20.ザームセン公爵邸での秘密会議
エウグスト解放戦線への皇帝退位の影響は今迄起きた出来事以上に影響を与えるといった事は無かった。解放戦線へ大きな影響を与えたのは、ザムセンでの皇帝誘拐作戦とそれに伴うエウルレン南方防衛戦の二つだったのである。
これら二つの作戦で浮かび上がったのは、指揮命令系統の脆弱性だった。
基本的に解放戦線での指揮命令系統は、その指揮を行う能力に見合った者が担っていた訳では無く、解放戦線初期のメンバーで上位に居た者が全体或いは部分的な指揮をとっていたのだ。その為、小さな組織では問題が無かったが、組織の巨大化と共に実情に合わない状態となっており、それが二つの作戦で浮き彫りになったのだ。また、その他の者は全て解放戦線の中では階級の設定が無く、指揮を執っていた者が倒れても次に指揮を執る者が誰だが分からない状況となっていたのだ。その為、ル・シュテル伯爵を中核として解放戦線は内部改革に乗り出し、指揮命令系統の強化と設定及び人材の抜擢を行った。これは、エウグスト領域におけるエウルレンへの人材流入と相まって、解放戦線の大幅強化に繋がった。そしてエウグスト解放戦線は、ガルディシア帝国内の扱いとしてはエウルレン周辺域を支配する武装勢力という立ち位置だったが、内部的には二個師団相当の陸軍と三隻の改造巡視船を擁する小国家となっていたのだ。
当然ガルディシア帝国はこの勢力に対し何等かの手段を講じようとはしていたのだが、日本政府による平和維持活動によって派遣された第五旅団が重石となって帝国軍は動けない。そもそも現皇帝ドラクスルは日本と敵対する意思を全く持っていなかった為、表も裏も何も動き様がない。だが、旧皇帝派閥筆頭であるザームセン公爵邸で行われていた秘密会議は、意外な方向に発展しつつあった。
「レオポルド、貴様の秘密警察軍はどの程度健在だ?」
「今の所、南北に分断されておりますが、南に二万、北に三万の警察軍戦力があります、公爵閣下。」
「そうか…ハルメル、貴公の第四軍は無傷であろう?凡そ七万程度の戦力があるな?」
「確かにその位だが…何を企んでおる、ザームセン?」」
ザームセンはふと机の上にあるタバコとライターを手に取った。
どちらも日本から輸入された物で、エウルレン南方防衛戦以降急速にバラディア大陸全土に普及した物である。蛇足だが日本におけるタバコ産業もまた禁煙ブームによって青息吐息だったが、このバラディア大陸への輸出によって持ち直した産業の一つである。ザームセンはタバコに火を付け紫煙を吐き出した。
「これら10万の戦力、ニッポンを相手にするには少々少ないだろう。だが、ドラクスルの軍を相手にするにはどうだ?」
「まさか! は、反逆をする気か、ザームセン!?」
「これは反逆と言えるのか、ハイントホフ。我等が皇帝の意にそぐわない形での退位、即位した新皇帝はニッポンとの対立に及び腰の敗残の将。そして、度重なる敗北。これは我等が誇ったガルディシア帝国と言えるか?」
「だが、我等は南北に分断されておるではないか。その10万の兵もほぼ北側に居る故に南に移動する事も儘ならぬぞ。それにだ。帝都には未だ第一軍が再建中とはいえ三万の兵力がある。」
「問題はそこよ。我等が頼む戦力は全て北側に集中し、その間には目障りなニッポンの駐留軍と解放戦線が居る。だが、ニッポンの軍が去れば、残されるのは解放戦線だけだ。しかし連中は例の連射銃を装備し厄介なものになりつつある。この連中と何れ戦うにせよ、一時的に共闘する事は可能ではないか?」
「解放戦線と!?気は確かか、ザームセン!?」
「まあ聞け、ハイントホフ。ニッポンの連中が引き上げる条件を満たしてやれば良いのだ。その上で、連中が居なくなったら、解放戦線への工作だ。なに、空手形でも掴ませれば良いのだ。共闘後にはエウグスト領域における独立を認めるだの何だのな。そして我等が帝国の実権を握りさえすれば、あとは返す刀で解放戦線を南北から挟撃する。何れ、今の皇帝はニッポンとの融和に忙しくて、指を咥えて眺めているうちにエウグストが武力によって独立してしまうだろう。そうなれば、我々は南北に分断されたまま、この状況が固定化されてしまうであろうが。」
「ああ、だが……我々にその解放戦線を叩く戦力があるとは思えん。結局、ランツベルグの第一軍でさえ、エウルレン南方全面の防衛ラインを突破出来なんだぞ。聞くところによると、新型の携帯砲まであると言うではないか。一人で持ち運びが可能で、尚且つ威力は今迄の比では無いとか。そんな物を相手に出来るか、ハルメル?」
「まぁ、そうだな。私が戦うなら正面切って戦う気は無いよ。ああいうのは別の戦い方をせんと我が方が悪戯に被害が大きくなるからな。」
陸軍第四軍ハルメル中将は、今迄の第一軍と第二軍の負け方を研究してきた。そして既にガルディシア帝国が今迄行ってきたような戦い方では到底勝ち目が無い事を理解していたのだ。その上で打開策として切り札を用意していた。エウルレンを脱出してきたレティシア大尉である。
ハルメルはレオポルドと結託してレティシア大尉を中核とした特別作戦団の再建を行っていた。しかも今迄の負け方からして解放戦線は正面からの激突には圧倒的に強いが、搦め手や戦線のつなぎ目を突くような戦い方をすると、指揮命令系統の脆弱性から混乱を来す傾向がある事を見破っていたのだ。その為、特殊作戦団は解放戦線防衛線への攻撃を主目標とした訓練と人選、組織拡大を日夜続けていた。勿論解放戦線自体もそれを自覚しての組織改革を行ってはいたのだが。
「ほう、そうすると連中と戦うにあたり何か策がある様だな、ハルメル。」
「ああ、私とて無為に過ごしている訳では無いからな。それなりに生き残りの手は打つよ。だがニッポンの戦闘機械、あれは無理だ。あれと戦わないような戦略を建てるなら協力も吝かではない。」
「だからなのだよ、ニッポンの連中を引き上げさせるのが第一だ。連中が居なくなりさえすれば、我々の活動の自由が復活する。その為の融和であるならば、多少の我慢は仕方があるまい。」
「ともあれ公爵、方向性は理解した。私も賛同しょう。具体的に何をどうするかは追々考えて行こう。皆も反対の者が居れば、今のうちに表明しておけ。まぁ、この場には居らんと思うが。」
「ハイントホフ、貴公の賛同が得られて心強い。皆にも感謝する。何れ帝国の実権を握った後にはニッポンに対抗する為の手段を講じなければならん所ではあるが、そもそもその前にニッポンの駐留軍と解放戦線、この二つの輩を排除せねば帝国の未来は暗澹たる物となろう。全てはそこからだ。皆、協力を良しなに頼む。」
ザームセン公爵邸で行われた秘密会議は、現皇帝への反逆という方向に舵を切った。
だがレオポルドだけは腑に落ちなかった。ニッポンを排除するだと?そんな事が可能なのか?彼らが考える手法は旧態依然とした宮廷闘争の域を出ておらん。問題はそこに無く、もっと根源的に我々の何かがニッポンと相容れないのだ。それを解決しなければ、新しい皇帝を立てた所でニッポンとの対立は避けられないだろう。問題は我々と彼等の相容れない何か、が一向に分からない事だ。それさえ理解出来れば、何等かの対策の立て様もあるのに。
独り、レオポルドだけは今後の帝国の将来に不安しか見えなかった。