76.膠着状態
2番目の転回場に辿り着いた解放戦線残余の1,000名と追跡していた第一軍第三歩兵師団の間には3km以上の距離が開いていた。だが、歩兵師団の後ろには騎兵師団が控えている。つまり徒歩で後退中の解放戦線が疲労により行動が鈍ったその瞬間を騎兵が突破する手筈だったのだ。この時、第三歩兵師団のアルブレヒト少将は敵が全行程を歩いて後退するものと判断していたのだ。だがアルブレヒト少将の思惑とは裏腹に、転回場には撤退用車両と共にエンメルス達レイヤー部隊用の物も到着していた。
「お。気が利くな、伯爵。6、7…バイクが8台か。しかも狙撃用のライフルまで用意するとはな。よし、第一で俺も含めて殿で8人残る。トア、6人選抜しろ。お前はスナイパーだ。それからお前等、D集団から先頭の車両に慌てず急いで乗り込め。かかれ!!」
D集団が先頭車両に移動しつつある頃、エンメルス達はレイヤー部隊撤退用のオフロードバイクを触って始動確認をしていあた。全て問題無く始動し、燃料も満タンである事を確認したエンメルスは一旦オフロードバイクを隠して簡単な陣地を構築し始めた。双眼鏡でその様子を伺っていた第三歩兵師団の斥候は、直ぐにアルブレヒト少将に報告をした。
「奴ら、この先の転回場で何やら行っております。車の様な物も見えます。」
「何?…車…奴等ここで一気に撤退する気だ!騎兵を前に出せ!!追撃戦だ!」
「騎兵師団、出ます!後詰お願いします!」
「よし、行け!」
街道を進む騎兵の突進力は凄まじい。だが現代的な自動小銃の前に装甲が無いにも等しいそれは蟷螂の斧に過ぎない。エンメルス達の陣地に急速に接近した騎兵師団は、遮蔽物が無いに等しい街道という条件、且つ前述の様に装甲が無いに等しい身体を自動小銃の弾幕に投げ出して屍の山を築いた。騎兵の第一波を凌ぎ切り、その損害に茫然としつつあるアルブレヒト少将は、それでも闇雲に騎兵の突進による衝撃力を期待して第二波を命じた。エンメルスは3カ所の自動小銃による防御陣地とスナイパーとスポッターの狙撃陣地の計4つの陣地が構築されていた。突進してきた騎兵を3カ所の自動小銃陣地が受け止め、そして狙撃陣地にてトアはアルブレヒト少将を狙った。
「アルブレヒト少将、戦死!!狙撃兵です!!狙撃されています!!」
「全員隠れろ!!森に入れ!!」
第三騎兵師団は指揮官狙撃によって一時的に混乱した。指揮権が次席に移る迄の間、混乱が続いたのだ。この混乱を利用して騎兵師団の突進を全て撃退したエンメルス達第一レイヤーの部隊は装備を回収した上でバイクに乗って転回場を脱出した。こうしてザムセン街道に存在した全ての解放戦線の戦力はエウルレンへの脱出に成功した。
エウルレンにはティアーナを守備していた5,000の解放戦線戦力が集結していた。
そしてそこにザムセンから後退してきたD集団本隊が合流する。ル・シュテル伯爵の命令により沢山のテントを設置して応急処置が可能な野戦病院や休憩施設を設置していた。この休憩施設にザムセンから後退した部隊を入れ休息を取らせた。更に高田の指示により、エウルレン入口、つまりガルディシア側からするとエウルレンに侵入する為の唯一の出口部分に蓋をするのでは無く、出口から暫く侵入させた上で遮蔽物のない広い場所に誘導して攻撃を行えるように防衛線を下げた。そしてその防衛線はエウルレンを横断する高速道路脇に設置し、高台となっている高速道路がそのまま防衛線となる様に陣地を構築した。そしてその後方に迫撃砲陣地を作り、この迫撃砲陣地の射撃を指揮する部隊にはグリッドが刻まれた地図を持たせ、無線指示を受けたら即座にその目標があるグリッドに撃つように指示をした。
高田はル・シュテル伯爵の居城に簡易の指揮システムを持ち込んだ。
これは戦場の状況図を映し出すモニタと各部隊からの情報や無人機からの情報を処理する為の指揮統制システムで、本来は連隊規模で使用する物なのだが、持ち込んだのは通信速度を大幅に改善した試作品であり色々な機能が省かれている。前述の迫撃砲陣地を指揮管理するのもこのシステムである。
「伯爵、私が前線で姿を見せると後で色々問題が起きますので、ここ籠ります。どうしても前線に行かなければならない時は、伯爵が私の指示内容を前に出て伝えて下さい。大丈夫ですか?」
「あ?ああ…大丈夫なのだけれど…凄いね、これ。これが味方全てを表しているのかい?それでこれが敵ね…全て丸見えじゃないか。」
「まあ、見えない敵が出てきたら困っちゃいますね。そういう連中は居無いようですが。」
「そういう事も可能という訳か。君の元居た世界はかなり恐ろしいね。」
「いやぁ、そんな事も無いですよ。そんな事が可能なのも一部の国だけなので。幸いな事に我々はその陣営に属していたのですがね。ただ、その世界の平和の根幹は恐怖であるのは否定しませんねぇ。」
「恐怖ねぇ…怖い世界にしか聞こえないな。」
こうしてエウルレン南方での防衛ライン構築は着々と進む中、最後のザムセン撤収組であるエンメルス達が到着した。こうしてエウルレンは万全の体制でガルディシア第一軍を迎え撃つ状況となりつつあった。
皇帝の元には遅延した情報しか届いていない。そして送り出す情報もまた届く頃には相当遅延している状況だった。皇帝が仮設海軍司令部で発したエウグスト領域に対する殲滅指令が第一軍のランツベルグ中将の元に届いたのは、街道に追撃の第二、第三歩兵師団が突入しつつある頃だった。だが、ランツベルグ中将からの作戦指示がそれぞれの師団に届いたのもまた数時間後であった。距離が伸びるに連れ遅延時間も伸びて行き、ランツベルグ中将は次第に自らの軍がどれだけ被害を受け、どこまで今の時点で進出しているかが見えなくなってきた。そしてザムセンからの急速な後退と、その後退した戦力を全く捕捉出来ずに逃がした事、更にはエウルレン入口に殺到した場合、我々がドラクスルと同様に第一軍を開けた場所で殲滅される可能性に思い当たり、急ぎヒァツィント少将とアルブレヒト少将に進軍停止を命じた頃にはアルブレヒト少将は戦死していたのだ。その情報もまたランツベルグ中将の元に届いたのは随分後の事だった。その為、一端ランツベルグ中将は皇帝陛下の元に赴いた後で皇帝の意を確認し、その上で第一軍を直接指揮する積もりだった。そして馬を引いて仮設海軍司令部で皇帝と謁見したランツベルグ中将は、命令で感じたよりも苛烈な皇帝のエウグスト殲滅を希求する強固な意思を確認したのだった。
だが、市街戦ではこちらにも対抗出来る状況だったが、恐らくエウルレンには相当頑強な防衛ラインが敷かれているだろう。そこに強襲を掛けるなど自殺行為だ。だが、皇帝のアレを見てしまったらやらざるを得ん。エウルレン市出口の辺りで蓋をされた場合、我々はそこから前進する事も出来ないだろう。かと言ってティアーナ経由で向かうには余りにも時間がかかり過ぎる。最悪なのは海軍の船が使えない事だ。入口が閉塞した事により、撤去にどれだけの時間がかかるか分かった物ではない。つまり海軍で人員を輸送する手段が使えないので、ティアーナだろうがマルソーだろうが、強襲上陸戦も行えない。出来る事はこのまま街道を進んでエウルレン市を強襲する事だけか。多分、そこが一番難攻不落だが…
ランツベルグ中将は皇帝の意思と命令を再確認した上で街道に向かった。
こうしてガルディシア帝国と、その属領エウグスト領域は新たな局面を迎えつつあった。
以上、第三部「回天編」の終了です。
次回からは第四部「落日編」のスタートです。




