32.ルックナー中将の苦悩
ザムセンの帝国陸軍ルックナー少将は正式に中将に昇進し、第一軍の司令官となった。これは第一軍が秘密警察軍を吸収編入した事による。そして第一軍第三歩兵師団のイエネッケ准将も少将へと昇進した。だが、内実は7万3千を数えた帝国陸軍の筆頭、帝都ザムセン守備の要と言われた第一軍がエウルレンでの損耗率57%というほぼ全滅判定に近い敗北の結果、3万2千の敗残兵と秘密警察軍2万との合併で何とか軍としての形を整えたに過ぎない。そして、この3万2千の敗残兵のうち、結構な比率でPTSDを患っており、一見健康に見えても戦闘には耐えられないと見られていた。その為、第一軍の戦闘可能な部隊としては秘密警察軍を主体に構成した5つの旅団のみである事は知られていない。更に深刻なのは、第一軍に配備されていた騎兵師団だ。第一軍は、1個騎兵師団と3個歩兵師団で構成されていた。だがこの1個騎兵師団、所謂第一軍の主要な機動戦力がエウルレンで壊滅し、残余を集めて構成されたのは2個連隊、総兵力4,000程度のみであり補充も無く再建の目途は立っていない。つまり、ザムセンを守る兵力は書面上では5万を数えたが、その実際の兵力は歩兵5個旅団と騎兵2個連隊、そして第一軍の数少ない健常な者達だけだったのだ。この構成では、守備には適しているが攻勢に出るなど夢物語も甚だしい。幸いな事に、ドラクスルの判断では攻勢計画は何一つ存在せず、今は戦力の充実の時と判断しているのか、皇帝も帝国議会も好戦的な論調は出てはいなかった。ただ一つ、海軍を除いて。
ルックナー少将はエウルレン敗戦時に自らも責任を取る姿勢を見せていたが、皇帝ドラクスルに止められた。ドラクスルとしては、この現状で軍を指揮可能な者を一人でも減らしたくは無かったのだ。既にランツベルグ中将が自らの責任として自害していた為、この敗戦に関しての責は公式にランツベルグのみに着せられた。それを心苦しく思っていたルックナーは、ランツベルグ家に訪れ、ランツベルグ夫人に血に染まった中将の手紙を渡すと共に真摯に謝罪した。だが、ランツベルグ夫人は軍人の責を果たしただけだと謝罪を受け入れなかった。この時、ルックナーはエウグスト解放戦線に対して必ずやこの借りを返す事を秘かに誓っていたのだが…
ザムセンでのエウグスト解放戦線によって破壊された陸軍司令部は、暫くの間海軍との合同庁舎となっていたが、やや暫くしてルックナー中将の指示によって再建された。とはいってもザムセン防衛戦の際に死んだ身寄りのない男爵の小さな城をそのまま接収し、司令部として使用しているのだった。そして今、この司令部には第一軍の各々の将軍と作戦参謀が集まっていた。
「ハイドカンプ、貴公の師団への補充の件だが……済まぬ。何も当てられん。軍馬が全く入ってこんのだ。エウルレン域の遮断によってダルヴォートの馬が入って来ないのは分かる。だが、船での輸送も軍馬が一切入ってこないのだ。相当に督促を出してはいるのだが……」
「いや、それは儂も聞いているよ、ルックナー。どうも何かがおかしい。第四軍のハルメル辺りが軍馬の輸送を制限しているのかもしれん。だが、奴等にはニッポンの軍が駐屯しているから軍事行動は執れん筈だ。つまりは馬など必要無い筈なのだが……」
「我々の知らない何かが動いているのやもしれんな。その辺り情報局に探って欲しい所なんだが、何故だかレオポルドとも連絡がとれんのだ。やれヴァントだ、やれロアイアンだと何時も居らん。ヒアツィント、何か聞いてはおらんか?」
「うーむ……小耳に挟んだ程度の噂だが。シュペルレ大佐。この前の話を頼む。」
「はい、ヒアツィント少将。失礼します、作戦参謀のシュペルレ大佐です。あくまでも噂で、裏を取っている訳ではありませんが、海軍の一部高級将校の間で現在陸戦に関する訓練が行われているそうです。その訓練内容が市街戦を想定した訓練をしているとの事で、訓練を受けている海兵達の間でも困惑が広がっていると聞きました。」
「市街戦だと? ……その規模は分かるか、大佐?」
「規模に関してはその訓練の状況を見た訳ではありませんのでわかりません。ただ、その噂を語ったとされる者の階級が末端である事から、恐らくは相当大規模に行っているものと判断します。平たく言うと最大で第一艦隊の全て、最低でも1万程度以上ではないかと。」
「何故、そんな大規模の訓練が我々の協力も無しに行えるのだ!? おまけに我々がそれを知らないなんぞ意味が分からん!」
「ハイドカンプ少将、だからこそ何かが動いておるのだ。我々の知らない何かが。私がいま疑っているのはザームセンの裏切りだ。有り体に考えて帝都ザムセンの守備は何もないのも同然だ。そして皇帝は敗残の王と言われている。奴ならこの状況を利用して現皇帝を弑逆し、自ら皇帝の座を得ようとしているのではないか?」
「証拠も無しに疑うのは良くないぞ、ヒアツィント。今少し情報収集に動こうではないか。もし仮にザームセンが反逆を企てているのであれば、我々も陛下に上奏の上で共に対応せねばならん。それには確たる証拠が必要だ。」
「確かにな、ルックナー。そうだ。例の第一軍残余に広がった病気の件はどうなった?」
「予算が無いのだ。対処方法に関してはベリエール大尉が資料を纏めておる。その対処を実行する為の予算が無いので、何も手が付けられておらんのだよ。歯がゆいがな。それに失った装備が優先になっておるのは仕方が無いのだ。どうにも成らん。」
「前皇帝が肝入りで進めておった例の連射銃の弾は現状どうなったのだ?あれがあれば、多少は対抗出来るのではないか?」
「それも一行に進んではおらん。何せ物流が寸断されておるのだ、入ってくる筈の物が入って来ない。辛うじてエウルレン方面からは食料に関する物のみが入ってきておるだけだ。連中も我々への食料を止めたなら、我々がどう動くかを理解しているのだろうが。」
ガルディシアは元々食料生産に乏しい。そしてエウグストは広大な食料生産基地となっている。その為、ガルディシアは自らを維持する為の食料をエウグストの生産量に頼っていた。この生産され加工されたエウグストの食料は、エウルレン北の防衛戦以降であってもガルディシアへと運ばれていたのだ。これは、エウルレンが食料を止めた場合、ガルディシアはその戦力の全てを以てエウグスト方面へ攻撃するであろう事が予見されていた事から、食料の移動だけは阻害しないようにしていた。だがロアイアン街道の虐殺の結果、生産量が著しく低下した事からガルディシアへの食料輸送は極めてギリギリの状況に陥っていた。
「このままだと我々は何れ干上がるぞ。我々の生命線が連中の食料移動に掛かっている現状は、何れ我々に致命的な打撃を喰らわしてくるであろうな。それまでには何とかせんと、我々の未来は無い。」
「だが皇帝陛下が戦う事を良しとせん事、そしてニッポン軍の駐屯。この二つを何とかしないと、我々も動き様が無いのだぞ、ルックナー。」
「我々にはどうにもならん。陛下はどのようにお考えなのか……」
第一軍司令部は出口の無い迷路に嵌り込んだまま、これ以降解散まで誰も口を開かなかった。
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