11.皇帝の焦り
「貴殿の仰る事は理解出来ますが、未だかつてそのような事例は聞いた事が無い。一介の軍医に過ぎない自分が帝都の医学会に提案するのも限界があります。」
「いや、そこを押してなんとか成らんかと相談しているんだよ、ベリエール大尉。」
「なんとか成らない物はなんとも成りません。諄いですよ、ゾルダー副局長。大体、そんな症例があるのなら戦争の度に、その手の患者が病院で溢れかえる筈です。今迄何十年もそんな事例は見た事が無い。」
「まぁ、ニッポン人が嘘を言う得が無いから本当なんだと思っているんだがな。恐らく第一軍はそんな患者で溢れかえっているかもしれんだろう。ま、これは未だ未公開の情報だが。」
「ちょ、ちょっと待って下さい!それはニッポンからの情報なんですか?」
未だ帝都には第一軍敗北の情報は到達していない。
辛うじて皇帝に直接連絡将校が早馬で直接報告に来たので、皇帝だけは結果を知っている。だが、ザムセンに居る誰も彼もが第一軍が敗北し、尚且つPTSDに掛かる程に打ちのめされているとは知らなかった。ゾルダーは少々これは早まったかな、と思い路線を変更した。
「んん?何の事だ?いや、俺がお願いしたいのは戦場で余りの激烈な砲撃等に晒される事により所謂神経症を発症する事例に関してニッポンでは既に科学的に証明されている事、そしてそれはどんな兵士にも起こりうる事、という日本の論文を発見したので今後の参考までに我が軍でも注意喚起を起こそうと思ってだな。」
「何れにせよ我が軍が相手に対してそのような状況を強いる事になろうとも、我々がそのような状況に陥る事は考え辛いので、そのような事例が無かったのかもしれません。ただ、今後もそうであるとするならば、そういった事例の蓄積もまた行われないのではないかと思いますが。」
「うーむ、そういう物か。いや、そうかもしれんが……」
ここでしつこく食い下がると要らん疑いを掛けられる。適度に引いた上で、後でこいつが聞きに来た時に渡せば良いか。どのみち、そのPTSDとやらにやられた兵が山ほど戻って来る様だし。
「ゾルダー副局長!陛下がお呼びです、急ぎ統合臨時司令部にお越しください!!」
「ん?陛下が?一体どうしたんだ??今、行く。」
話もちょうど良い所で切り上げられたかもしれん。だが、陛下が俺に何の用だ? 訝し気に思いつつもゾルダーは統合臨時司令部に向かった。統合臨時司令部は、解放戦線の破壊工作によって破壊された海軍司令部の代りに海軍が作った臨時海軍司令部を、そのまま皇帝が陸軍も統括した臨時司令部とした場所である。
「陛下、お呼びで?」
「ゾルダー、来たか。大変な事になるかもしれん。この事態の打開は貴様に掛かっておる。」
「一体どのような用件でありましょうか?」
「実はな。これは未だ極秘だが第一軍が解放戦線に敗れた。」
とっくに知っていた事実だが、ゾルダーは大袈裟に驚いた。
「なっ、なんですと!?常勝無敗と謳われたあの第一軍がですか?信じられん……それはまだどのように?」
「解放戦線の連中は卑劣にも全軍が連射銃を装備し、かつ防衛陣地に引き篭もり一度も陣地から出る事無く防備を固めておった。それ故、我が第一軍が敵防衛線に肉薄するも、足止め中に敵の砲弾が山の様に撃ち込まれ、敗走した。」
「なんという事でしょうか……して、第一軍は今何処に?」
「後退からザムセンに帰還中だ。だが、それは良い。」
「良い、と申されますと?」
「貴公を呼んだのは他でも無い。ニッポンとの橋渡しを行え。なんとかニッポンが今回のエウグスト殲滅に対する対抗策を思いとどまって欲しいのだ。もっと言えば、ニッポンの介入を阻止したい。」
「陛下……もしや、殲滅指令を出した事を肯定したのでは……?」
「もしやもよもやも無いわ、当然肯定した。これは内政問題だから口を出すな、とな。すると連中の外交特使、なんと言ったかな、あの女。トドロキか。途端に態度を変えて、日本政府としては全力支援だの武力行使を躊躇しない、と言い始めたのだ。」
「はぁ…左様ですか……ニッポンならそういう態度に出るでしょうな。」
「何を言い出す。何れにせよ、我が方の第一軍が敗れた今、エウルレン自体は全くの無事であろうが。エウルレンを火の海にした後で奴等の要求を受け入れる積もりであったが、最早それも敵わん。この上で、解放戦線を敵に回しながら、ニッポンの軍事介入を招くとなれば帝国は解体必至であろう。」
「確かに。それで自分がニッポンとの橋渡しを、という事ですな?」
「うむ、そうだ。ニッポンに軍事介入でもされたら我が軍は四散してしまう。それとだ。第3、第4軍への殲滅指令は既に発しておるが、どこまで伝わったかは分からぬ。これを早急に止めたい。せめてニッポンとのゴタゴタが片付くまでは保留したい。これで、第三、或いは第四軍が早まった事をしてしまうと、一体どんな事になるやらだ。」
…アンタが出した命令だろうが、とゾルダーは思いつつも、その命令が何時頃に出たかを考えると既に第三、第四軍に伝わっている可能性が高いと見た。彼らは道すがらエウグスト人を血祭りに上げながら街道を南下してくるだろう。そうなれば、エウルレンに至る街道の脇にはエウグスト人の死体で溢れかえる事になる。これは早急に北に向かわんと止められんな…
「分かりました、陛下。陛下の勅命書を幾つか頂きたいと思います。まずは前段の殲滅指令の停止、そして軍の出撃中止命令、この二つを第三軍と第四軍それぞれに頂きたく思います。その上で、ニッポンに対し交渉を行います。ちなみに交渉材料は殲滅指令の停止以外にありますか?」
「いや、それだけだ。殲滅指令の停止だけでも相当の譲歩であるのだが、いかんか?」
「いえそれは……取り合えず勅命書を頂ければ、直ぐに行動を開始いたします。」
「頼む。ニッポンを止めてくれ、ゾルダー。」
統合臨時司令部を辞去したゾルダーは、皇帝を廃した後での展開を考えていた。
結局の所、帝国の政体が変更したとしても最低限の軍は必要だ。例えばエウグストは今後独立するとしてもガルディシアとの取引を継続的に行えるようにならなければ、ガルディシア側は食糧難に陥ってしまう。その為にお互いが協議の上で取引が可能な状態となっていなければならない。だが、例えばガルディシア側に一切の武力が無く、エウグストが例の装備で軍を固めたら?当然エウグスト側には軍もロクに無いガルディシアと五分五分の交渉などする訳が無い。とするならば、第三、第四軍には無傷で居て貰わなければならないが、これで被害が発生すると困った事になる。ここはガルディシアにも被害が無く、解放戦線側も以降の戦闘が無い方法を模索しなければ。
ゾルダーはアルスフェルト伯爵の門を叩いた。




