30.ブランザックの英雄
クルトの刑期は45年だ。
彼は自らの家族を惨殺した罪に問われたが、その理由が理由なので死刑を免れた。ガルディシア帝国では死刑を待つ囚人は居ない。何故ならば死刑が決まったら即時に刑が執行されるからだ。その為、収監されている囚人に、死刑囚は存在しなかった。
彼は軍刑務所に収監されてから既に8年になっていた。
元々は陸軍に所属しており、陸軍での最初の昇進のきっかけは対エウグスト最終戦だった。この戦いの中で、彼は敵分隊に一人で切り込み敵の分隊を壊滅させた。この時から彼は長い戦いの中で戦果を上げ続け、そして昇進し続けた。彼はブランザック戦線での功績から、ブランザックの英雄と呼ばれ始めた。
彼は平民出身だったが軍での功績が著しい事から貴族との付き合いも生まれ、そして付き合いある貴族の妻を娶った。貴族とは言っても準男爵の娘だったが、彼と貴族の妻との間には3人の子供が生まれた。心配していた貴族と平民との間で起きる面倒事も無く、彼は愛する妻と子供達の為に、軍での功績を上げ続け、それは同時に彼女の実家である準男爵家の功績ともなった。そして一兵卒からの叩き上げとしては異例の少佐にまで昇進したのだった。
そして8年前の対ダルヴォート戦において、大きな戦果を上げて特別休暇を得た彼はザムセンの彼の家に戻り、そこに別の男と寝室に居た自分の妻の姿を見た。彼に気が付いた自分の妻は、詫びる事もせずに彼を詰り始めたのだった。そして、彼の軍功だけが準男爵家にとって必要だが彼自身は必要が無かった事、それが故に3人の子種は全て彼のモノではなく他の貴族からの物である事、そして今迄もこれからを彼を愛する事がない事を声高に笑いながら語った。更には、最初からそういう積もりであり、準男爵家もそういう理解である事、つまりは知らないのは彼独りである事を知った。
その瞬間に彼の意識は爆発し、自らの戦場で鍛えた素晴らしい戦闘能力を如何無く発揮した。自らの子供と思っていたもの、そしてどこかの舞踏会で出会った事があるような気がする裸の貴族の男、そして愛する妻、それら全てを惨殺した。近所では恐ろしい咆哮と争うような音から、直ぐに治安部隊に通報が相次いだが、彼等が駆け付けた時には、彼は自分の愛する妻だった真っ赤な物体を見下ろし、血まみれの愛剣を抱えて茫然と立ち尽くしていたのだった。
彼は捕縛され取り調べを受け、そして裁判を受けたが、最後まで何も語らなかった。ただただ涙を流し続けるだけだった。妻の姦通の状況証拠、これまでの軍の功績、それらを考えて彼は死刑にはならず軍刑務所に収監45年という判決が下された。彼は軍刑務所に収監され、8年が経過した。
……
「重いわ。悲しいお話ね。」
「ああ、彼がブランザック戦線の英雄だったとはね。私も資料を取り寄せてみて初めて知ったよ。」
「こんな事があったのね。突然彼の噂を聞かなくなったから、行方不明か何かだと思っていたのに。」
「詳しい事は私も分からないが、恐らく英雄の不祥事だけに、軍は情報全てを隠ぺいしたんだろう。士気に関わるだろうし、貴族が絡んで居るのなら猶更だ。こんな醜態が世間一般に知れ渡ったら、自らの地位も危ういだろうしな。」
「そうなると、彼がとても強いのは理解出来たけど、使えないんじゃない? というか、逆にこんな作戦で使い潰すのが勿体ないんだけど…」
「それもそうだな……ただ、な。そもそも刑に服すから作戦から外してくれ、と言い出しているからには、もう剣を持たないと心に決めているのかもしれんな。」
「ねえ、レオポルド。彼を特別任務から外して大隊に入れられないかしら?」
「そうだな。ハルメル中将に相談してみるか。確かに使い潰すには惜しい。」
「お願いね、レオポルド。」
レオポルドはレティシアの願いをハルメル中将に相談しに行ったちょうどその頃、囚人兵宿舎では当のクルトとオスカーが、明かりが消された宿舎の隅で小声で何かを話していた。
「あの女に打たれた場所は大丈夫か、オスカー?」
「ああ、取り合えず骨は折れちゃいねえ。だが、あんなふざけて打ったにしちゃあ信じられん威力だったぜ。」
「伊達にレヴェンデールの狂女とまで言われた訳では無いんだろう。まず動きが捉えられん。」
「アンタがそう言うんなら俺達の誰も敵わんだろうな。」
オスカーも元々は軍人だが、軍を脱走して逃亡の際に押し込み強盗やら山賊紛いの繰り返しの末に捕まったのだ。幸いな事に殺人を犯していなかった事から死刑を免れたが、刑期は合算で50年を超えていた。そしてクルトがブランザックの英雄である事も彼は知っていた。
「ああ、そうだ。あの女には逆らってはいかん。それとこの作戦とやら。恐らくは使い潰しの作戦だ。俺達の誰も生きては帰れない。そもそも連中が言っていた作戦が何故正規軍がやらない? それは割に合わないからだ。どこがやっても死ぬなら、損失が少ないと思われる者達に任せた方が良い。だから囚人を呼び集めて部隊を結成したんだ。」
「まっ、そんな所だろうとは思っていたがな。だが、成功しさえすれば無罪放免なんだろ?」
「冷静に考えて俺達は全員刑期50年クラスの凶悪犯だ。収監しとくにも金が掛かるんだ。外に出せば危険な連中だ。成功するもしないも、全員死ぬような作戦に参加させてしまえば一石二鳥だろう。経費は係らん、危険な奴は消え去る。」
「かー…そうすっと、選抜で漏れた奴等ってのは、別途どっかで殺されるって寸法か。」
「ああ、だから元の刑務所に戻してくれ、と聞いてみたのだ。答えは今の時点でその選択肢は無い、だった。つまりは生かして帰す気は全く無いって事だ。選抜に漏れた連中は一か所に集めて殺されるだろう。元の刑務所に戻す、という名目でな。」
「どうすんだよ、クルト。」
「暫くは様子を見るよ。どうせ何も準備していないんだ。我々には手札が無さすぎる。脱走も出来そうにないしな。」
「ああ、あんたに任せておきゃなんとかなりそうだ。頼むぜ、英雄。」
「……二度と言うなよオスカー。未だ死にたく無いだろう?」
「あ、ああ?すまねえ。気を付けるよ、クルト。」
クルト自身は自らの生死に関しては特に執着してはいなかったが、刑務所で知り合った者達には生きていて欲しかった。彼は、既にこの作戦の本質を見抜き、何とか彼等を生かして帰したかったのだ。その為には情報を集め、最終的なシナリオに対抗しようとしていた。奇しくもそれは昔彼が軍に居た頃の精神と能力を復活させようとしていたのだ。
こうして囚人部隊初日の夜は更け行き、翌日から囚人部隊の地獄の訓練が始まった。




