17.流れ込む避難民
皇帝の抹殺指令とその撤回が与えた影響は各方面に渡った。
まずガルディシア帝国内では帝国改革派と対エウグスト強硬派という二つの派閥の勢力争いが発生した。
改革派は、現状のエウグスト及びダルヴォート地域に於ける支配政策の変更と、待遇の改善、そして他国、特に日本に対しての融和を求めた派閥だった。彼等は解体された旧海軍艦隊を中心に勢力を広げていた。そして彼等の背後には日本が居り、適時必要な情報を受けていた。そんな中での今回の抹殺指令とその撤回は彼等の勢力伸長の助力となった。何故ならば武器も持たない者へ行った虐殺行為が、現行そして元を問わず海軍兵達の軍人としての矜持を痛く傷つけたからであり、彼等は現体制を見限ってしまったのである。これは裏でアルスフェルト伯爵やゾルダー少将が暗躍し、陰に陽にこの派閥に対しての援助を行っており、帝政後を視野に入れて行動していたが、それらは表に出る事は無かった。
対する対エウグスト強硬派は、これまで通り皇帝を頂点とした帝国主義に基づいた判断基準でエウグストの今後の処遇を決めようとしている守旧派である。つまりエウグストを支配している今現在、再び彼等の復権など認められず、かつガルディシアに対する不遜な行為は万死に値する、と考える者達である。彼等は、皇帝に近い貴族や帝国陸軍を中心に構成されており、今迄に勝ち取った物は欠片一つでも相手にくれてやろうとは思わない。つまり、今回の虐殺も取るに足らない事であり、支配地域での2等臣民が起こした騒乱は極めて早急にそのような不埒な事を二度と起こさない様に軍事力による弾圧を行わなければならない、と判断していた。その為、第三軍が起こした虐殺もその一貫であり何も問題は無い物と考えていた。それ故に彼等からすると改革派が主張する融和を求める姿勢は弱腰に見えており、力を誇示する事によって物事が解決する理屈で動くと思っていたのだ。
もう一つガルディシアには重大な影響があった。
エウルレン南での砲撃にあったガルディシア陸軍第一軍、彼等は重度のPTSDが発症していた。一見全く問題が無い程度の者から日常生活に問題があるレベルまで症状は多岐に渡ったが、確実にあの砲撃の影響は彼等の精神を蝕んでいたのだ。そして、そんな彼等に負けず劣らずの悪い影響を第三軍騎兵師団も受けていたのだ。精鋭を謳われた第三軍の騎兵師団で先遣隊を担当した者達は、"街道の虐殺者達"という仇名を影で付けられた、それを気にする者も気にしない者も目に見えない形で蝕まれていた。その後、騎兵師団から警察への転職者が相次いだ。
そしてエウグスト領域内におけるガルディシアの支配力は大幅に低下していた。
一つにはル・シュテル伯爵を中心とした伯爵領は既にエウグストの新しい中心地となりつつあった。これは人口が爆発的に増加し、エウルレン市の拡大が続いていた。この抹殺指令によってエウルレンへ脱出しようとした人達は、皇帝の指令撤回にも拘らずエウグスト市やロアイアン市に近ければ近い程、エウルレンへの脱出の指向が強かったのだ。つまり、既にエウルレン周辺では帝国陸軍が二度敗北している。だから、ここエウルレンに居る限りは安全が保障される、と認識された。
そしてエウグスト内において解放戦線にも帝国軍にも興味を持たない一般層は、帝国の毒牙は何もしていない一般市民にも牙をむく事を立証してしまった事から、既に"何もしない、何にも関わらない"という選択肢が消滅してしまったのだ。どうせ殺されるなら抵抗する、という気概はエウグスト人に再び芽生えた。それは解放戦線の組織拡大へと繋がった。更にはザムセンへの侵攻によってエウルレンの都市封鎖をした際に、ガルディシア警察機構は一掃された事から伯爵が支配する領域にはガルディシアの権力は一切届かなくなった。その為、都市を守る守備部隊には大っぴらに自動小銃を装備した兵が闊歩する様になった。
最後に日本への影響はガルディシアへの軍事介入を躊躇しないとの宣言も虚しく虐殺行為に結びついた事から、力無き正義は無力という風潮が強くなり、言わば"言った事はやれ"という世間の強い後押しもあり、対外的にはPKFの体で直接エウグストとダルヴォートの境界ライン上へ自衛隊の派遣も検討された。これは後に、別の形で実現する事となる。
そして…
ガルディシアの政策が二転三転しガルディシア自身の混乱、それに強い影響を受けたエウグスト領域、そして大量の避難民の発生、避難民が流れ込んだ事によって混乱するエウルレン。これらの状況が重なり、レティシア大尉の脱出条件が整った。結局レティシア大尉とジーヴェルト軍曹は小銃と迫撃砲の製造現場を突き止めたが、兵力も装備も補給も何も無い状況で自ら動くには余りにも不利過ぎたので場所だけ確認し、大人しく引いた。この情報をザムセンに持ち帰るには、エウルレン入口を固めている解放戦線の守備隊が意外に多い事から南からの脱出を諦め、北側で機会を伺っていたのだ。
ところが溢れかえるようなエウルレンへと流れ込む避難民の余りの多さに、北側の警戒が麻痺した。彼らが捌ききれる人数を遥かに超えた避難民がやってきた事から、エウルレンでは北側の防衛戦力をも投入して避難民の受け入れ作業をした結果、出てゆく人に対してのチェックが大幅に緩んだのだ。レティシア大尉はこの隙を逃さず、直ぐにブランザック方面に脱出した。
「上手く行きましたね、大尉!!」
「ええ、そうね。まさか突然こんなに避難民が来るなんて。私達には好都合だったけれど。」
「やっぱりアレですかね。陛下のエウグスト殲滅指令の影響ですかね。」
「他に何があると言うの? でも、ここに逃げ込もうとしているなら、寧ろ我々にとっても好都合だわ。あちこちに敵が居るよりも、一か所に集まっている方が楽だもの。」
「ははっ、そりゃ違いない。ともあれブランザックからエウグストまで行った後はどうします?」
「まずは第四軍を頼りましょう。あそこの司令官はハルメル中将よね。」
「そうですね。何時ぞやの第二軍での騒ぎの際には、特殊作戦群に対して相当便宜を図ってくれたそうですよ。」
「それね。ハルメル中将はレオポルド局長と仲が良いのよ。」
「そうなんですか、知りませんでした。」
「そこの話はね、とっても面倒なのよね。というかハルメル中将がレオポルドを引き上げたというか。昔、なんか在ったらしいのだけれど、そこまでは知らないのよ。ブルーロは何か知ってたようなんだけど。」
「そういえば、ブルーロ大尉もエウグスト領域に潜入している筈ですよね。」
「これはもう死んでいるのではないかしら? この状況からすると。」
レティシア大尉のエウルレン脱出は誰にも気付かれなかった。レティシア大尉とジーヴァルト軍曹は街道の流れに逆らってブランザック方面に進み続けたのだった。




