40.ル・シュテルの疑問
ル・シュテル領の港マルソーでは自衛隊の輸送車両でごった返していた。彼等はPKFロアイアン南に駐屯していた第五旅団の兵力の一部で、何故だかは知らないがどんどん駐屯兵力を引き上げている様だった。その港の様子を見るマルソー港のエウグスト人達にも不安が広がっていた。
「ル・シュテル伯爵、またニッポンのPKF基地からの車両が来たみたいですよ。」
「ふーむ……もうあの基地は撤収するのだろうか? 一応、タカダさんに確認してみるよ。」
「午後、マルソー港に到着するニッポン軍の輸送船で帰るみたいですね。」
「一体どういう事なんだろうか……もうあの地域は安定したとニッポン政府は判断しているのだろうか?」
ル・シュテル伯爵もまた、何も日本側からの連絡が来ないままに日本の兵力が引き上げる事に釈然としない気持ちだった。地域、というよりはエウグスト方面へガルディシアからのちょっかいが基地がある事で全く無くなっているのである。だが、この基地の人員が減る事になれば、当然この地域の情勢が不安定化する。エウグスト独立軍の力では、この地域を安定化させる程には戦力は充実していない。日本の戦力は、このエウグスト独立軍の境界線に貼り付けるべき戦力の肩代わりとなっており、伯爵としては今や無くてはならない戦力にカウントされている。それがどんどん引き上げているのだ。そこで伯爵は日本へと確認の連絡を行った。
「タカダさん。確認したい事があります。」
「いや、言わなくてもわかりますよ。PKF基地戦力の引き上げの件ですね?」
「そうなんです。これはどういう事を意味しているのでしょうか?」
「それはですね……少々ややこしい事態となっているのですよ。ざっくり言えば日本政府内における政争の結果なんです。我が国の政府を構成する政権与党とは別の思想を持つ野党という政治集団が居るのですがね。この前にあった襲撃の件で、政権与党が野党やマスコミ、そして一部の国民から非難を浴びてましてね。国会で厳しく追及され続けたのですよ。何故ああいう事が起きたのか?と。その結果、政府に対する国民の支持率が大きく落ちて与党側が危機感を感じた所で、野党側が取引を持ち掛けてきました。」
「何故ああいう事が起きたのか、だって?? そんなもの、攻撃する側の理屈が全てだ。むしろニッポンはあれだけの奇襲を受けて、あの程度の被害で済んだ事を誇るべきでは!?」
「そう考えない人達も居るのですよ。そう考えない人達を集めて代表を出しているのが一部の野党の方々な訳で。そういう事を言ったり考えたりする事が許されるのが自由で開かれた民主主義という奴です。ただ、政権与党側で一部に、こういう野党側と考えが非常に近い方が居りましてね。しかも彼はこの政権与党の中で相当な力を持っているんです。」
「……何故、野党と非常に近い考えの人は野党に行かないんですか、タカダさん?」
「政権に居なければ、その力を振るえないという事でしょうね。私も何故彼が与党に居るのかは理解出来ません。ただ、政権与党内に居る限りに於いては絶大な影響力を行使可能なんです。そして、その彼が野党との協議に応じ、あの基地の司令官の罷免と彼等が推薦する将校を基地司令にするならば、国会での追及は手打ちにしよう、という事になりました。」
「ああ……それであの基地の司令官が突然変更になったんですか……」
「そうです。民主主義国家というのはこういう負の面も抱えているのです。問題は、その新しい司令官の裁量が相当に大きい事なんですね。新しい司令官、枝野陸将補は就任の際に基地内における兵力の配分に関して自由裁量権を要求しました。当初我々は、このような襲撃事件があった事から戦力の補充や増強に関する事だと判断しておりました。その為、政府としては大枠で第五旅団以外の増援に関しては国会での審議を経て決定する事はそのままとし、第五旅団内に関しては自由に行えるように致しました。ところが…」
「新任の司令官はどんどん兵力を下げ始めた、と……」
「そうです。下げた兵力は元の北海道の駐屯地に戻っています。が、要求があれば直ぐに現地に行く兵力として依然としてPKFロアイアン南派遣隊という扱いなんです。つまり書面上は派遣兵力はそのまま、実態としては大幅に兵力が減少しています。これは伯爵が港でご覧になっているのでご存知かと。」
「タカダさん、書面上の戦力に一体何の意味があるのですか?」
「そうですね、結局の所は現地にどれだけの兵力が展開し、その兵力は平和維持活動に必要な兵力か否か、という事だけが意味ある事でして、それは伯爵のご指摘通りです。意味はありません。」
「なかなか……ニッポンの政治とやらは意味不明ですな……」
「ええ、これに関しては大変申し訳無く思います。何れにせよ現状のままでは危険な事に変わり有りません。それに襲撃事件からこっちどうも何かが動いている模様です。恐らく帝国の南側は暫くは動かないでしょう。ですが北側はどうにも怪しいですね。特に陸軍の第四軍には注意が必要です。」
「第四軍……ハルメル中将ですね。彼は搦め手が上手い。」
「そうですね。PKF基地にも何らかの工作をして来ましたからね。例の襲撃事件の際は彼の基地への表敬訪問の時でしたから、全く無関係という事は無いでしょう。罷免された笹川陸将補の聞き取りからも、彼の関与が疑われる可能性について言及していました。恐らくは自ら無関係の立場を装いつつ、また何かを仕掛けてくるでしょうね。」
「そんな時にニッポンの基地が弱体化しているのは危険じゃありませんか?」
「現PKF基地司令官はそう思っていない様なんですよね。」
二人は通信機の前で同時に溜息をついた。
だが、彼等の危惧感は具体的な形で進行していたのだ。
「レティシア、あの基地を見てどう思った?」
「そうね。外からは難攻不落でしょうね。何よりあの火力は近づく事も出来ないわ。」
「だろうな。だが、不思議な事にあのニッポン軍の基地は兵力を後方に下げ続けているそうだ。」
「え、どういう事ですか? ハルメル中将??」
「普通はそう驚くよな、リンデマン大尉。」
ここヴォルンにあるガルディシア帝国陸軍の第四軍司令部ではハルメル中将の元にレティシア大隊の主だった面々が集まっていた。彼等は日本の自衛隊PKF基地に関する品評をしていたのだ。
「どういった兵力が下げられているかによって判断は変わるけど、戦闘部隊を下げているならば攻略も容易よね。ああいう基地は内側から攻略したら簡単、ってのが例の襲撃作戦で判明したし。でも、ああいう襲撃が起きたら普通の国は戦力を増強するんじゃないの? 間違ってる?」
「ふっ、普通はそう考えるだろうな、レティシア。だがニッポンは不思議な事に兵力を下げ続けている。歩兵戦力は1/3程度に減っているし、戦車の類も減り始めた。だが撤退を意味している訳ではないのだ。しかも、相変わらず基地見学は行っている様なのだ。」
「え? 意味わかんない。」
「どうやら新しい基地司令官に"話合えばお互い理解出来る"という事が信条の者が着任したそうだ。そんな考えの奴が何故に最前線の基地司令が出来るのかは知らんが、ニッポンという国はその類の人材が払拭しているのかもしれん。」
一同は困惑した顔でお互いの顔を見合っている。
それはそうだ。話し合いで理解出来ないから、お互いが譲れない部分があるから戦争が起きるのだ。お前の領土が欲しいから寄越せと問われて、話し合いでは解決出来ない。大人しく相手の言いなりに国土を切り売りする様なら遠からずその国は滅ぶだろう。相手の要求を飲めない場合は、当然実力の行使となるのだ。そこに話し合いの場も理解も必要無い。だが、それを優先した場合、如何なる事態となるのか?
「今度のニッポン軍基地司令は、つまりボンクラだと言う事でありますか、ハルメル中将?」
「ああ、それを確かめに行くぞ。再び公式な表敬訪問を行い、彼等の基地の現状を知ろう。彼等はまた我々に隅々まで公開してくれるだろうさ。人も減り、武器も減るならば或いは面白い事になるやもしれん。」
「ふふっ、じゃ今度こそニッポン軍と戦えるのね?」
「レティシア、その考えは未だ早い。奴等がどの程度弱体化しているかを確認し、そして我々に攻撃の矛先が来ないような攻撃方法を模索するのだ。連中が本気になれば我々など容易く潰せるだろう。だが、我々が行ったと認識させない方法を用いれば、連中は別の何かを犠牲にする筈だ。それは自らの軍なのか、それともドラクスルの軍なのか……何れにせよ面白い事になるぞ。」
こうしてハルメル中将とレティシア大隊主要メンバーによる再度のPKF基地表敬訪問の準備が始められた。
何時もお読み頂きありがとうございます。
感想、誤字脱字報告、ブックマーク、評価、諸々大変感謝です!