところで、その言葉は響かない。


「あーあ。ホント、クソ喰らえ、だ」


 誰もいない薄暗い部屋で、消えいるように吐き捨てた。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 国語は好きだ。数学は嫌いだ。

 国語は答えがやんわりしている。

 数学は答えが決まりきっている。

 

 それを言えば、国語と英語以外、全部嫌いだ。


 ーー全部、ぜんぶ。答えが決まっちゃっているから。


「ーーーー」


 放課後、夕陽に照らさせる教室で、ミレイは独り座っていた。外からは運動部の騒がしい掛け声と、吹奏楽部の地味な音色が薄らと聞こえて来る。


 一つ、言わなければならないことがある。

 学校において、正しくはミレイはミレイではない。

 彼女は、高校三年生の、影山 美玲(みれい)だ。

 成績優秀、容姿端麗、八面六臂の、ただの高校生。


 人呼んで、才色兼備の女神。


「うーん、夕焼けは綺麗だなあ。いつまでも見てられる」


 机に肩肘をついてぼんやりと見つめる外の景色は、いつの間にか美玲を魅了していた。


「良い表現が浮かんできそう......っていけないいけない。あたしは、美玲、なんだから」


 独り言にハッとさせられ、美玲は自身の頬を軽く両手で叩く。微かな痛みと引き換えに正気を取り戻した美玲は、徐にノートを取り出した。

 それは、いわゆる勉強用ノートである。授業や参考書で学んだことをこのノートに書き残し、復習として利用する。効果は絶大で、美玲は高校三年間、一度たりとも首位の座を譲らなかった。


 美玲は、皆から羨望の眼差しを向けられる存在である。


「ーー今日も頑張ってるな、美玲」


「........................」


「おーい? 無視とは珍しいな......?」


「ーーぁ。先生、どうも」


 二度目の発言で、ようやく彼の存在に気付いた。

 慌てて美玲は適当な会釈をする。


「ども。えらく集中してたな、良いことだ」


「......集中、してました?」


「ああ。だって俺一回無視されたもん」


「......そりゃ、申し訳ないことしましたね」


「学生の本分は勉強だからな。何も悪いことはない」


「......ども」


 他愛のない会話の相手は、自分のクラスの担任だ。

 青森先生という、二十四歳の若き教師である。

 かき上げられた短髪やしっかりした身なりから、好青年という言葉が最も似つかわしく思える。


 しかし、そんな印象とは裏腹に、生徒からの評判はあまり良くないと聞く。


「毎日毎日、本当に凄いよ美玲は。天才だの秀才だの持て囃されちゃいるが、努力をやめないその姿。俺なんて学生の頃家帰ってゲームして寝て終わりだったしな」


「......そんなもんじゃないですかね、高校生なんて。それにしても、先生も毎日ご苦労なことですね。わざわざ教室に顔を出すなんて。あたしに会いに来たんでしょう?」


「んー、頑張ってる生徒を応援しないのも気が引けるもんで。それが受け持ってる生徒となれば尚更」


 美玲が三年生になってからの付き合いなので、青森先生とは七ヶ月の仲になる。

 普段は教室で喋ることなどないが、放課後は毎日他愛のない会話を数分するのがルーティンとなっていた。

 別に先生は美玲のことを特別視しているわけではなく、他の生徒も平等に個人的な触れ合いの場を設けているようだ。


 半ば強制的に生徒との個別の面談を計る青森先生に、不信感を抱く生徒も数多くいる。それこそが、彼の評判が良くない理由だ。


 そんな彼の行動は若さゆえの生真面目さ、と一蹴することも出来るが、美玲はそんな彼を尊敬している。


「先生のモチベーションってなんですか?」


「えらく大雑把な質問だな......」


「んぇ......えーと、教師という職業のモチベーションについて聞かせてください」


「モチベーション、ねえ」


 生徒一人一人と真剣に向き合う態度を示す青森先生に、美玲はどこか不思議な感覚を覚えている。

 恐らく、彼が初めて見るタイプの人間だからなのだろう。ここまで真面目に教師という仕事を全うする人を見たことがなかったから。

 だから、先の質問に繋がった。


「そりゃまあ、お前らの笑顔というか、お前らの幸せがモチベーション......かな?」


「あの......ちょっと照れながら言わないでください」


 口籠もり、頬を人差し指で恥ずかしそうに掻く先生に突ツッコミをいれる。


「だって恥ずかしいし。ーーあ」


 ふと何かを思い出したかのように、青森先生は天井を見上げて声を漏らした。そして合点のいったような様子で、掌をポンと叩いた。


「どうしました?」


「ーー認められるのが嬉しいから、かも」


「ーーーー」


 先程とは違い、先生は真剣な表情でそう溢した。

 そして、その言葉に美玲は心が射抜かれたような感覚に陥る。

 

 ーー違う。撃ち抜かれたのはミレイだ。


 決して恋心とかではなく、心の臓の奥を揺らされるような強い衝撃が、彼女を貫いていた。


「俺だってさ、たまに何やってんだろって思うことあるんよね。バカ真面目に生徒と向き合ったのに、ロクな対価なんて得られねえし、寧ろ嫌われることすらあるときたもんだ。普通はやってらんねえよ」


 でも、と先生は言葉を続ける。


「評価してくれる奴らもいるから。だから、やってけるし、俺は俺を曲げられない。理想の自分を演じてたら、たまたま評価してくれる奴らがいた。それだけのことなんだけど、俺はその偶然に感謝しながらこの仕事やってるよ」


 美玲の目を真っ直ぐに捉えて語る先生の左頬は夕陽に照らされて、より輝いて見えた。美しかった。

 まるで、希望の権化のようだと、そう思った。


 ーーそれと同時に、絶望する自分もいた。


「そう......ですか。凄いですね、先生は」


「そうか? 評価が嬉しいとは言ったけど、天才様にそんな真正面から褒められると恥ずかしいわ。......もう俺は帰るぜ、美玲は?」


「......あたしは、もうちょっと残ります」


「りょーかい。風邪引くなよ。じゃあな」


「さようなら」


 手をひらひらと振りながら教室を後にする先生の背中を見送り、美玲は自身の机にゆっくりと突っ伏した。


「ーーはーあ。そっかあ」


 そのまま視線を床に向けると、夕陽によって影が出来ていた。茶色のタイルと夕陽の橙色はとても輝いていて、その分自分の影がより暗く染まっているように見えた。


「お前は、評価を評価と受け入れられる人間が羨ましかったんだ」


 残酷な言葉を投げかける。

 自分自身とも、自分の分身とも捉えられる影に向かって。


「ねえ、そうなんでしょ? ーー影山」


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 影山 美玲は、評価を求める人間である。

 承認欲求を満たすことが人生の目標であり、彼女のモチベーションなのだ。だからこそ彼女は勉強や運動に全力を注ぐし、学校での立ち振る舞いも優美なものを心掛けている。


 とはいえ、そんなもの人間であれば特段おかしなことはない。逆に認められることを嫌う人間など、ごく僅かなものだろう。

 美玲の他人との相違点は、その評価の質に拘ることだ。勉強や運動など、人並み以上に出来れば基本的に誰でも褒められる。その上、そこに至るまでの努力など、今も尚、何らかの分野で最前線を走っている者達に比べたらちっぽけなものなのだ。


「だからあたしはミレイとして頑張ってるんだけどなあ」


 家に帰り、いつも通り薄暗い自室のベッドに仰向けで寝転ぶ。脳裏にチラつくのは、淡く光り輝いていた青森先生の横顔。


「あの人は、評価されて、その評価にちゃんと満足出来てる」


 彼は、美玲とは違う。

 しかし、その有り様は美玲の理想そのものである。


「あたし、なんで満足出来ないんだろ。こんだけ周りの人から評価されてるなんて、本来なら充分すぎるはずなのに」


 美玲がミレイという存在を創り出した理由は、人並み以上の欲求を満たすことにある。誰でも努力次第で辿り着けるようなステージに、美玲の理想は詰まっていない。美玲は才色兼備と評されるように、顔面の作りも良い。だが、そんな偶然だけで勝ち取った評価など、美玲にとっては塵ほどの価値でしかない。自分自身の実力がある、一握りの強者のみが辿り着ける世界にこそ、美玲を満たす何かが存在すると考えているのだ。


 そして、そんなミレイが選んだのは、小説という世界だった。


「小説は良いよ。なんて言っても、確かな答えが存在しない世界なんだから」


 答えが存在しないからこそ、理解され、評価された際の喜びは計り知れない。美玲は、そうやって満たされたいが為にミレイを創った。

 それと同時に、美玲は小説を読むことが好きだった。

 小説に限らず、文章を読むこと自体が幼い頃から好きだったのだ。


 何もかもが、美玲の欲望を満たすのに好都合だった。


 ミレイには、自信があった。

 何故なら、美玲はこれまでの人生において評価されなかったことが無いからだ。どんな分野においても平均以上を叩き出し、最前線を走り抜くことも少なくなかった。


 だからこそ、小説という世界でも、時間はかかれどいつの日か評価されるものなのだと、当たり前のように思っていた。


 自分は、他の人達とは違う。

 自分は、凡人ではない、と。


「でも、違ったかなあ」


 机の灯りを点けると、数々の参考書の上に散らばる原稿用紙が目に入る。原稿用紙には、汚い字で書き連ねた自身の想いーー自作の小説がびっしりと詰まっていた。


 ミレイはスマホで自身の小説をネットに投稿するのと同時に、手書きの原稿を新人賞として何度も送っている。

 無論、賞を貰えたことは一度としてない。

 ネットでは少なからず評価をもらえた事もあったが、それでも片手で数えられる程度の人数にしか認めてもらうことは叶わなかった。


「はーあ。片付けよっと」


 深く溜め息を吐き、机上の整頓を始める。

 改めて原稿を読み直すと、酷い文章だと思う。

 書いた段階では上手く表現出来たつもりでも、脳内の理想と吐き出す言葉には埋めても埋めきれない齟齬がある。


「ーーあ」


 皺だらけになった原稿用紙を掻き分けると、机の奥底から一枚の紙がひらりと舞い落ちた。原稿用紙とは違って、その紙は綺麗な白を湛えている。


 その白い紙を拾い上げ、書いてある事項に目を通した。

 そこには沢山の数字が羅列されていて、その()()が『5』と記されていた。


「......あは、バカみたい」


 ーー何かが、切れる音がした。


 自惚れていた自分に対しては勿論、この世界に対しても嘲笑が漏れる。


「運があれば行けると思ってたけど......あはは」


 届かない世界があった。

 運に責任を擦りつける行為にも、そろそろ限界が来ていた。


「ははぁ......『この世は運で構成されてる』......だっけ?」


 昨日見た小説作家のエッセイを思い出す。

 その文章を、ミレイはニセモノだと一蹴した。

 

 ーー否。


「違った。違ったんだ」


 ーーミレイは、そもそも理解出来ていなかっただけだ。


 才能がある人間の言葉は、才能がある人間にしか理解出来ない。同じ場所から見る景色でなければ、その情景は共有出来ないのだ。


「ニセモノか、ホンモノか。そんなの、あたしにはどうしたって分からないや」


 朧気になる視界が、胸中の悲しみの連鎖を加速させる。


「ーーだって、あたし自身が、ニセモノだったんだもん」


 何もかもが、間違っていたのだと気付く。

 いや、薄々気付いている部分もあった。

 それでも、美玲の今までの人生がミレイに催眠をかけていた。今まで成功ばかりの自分が認められないのは、偶然によるものなのだと。


 ーー偶然だと思いたいけれど、必然だと自覚している自分もいたのだ。


 ーー天才だと思いたいけれど、凡人だと自覚している自分もいたのだ。


 影山 美玲は決して天才などという言葉で言い表せるような人間ではない。

 それは、何重にも積み上げられた『勉強用ノート』が物語っていた。


 そうだ。そうだった。

 影山 美玲はなんでもできる優等生であることに違いはない。けれど、彼女を優秀という評価へ導いているのは才能ではない。


「......あーあ。ホント、クソ喰らえ、だ」


 床に投げ捨てられた通知表の現代文の欄だけが、『4』という数字を示して嗤っていた。

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